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世界の街角で見た文化・歴史

【第11回】 ベトナム、ハノイの発展を目にして

2015年11月、ベトナム・ハノイを久しぶりに訪れました。 市内は昔に比べ格段にきれいになり、新しいビルやホテルが立ち並び、歩く人々やオートバイに乗った人々は若い人が多く、表情にも活気が感じられました。 ベトナムの平均年齢は29.2歳と若さが溢れている国ということを実感しました。ちなみに日本の平均年齢は46歳です。

ハノイは2010年に建都千年を迎え、かつての王宮だったタンロン城が世界遺産に登録されました。 ハノイは、かつて「東洋のパリ」と言われ、街にはフレンチコロニアル風の美しい建物が立ち並んでいて往時を偲ばせます。 それらは今では多少色あせていますが、近代的なビルの中にあっても十分存在感がありました。ベトナムの首都ハノイは、1000年近くに及ぶ王朝の歴史を有する古都でもあります。 李太祖が1010年に遷都してハノイ(タンロン)に首都を置いて以来1788年に王朝が滅ぼされるまで国の中心地でした。
その後ベトナムは苦難の歴史をたどり、フランスの植民地となり、太平洋戦争中の日本軍による占領、日仏の二重支配、戦後の南北の分断、アメリカとのベトナム戦争、サイゴン陥落、ベトナム統一、 急激な社会主義への改造に伴うベトナム難民(ボートピープル)の流出など苦渋の道を歩んできました。

ベトナムは1976年に南北統一が図られ、ハノイはベトナムの首都として返り咲き、発展してきました。 ハノイはホーチミン市に次ぐベトナム第2の都市ですが、社会主義国の首都としての政治の都であり、長い歴史を有する文化の都でもあり、約700万の人口を擁しています。 ベトナムの1人当たりのGDPは、2,052ドル(2014年)と低いですが、GDP成長率は約6パーセントと大きく成長しています。 所得がまだ低いので車よりバイクが庶民の足であり、壊れにくいと評判の本田技研工業(以下ホンダ)のバイクが至る所で走っています。 ハノイに進出している日本企業は約630社(日本商工会議所会員数、ベトナム全体では1,550社進出)で在留邦人は約14,600人です。


建国の父、ホーチミンの遺体を安置したホーチミン廟とバーディン広場

ハノイには観光の見どころが多くあります。 まずはベトナムの南北統一に生涯を捧げ、建国の父である故ホーチミンの遺体を安置したホーチミン廟に行きました。 建物は蓮の花をモチーフにしたデザインで、大理石で建てられています。 その前にあるクアン・チューン・バーディン(バーディン広場)で、ホーチミンは1945年に占領していた日本からの独立宣言を読み上げました。 彼は1969年9月2日に亡くなりましたが、ベトナム戦争終結後の1975年、9月2日(彼の命日)の建国記念日に、ホーチミン廟が建設され、この大広場の中に厳かに立っています。 入り口では純白の制服の衛兵が直立していました。ベトナム各地から来た観光客は、必ず参拝にここへ訪れるそうです。

ホーチミン廟から歩いて行けるところに、仏教の一柱寺があります。 1本の柱の上に仏堂を乗せているユニークなお寺で、蓮の花に見立てて造られました。1049年に建てられたと聞き、長い歴史を感じさる小さな古刹でした。
次に孔子を祀った孔子廟(文廟)を訪れました。1070年に建てられましたが、緑豊かで広い庭があり、またベトナム最古の大学が開校された場所でもあります。学業成就に参拝する人が多く来ていました。 境内には、1442年から約300年間に亘って官吏登用試験である科挙の合格者名(約1,300名)が刻まれた石碑があり、縁起が良い亀形の石の上に乗った石碑の数は80以上ありました。 3年に一度の難関の科挙に合格した若者は将来を嘱望された郷土のヒーローでしたが、中には石碑の名前の中に後から黒く塗って消したような痕跡がありました。 これは合格発表後に不正が発覚して取り消しになった人や、任務で不祥事を起こして抹消された人であることを知りました。 いつの時代も人は頭がよいだけでは駄目で、人間的にもできた人でないといけないのは同じです。 孔子廟の奥には、カラフルな民族衣装のアオザイを着た女子学生が大勢いましたが、セレモニーの後なのか皆すてきな笑顔であり、若さが弾けていました。

旧市街の西側には、世界遺産に登録されたタンロン遺跡があり、ここは旧ハノイ城があったところです。 タンロンとは「昇龍」の意味です。かつてのベトナム王朝の城があり栄えていたところで、今でも遺跡発掘調査が進められています。 遺跡からは中国の陶磁器や日本の有田焼の陶磁器が見つかっており、王朝が他国とよく交流していたことが分かっています。 フランス統治時代はフランス軍の司令部が置かれていました。ベトナム戦争時には軍の中央司令部が宮殿の地下にありました。

