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世界の街角で見た文化・歴史

【第14回】 発展するインドの街角の活気と厳しさ

インドは人々の生きるたくましさと厳しさが同居する街

インドを訪れ、街の活気と人々の生きるたくましさと厳しさを肌で感じてきました。インドのデリーの街角は活気があふれ、とりわけデリー市内ではマンションや高速道路の建設の槌音(つちおと)が響き、鉄道の駅も新設され、駅前では商業開発が進んでいました。駅前のショッピングセンターには多くの若者が集まり、買い物や食事を楽しんでいました。インドは今や人口13億人を超え、成長力も高くGDP成長率も7パーセントを超えるなど、今後の発展可能性を大いに秘めている国です。

他方、街角では車も増え、交通渋滞が常態化し、交通インフラの整備が急務になっています。実際、道路では、トラックや自動車、オート三輪のタクシー(オート・リクシャー)の他に、人力車のタクシーも多く走っています。人力車に実際に乗ってみたところ、車の間を縫うように走り、車にぶつかるのではないかと怖い思いをしましたが、乗車料金が安く庶民の足になっています。夏の気温40度前後の厳しい暑さの中でも、市場などは多くの人でにぎわい、買い物では値切って交渉し、インドの人々のたくましさを垣間見ました。
しかし、インドではそれだけ生き残ることは並大抵ではないことがわかります。貧富の差が激しく、衛生状態や教育が不十分で子供にとっては大変です。路上には物乞いの子供や痩せ細った子供が多く、学校に行けず働いている子供も多く見受けられました。

デリー市内の道路
車、人力車、三輪タクシーが所狭しと走る
デリー交差点の信号待ちで、
物売りや子供の曲芸でチップを求めてくる

栄養失調の子供が目立ち、インドの子供の4割は栄養失調といわれています。また衛生状態も悪く、家にトイレがあるのは約半数しかないため、外の共同トイレか、川のほとりや草むらで用足しする状況です。トイレが家にある人より携帯電話を持っている人の方が多いといわれ、笑うに笑えない話です。このため政府は「クリーン・インディア」を掲げ、トイレの普及に努めています。
インドでは教育を満足に受けられない子供もいるようです。学校や教員が不足し、上下水道の無い学校も多く、給食費が払えない家庭もあると聞きました。このためインド政府は教育目的税3パーセントを導入し、その財源で児童に無償の給食を義務化しています。厳しい状況の中でも確実に少しずつ良くなってきているようです。


インドの人口急増と多民族国家の悩み

インドは、人口が13億1,690万人(2017年、以下同じ)になり、中国の13億9,000万人に次ぐ世界第2位の人口大国ですが、2025年頃には、インドの人口は約15億人になり、中国を抜いて、人口で世界第1位になるといわれています。国連の予測では、インドは2050年には人口が約16億人になると見込まれています。インドの平均年齢は25歳と若く、日本の45歳に比べ20歳も若く、今後豊富な労働力が見込まれています。ただインドの平均寿命は厳しい生活衛生環境や医療の遅れなどから68.3歳と、日本の83.7歳に比べるとかなり短い平均寿命になっています。

インドの面積は328万平方キロメートルと、ヨーロッパ全体と同じぐらいの国土があります。これだけ広大なので民族、言語、宗教などが多岐にわたっています。世界でも有数の多民族国家で、多言語社会でもあり、公用語は憲法では22あります。社会生活で使われている言語は850あるといわれており、その多さに驚きます。イギリス統治の影響で英語が普及し、第一公用語はヒンディー語、第二公用語は英語です。ホテルでテレビをつけるといろいろな民族の言語の字幕が選択できるようになっていました。
ただ、多言語ゆえの民族同士のコミュニケーションの難しさもあり、言語間の距離も遠く、州が違えばインド人同士でさえ言葉が通じないことも多々あります。そのため、企業が一つの地域で進出に成功しても、他の州への横展開での進出が難しいこともあるようです。
多宗教国家ゆえの宗教観の違いがあり、これもインドでの企業のマーケティング活動を難しくしています。主な宗教だけでも、ヒンズー教徒が約10億4,000万人、イスラム教徒が約1億8,000万人、シーク教徒が約2,400万人、キリスト教徒が約3,000万人います。さらにヒンズー教には未だにカースト制度が残っているため、日本企業など外資の企業を悩ませています。またインド国内の宗教対立が深刻化して、特にヒンズー教原理主義とイスラム教の対立やカースト制の旧弊が残っており、IT業界以外は職業選択の自由があまりないといった弊害も出てきます。