ハノイの街の中心にはホアンキエム湖がありますが、市民や恋人たちの憩いの場になっています。 ホアンキエムとは「還剣」の意味ですが、15世紀に中国の明が攻めてきた時に、この湖に住む大きな亀から授かった剣でベトナムを守り抜くことができ、勝利してから湖にお礼に行くと、亀が出てきて剣をくわえて湖底に戻ったとの伝説から由来しています。 朝は多くの市民が、湖の近くで太極拳のような体操やジョギングをしていました。ハノイ大教会は1886年、フランスの植民地時代に建てられたハノイで最も大きな教会です。 二つの尖塔を有する、ネオゴシック様式の美しい教会ですが、130年の風雪に耐えつつも、外壁はカビやほこり、バイク・車の排気ガスなどで残念ながら黒ずんでいます。 ギリシャのパルテノン神殿も車の排気ガスで黒ずんでいたのを思い出しました。日曜日には7回ミサが行われていました。 ハノイにはオペラハウスがありますが、1911年にフランスのオペラ座を模して造られ、フランス風のクラシックな劇場です。気品と風格があるオペラハウスで、観光客が多く訪れ記念写真を撮っていました。


さてハノイでの観光のハイライトは、なんといってもハロン湾クルーズです。 世界遺産にも指定されています。ハロンとは「ハ」が降りる、「ロン」は龍で、「龍の降臨」の意味です。 ハノイからバスで3時間半とやや遠く、日本の伊豆のようなイメージです。 船に乗ってデッキで心地よい潮風を受けながら、ワインを飲み、海から隆起した巨岩・奇岩がそびえ立つ景色を眺め、ゆったり回るクルーズは最高です。 海から隆起した岩は、どの岩も同じような高さで、岩の数は2,000近くもあり驚きですが、実に幻想的な眺めです。 中国の桂林の水墨画のような山々を思い出させ、まさに「海の桂林」といった感じです。ランチは近海で獲れた新鮮な魚介類を船内で食べます。しゃこ、イカ、エビ、ハマグリ、クエ、ハタなど絶品です。 小さな船が魚やバナナなどの果物や土産品をたくさん積んで売り込みに近寄ってきましたが、そのたくましい商魂に根負けして結構買ってしまいました。 その後、島に上陸して巨大な鍾乳洞を見学しました。内部は赤や青でライトアップされ圧巻の鍾乳洞でした。ハロン湾クルーズ観光では、まさに「命の洗濯」ができ、リフレッシュできました。

世界遺産のハロン湾では、
隆起した岩々の幻想的な光景が広がる
ハロン湾の中の島に上陸して、
鍾乳洞見学や散策を楽しんだ

ベトナム料理といえば、米粉のフォーが有名で、ハノイが本場のようですが、肉とネギが入ったシンプルなものも結構おいしいです。 また生春巻に揚げ春巻も定番です。蓮の茎のあえ物や、青パパイヤのあえ物、クウシンサイのニンニク炒めもお勧めです。ベトナム風のお好み焼きや豚の角煮やソフトシェルクラブの唐揚げも食欲をそそります。 フランスパンにハムやキュウリ、パテなどを挟みベトナム醤油をかけたサンドイッチもはまります。ベトナムフレンチのレストランも多くあります。 こうしてみるとベトナム料理は、伝統料理に中華料理とフランス料理の影響を受けて独自に進化してきたのではないかと思われます。

ハノイで有名な水上人形劇も鑑賞しました。 これは田んぼのような水上で、奥の簾の中に人形遣いが6~7人いて、竹と糸で人形を操って音楽やセリフに合わせ人形を動かし、踊ったり飛んだりする劇で、いくつかの短編のコミカルなストーリーで面白く楽しめます。 簾で人形師が見えないようにしているため、ステージ終了後に簾が開いた時、腰まで水に浸かった姿を観客が見て驚き、同時に拍手喝采となりました。 この水上人形劇は1000年も昔から伝わる伝統芸能で、農民たちが収穫の祭りのときに屋外の水辺を使って演じていたものです。その後宮廷芸能にまでなりました。 観客の中には「子供だましのような人形劇」だと初めは茶化していた人もいましたが、最後に、人形遣いが太ももまで水に浸かって手で竹と糸を水中から懸命に人形を操っていることを知り、感動していました。 また、ストーリーも農民の苦労をコミカルにしており、この伝統を1000年維持してきた農民の心意気に興奮していました。