デリー市内は建設工事で拡大中

首都デリーの人口はおよそ1,600万人(2018年)で、大統領官邸や国会議事堂、インド門(フランスの凱旋門に似ている)があり、政治の中心地ですが、近年はITエンジニアが増え、活気があり、多くの市民のための高層マンションの建設や鉄道、高速道路建設が盛んに進んでいました。

デリー市内では、ITエンジニアらのための高層マンションの建設が相次ぐ
オフィスビルの建設ラッシュがあちこちで起こっている
高速道路の建設が急ピッチで進んでいる

成田からインドへは直行便でも9時間15分かかり、時差が3時間30分あります。夕方6時に成田を出発して、インドのホテルに着くのは、日本時間では明け方の5時頃になります。寝不足になり、且つ暑さもあり、水や食べ物の衛生状態は悪く、また蚊も多いので長袖・ズボンの服装が望ましく、さらには狂犬病の恐れのある野犬も町にはいるので注意が必要です。


街角でのインド市民たち

インドでは、女性が化粧するのは自分のためではなく、旦那のためといわれています。色とりどりのサリー服などがあり、華やかでもあります。サリーは通気性がよく、暑いインドの中でも快適なようです。
インドの憲法では、カースト制度そのものは否定していませんが、差別の禁止は明記しています。しかし実際には社会慣習として身分差別は現在も残っているのが現実です。特に職業選択、結婚、居住などでカーストを超えてはならないとされているので、人々の活力がそがれているように見えます。ITの仕事は例外で、カーストがあった時代には存在していなかったためカーストの対象外であり、優秀な理系学生が地方からデリーのIT企業などに集まってきます。ただカースト制はあくまでもヒンズー教の身分制度であり、政治や経済の体制の中の身分とは異なるので必ずしも縛られてはいませんが、一部は影響を受けています。下位のカースト出身であるモディ首相のように、政治の世界でトップまで上り詰めるケースもあります。


インドの食事事情

食事は、朝、昼、晩ともカレーが主体で、付け合わせに、ゆでた野菜、ナスやニンジンの炒め物があり、それにナンやご飯、パパル(豆で作った薄焼きせんべい)がつくといった感じです。肉類はチキンが主体で、タンドリーチキンが有名です。インドの家庭では伝統的に昼食がメインのため、昼にしっかり食べ、朝食や夕食は軽めというところが多いようです。
インドはヒンズー教とイスラム教が主流のため、豚肉と牛肉が食卓に出ることはまずありません。インド人はあまりアルコールを飲まないこともあってか、お酒は高級品で、ビールの価格は大瓶で450ルピー(733円、1ルピー=1.63円)と日本よりも高い値段には驚きです。ヒンズー教では、飲酒は享楽として否定され、イスラム教では飲酒は禁じられています。州によってはお酒を禁じている州もあるほどです。

ちなみにインドの1人当たりのGDPは1976ドル(2017年、以下同じ)で日本は38,448ドルと、インドは日本の19分の1です。物価はGDPと完全に連動しているわけではありませんが、少なくとも日本の10分の1程度です。料理は辛い香辛料や油が多く使われ、慣れない旅行客は下痢をすることもあり、健康に敏感な日本人にとっては食事に相当苦労します。

私は食事には相当注意していましたが、それでも下痢しました。後でいろいろ原因を調べると、チキンカレーの油で、日本にない油や何度も揚げ物をした油で古く酸化したことなどにあったようです。ただ日本から持っていった強力な薬のおかげで、一日で治すことができました。下痢はインドでは日本人の通過儀礼のようになっていますが、体力を消耗し、笑えない話です。インドのデリーでは夏の日中の気温は39~40度になり蒸し暑く、水道水で歯を磨くと下痢をするほど水事情が悪く、生野菜サラダやジュースでお腹を壊すこともあるので、お腹の弱い人は食べないほうが無難です。インドの食事は口に合わないものが多かったので、日本から持参したカロリーメイトや日本のお菓子などを食べて補いました。

地方のホテルは、外観はきれいですが停電が多く、食事中に突然真っ暗になります。日本人や外国人はすぐに悲鳴を上げるのですが、地元のインド人は平静に食べています。しばらくすると電気がつくのですが、それまでは懐中電灯や携帯電話の光で確認しながら食べるような状況でした。何事にも動じない心が肝要です。


インドの道路事情

インドの道路はイギリスの植民地だったので、車は左側通行ですが、遅い車(トラクター、オート三輪者、人力車など)が混在して走っているので、当然ながらひどい渋滞になり、法律で禁止されているはずの走行車のクラクションがけたたましく鳴り響き、皆我先に前に進もうと強引に車線変更や割り込みをするのでひどい渋滞になっています。交通事故が多く、世界でも交通事故による死亡が最も多いのはインドといわれています。

また途上国に共通していることの一つに赤信号の時間が長いことがあります。信号待ちの間に物売りがたくさんやってきて、車の窓を拭いたり、ココナツの実、花束、帽子などを売ったりしていました。

交通渋滞の中、クラクションが鳴り響く
オートバイの3人乗りはかなり多い

車が通る道路を悠然と歩く牛

野良牛も多くいますが、牛は聖なる神の使いなので、我が物顔で道路を歩いており、車が牛に遠慮して走っているような有り様で、牛をよけるために急ブレーキや方向転換が多く、そのたびに車が大きく揺れ苦労しました。

貧富の差が大きく、街には物乞いがいます。栄養失調で、アバラ骨が見えている子供の姿も見かけました。まだまだ、たくさんの問題を抱えている国です。


インドの地下鉄網拡大や鉄道発展等

インド各地で地下鉄の新規開通や延伸が相次いでいます。首都デリーの地下鉄は、市内東北部と南部を結ぶピンクラインやニューデリー空港とインド最大の電気街ネルー・ピレイスを結ぶマゼンタ・ラインなどが延伸開業したそうです。229の駅があり、営業距離は314キロメートルと東京の地下鉄の304.1キロメートルを超えたとのこと。車両関連では、日本の三菱電機が韓国の現代ロテムやカナダのボンバルディアとともに関与しています。利用客は一日300万人で初乗りは10ルピー(約16円)です。地下鉄の営業距離は東京を抜きましたが、JRや私鉄を含めると東京圏の2,700キロメートルにはまだ及びません。
しかし地下鉄網などの延伸・開業は、交通渋滞の緩和、通勤時間の短縮、通勤圏の拡大、排ガスの改善、駅ビルのショッピング開発、沿線の住宅開発など着実に市民生活の向上につながっていることを実感しました。


インドの高速鉄道計画、ムンバイーアーメダバード間着工開始(2018年)

河野太郎外相は2018年3月、インドのスワラジ外相と日本で会談し、インフラ整備などに総額1,492億円の円借款を供与することで合意しました。円借款は西部ムンバイ都市圏の地下鉄整備など4事業が対象で、2018年度の対印円借款は過去最高の3,841億円となりました。「自由で開かれたインド太平洋戦略」の推進に向け、最重要パートナーであるインドとの経済協力を強化していく狙いです。会談では、インド太平洋戦略と、インドのモディ首相による東アジア重視の「アクト・イースト」政策を融合させて協力を強化する方針を確認しました。

インドのモディ首相と日本の安倍首相は、インドでの新幹線計画の拡大や人材育成支援等で合意しています。インドの高速鉄道計画は、ムンバイからアーメダバード間の高速鉄道に日本の新幹線方式を採用することが決まり、2018年から着工しました。全長505キロメートルを時速320キロメートル、2時間7分で到着するもので、2023年までには開業を予定しています。またインドの技術者を今後10年間で3万人育てる包括的人材育成支援を行い、2017年8月にトヨタ自動車はインド南部のカルナータカ州で職業訓練学校を設立しました。ほかにスズキ、ダイキン工業なども職業訓練学校を開いていく予定であり、日本のこうした地道な支援こそが、インドの継続的な発展のために必要と感じました。