ベトナムの伝統芸能の水上人形劇は
観光客にも人気がある
簾の奥にいる人形遣いが
竹と糸で人形を操っている

水上人形劇の劇場では、実はちょっとしたハプニングがありました。
この水上人形劇は人気があり、大変混雑していて劇場の階段や出口付近では人が大勢いて押し合いの状態でした。その際ショルダーバッグから財布をすられてしまいました。 劇場からホテルに戻ったところで財布がないことに気づき、ガイドさんやホテルの助けも借りて劇場内を探してもらったり、警察に届け出たりしましたが財布は見つからず、すっかり意気消沈していました。 ところが翌日夕方に劇場内で財布が見つかったとの電話があり、夜に財布を受け取ると中身は半額だけ抜かれていて、残りの半額は財布に残しておいてくれたという奇跡がありました。 こうして約10万の内5万円は戻ってきたので、5万円はお金に困っていた人に寄付をしたと思うようにしました。財布を盗んだのはベトナム人か外国人かどうかはわかりません。 ただ残りの5万円が戻ってきたことに感激しました。また財布の中のクレジットカード、運転免許証、保険証、家族との写真などもすべて戻ってきました。 一般にベトナムは仏教国であり、仏教の教えの「中道の精神」(すべてを独り占めしたり、極端な行動はや二者択一をしたりせず、中間や多様な解を見つけ、相手を思い双方がうまくいくようバランスの取れた中庸の考え方や行動をする)が日常に根づいているため、ベトナム人はもちろん、長く滞在している外国人も皆そのような考え方になるのではないかと感心しました。


ハノイの工業団地の正面ゲート
多くの日系企業が進出している

ベトナムは1990年代末から、工業化・近代化を推し進め、工業団地の造成がハノイ近郊でも始まりました。 中国のみに頼るのではなく、日本や韓国や欧米の企業の誘致を積極的に行いました。
ハノイの郊外にある「タンロン工業団地」を訪問しました。この工業団地は、2002年に設立され、キヤノン、ヤマハ、パナソニック、HOYA、TOTO、三菱鉛筆、デンソー、住友重機械工業など日本企業が多く集積し5万人がこの工業団地で働いています。
その中の日本の電子機器メーカー工場を特別に見学させていただきました。この工場では、プリンターのインクジェット、スキャナーなどを主に製造しています。 設立当初から進出し、20万平方メートルの工場敷地に、7,200人が働いており、内9割が女性工員で、平均年齢は26.3歳と若くなっています。日本人駐在員約100人が、7,200人を管理・指導しています。 ベトナムとフィリピンの工場は普及品、タイの工場では高級品とアジア域内で水平分業をしています。ここでの製品は、ハイフォン港から中国や欧米に100パーセント輸出されています。


日本の電子機器メーカーの
工場の食堂風景

工場内では、採用された社員の研修や実技訓練が行われており、ここでの厳しい水準をクリアできないと、工場のラインに配属されません。 ネジが少しでも曲がっていると不合格なので、実技訓練も約30個のネジ穴のあるパネルにネジを電動ドリルで30個を制限時間以内に素早く仕上げていました。 そのまなざしは真剣そのものでした。ベトナム人は手先が器用であり、識字率が94パーセントと日本人(98パーセント)に近く、まじめで飲み込みが早いとのことです。 工場内には、スローガンなどが掲げられており、その中には「当事者意識を持て」「探究心を持て」「地位の高い者は責任と覚悟を持て」「品質の強化」「キーパーツは積極的に内製化」などがありました。 生産ラインでは社員が流れ作業の仕事を迅速にこなしていました。
食堂も見学しましたが、大量の昼食を実に上手にさばいていました。 11時以降、食堂に500人ずつ15グループが15分ごとに順番に集まってきて、通路に陳列された約12種類の日替わり定食メニューを急いで見てから、好きなメニューの番号の配膳場に40~50人ほど整列し、順番に定食セットのお盆を受け取り、食堂の奥のテーブルからどんどん座っていきました。 無駄な動線が無く整然と楽しそうに食べていました。


街を疾駆するオートバイの群れ
市民の足となっている

ハノイもホーチミンもオートバイが多く、庶民の足として大活躍しています。ベトナムではオートバイは家族全員で4人が乗れるようシートを長くしたオートバイでないと売れないようです。 家族6人でオートバイに乗っている光景を目にしましたが、一番前に座っている幼児は居眠りしていてその逞しさに驚きました。 ベトナムではまだ車が少なく、オートバイが雲霞(うんか)のごとく道路を席巻しています。女性も多く排気ガスを吸わないようカラフルなマスクをしているところに色気があります。
ホンダのオートバイは70パーセント以上のシェアを持っています。ホンダオートバイは約16万円で、ベトナム人の年収(20万円強)とあまり変わりません。 ローン制度が無いので、ベトナムの若者は毎月少しずつ貯金して3~4年ほどしてオートバイを買うのが夢だそうです。 壊れないオートバイに人気が集まります。ホンダのオートバイは、10年は壊れないという高い品質と信頼性があるので人気があります。 2007年からヘルメット着用やバックミラーが義務付けられましたが、ミラーに自分の顔を映して髪をセットしている人が多いと聞きました。

ベトナムは、社会主義国ですが、ドイモイ政策で市場経済を導入し、経済が急速に伸びています。 それでも中国に遅れること30年と言われています。一方、急成長に伴う歪みも出ており、公害や都市への人口集中化によるインフラの遅れなどが目立ってきています。 しかし9,000万の人口はもうすぐ1億人を超える勢いであり、生産年齢人口も拡大しています。 日本とベトナムは友好的な関係にあり、日本からの企業進出や観光客が増加しており、日本のコンビニや和食レストランも今後増加する見込みで、日本との交流が経済のみならず、文化・社会の面でも深まっていることを実感した旅でした。


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