インドのインフラ整備等の投資環境拡大と中間層拡大

モディ首相は、インフラ整備には特に力を入れていく方針です。中でも鉄道や港湾、電力、水道整備には力を入れています。鉄道インフラ建設では外資100パーセント出資を認めていく方針であり、そのほか防衛、原子力、金融、保険、小売業で外資への市場開放を進めていく方針になっています。
これまでインドは国内産業の保護や配慮を優先させたため、外資への市場開放が遅れていました。日本企業のインド向け投資が急拡大したのは2005年から2008年にかけてです。日本から中国向け投資が急増したのは1991年から1995年でしたので、インドは中国から約15年遅れで投資や開発が進んでいるといえます。

インドでは人口の1パーセントが富裕層で、インドの総資産の5パーセントを保有しているといわれています。貧富の格差が拡大していることはインドの大きな課題になっています。ただ、インドの中間層(年収 20~100万ルピー、40~200万円)は約1億5,000万人おり、日本の人口より多いので、今後消費が活発化すると大きな購買力になります。インドの中間層(中間層とは世帯年間可処分所得が5,000~35,000ドル以下の層を指す)は、2010年で約1.9億人だったが、2015年には約3.5億人、2020年には約6.2億人にまで増大すると予測されています。ITエンジニアの中間層、富裕層が増加しており、自動車などの購買層が拡大していくと思われます。


独立の父、マハトマ・ガンジー

インドは1947年に英国から独立しました。その後インドはソ連寄りの計画経済を行っていましたが、経済が停滞しはじめたこともあり、1991年に経済の自由化路線に切り替えたのです。

マハトマ・ガンジーは、1948年1月30日の夕方、いつものようにお祈りを捧げるために町に出て行く時に、ヒンズーの右翼の青年が人ごみをかき分けてガンジーの前に出て膝まずき、その体勢からガンジーの胸をめがけてピストルで3発発射しました。ガンジーはその場で「おお、神よ」と言って倒れ亡くなりました。この暗殺事件の背景には、ガンジーの態度があまりにもイスラムに寛容的であるとみて反発を招いたといわれていますが、ガンジーの真意を知らず、極右のヒンズーに暗殺されたのは残念でなりません。

インドの資本家ビルラー財閥がガンジーを支援していたこともあり、ガンジーはデリーのこのビルラ―邸をよく寄宿先として過ごしていましたが、そこを狙われました。

パリの凱旋門に似ているデリー市内のインド門
戦争で亡くなった兵士などの名前が彫られている
デリー市内
インド門と反対の道の向こうに大統領官邸が見える

インド門の南西のガンジー記念博物館はこのビルラー邸で、ガンジーが使っていた家屋や写真があり、中には暗殺時の血の付いた服も飾られています。
足跡が中庭に印され、中央で足跡が途切れていますが、そこが凶弾に倒れた場所という石碑が立っていました。そこに独立の父ガンジーの功績を風化させずに後世に残していくという決意が表れていました。

国会議事堂
インドは国土が広いので、国会議員は750人にもなる

IT開発の確固たる地位へ

インドはIT開発やITサービスで確固たる地位を築いているといえます。
ソフトウエアの開発では、世界の大企業の大半がインドに開発委託をしています。ソフト開発を他国に外注している全世界市場の65パーセントをインドが独占しています。
また経理等の間接業務を外部に委託するビジネスアウトソーシングの全世界市場の46パーセントをインドが獲得しています。将来この分野での市場は3,000億ドルと予測されており、インドが10パーセント以上占めるといわれています。
モディ首相はインドの魅力の一つとして低賃金で働く労働者の存在を挙げましたが、それだけではミャンマーやバングラディシュなど他の新興国の追い上げをかわせません。インドが得意とするITを応用した研究開発などにも対応できる高い技能を持った人材を多く育てることが課題になっており、欧米から人材教育のノウハウを吸収していますが、インドのITの動きから目を離せません。


インドで生まれた仏教が今では少数派へ

インドは仏教が生まれた国といわれていますが、国民の中で、仏教徒は1パーセント弱と少なく、ヒンズー教81パーセント、イスラム教13パーセントと合計で94パーセントを占めています。
仏教は紀元前5世紀にブッダが悟りを開き、教えが広がりました。仏教はカースト的な身分秩序を是認しなかったこともありインドでは正統派になれず、加えてイスラム軍の攻撃を受けて13世紀頃に衰退しました。
なぜ仏教徒が少ないかの理由を、インド人ガイドに聞くと、次の通り解説してくれました。
「仏教での仏さまは、人々が目覚めて自ら修行することで悟りを開き、仏になれるというもので、ブッダとしてのお釈迦様が実際に仏の教えを体得された。難行苦難の修行の末に悟りを開き、多くの弟子がその教えを聞き、修行を重ね、インドをはじめ他のアジアにも広めていった。仏の教えは、概念としては宇宙の真理そのものであり、人間の苦悩を解き明かし、煩悩を抑制して人間としての正しい道である悟りや人格完成を目指す教えだ。仏教は絶対的な神様のような存在はなく、自らも修行すれば仏になれるとの教えはやや難しいので知識人には受け入れられても、一般庶民には、受け入れにくかった。
これに対し、ヒンズー教やイスラム教には、絶対的な神様が存在し、わかりやすく、一般庶民にとってもすがりやすかった。ヒンズー教には絶対的な二大神であるシヴァ神やヴィシュヌ神がいるので、庶民は救いを求めて祈りをささげ、教勢が拡大した。
またイスラム教徒がインドに入ってきて、仏教徒との戦いになり、イスラムが勝ち、仏教徒はインドから追い出されてしまった」。
仏教は、インドから追い出されるようにして東南アジア(タイ、カンボジア、ベトナムなどは主に小乗仏教)や中国、韓国、日本には大乗仏教として伝来し、花開いたことは大変意義深いと思いました。
現在、インド内での宗教分布比率は、ヒンズー教(80.5パーセント)、イスラム教(13.4パーセント)キリスト教(2.3パーセント)、シーク教(1.9パーセント)、仏教(0.8パーセント)となっています。


アグラの世界遺産、タージ・マハルの魅力

インドの観光のゴールデントライアングルは、デリー、アグラ、ジャイプールで、この3都市は、世界遺産が7つと多く、観光地としては有名ですが、いずれも200キロメートル以上離れているので、バスでの移動に5~6時間かかります。
インドの世界遺産としてデリーのほかに、有名なアグラのタージ・マハルやジャイプールのアンベール城など見応えがあるものが多く、世界中から観光客が集まる理由が行って見るとよくわかりました。
インドのタージ・マハルはインド一の観光名所といわれています。ここは王様の宮殿ではなく、亡くなった王妃の霊廟です。その大理石の白亜の殿堂の美しさは目を見張るほどでした。世界中から多くの観光客を引き寄せる理由がよくわかりました。
白大理石は雨にも強く、水を通しにくく、黒ずまないとガイドが説明していました。
総大理石の白亜の廟は、インド・イスラム文化の代表的な建築物で、1983年、インドの世界遺産に登録されました。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンは、妃のムムターズ・マハルを深く愛していたが、1631年、ムムターズは第14子を出産した際に亡くなってしまったので、皇帝の悲しみは深く、最愛の妃を弔うために、最も美しい墓廟を建てることを決めたのがきっかけです。

こうして、1632年にタージ・マハルの建設に着工し、皇帝は常時2万人の労働力を投入し、22年の歳月をかけて、1653年にこれを完成させました。完璧な対称性を誇るその優美な姿は、「宮殿の光」「宮殿の選ばれし者」という意味の名を持っていたムムターズ・マハルにふさわしいものでした。
皇帝シャー・ジャハーンは、タージ・マハルの対岸に黒大理石の自身の廟を造るつもりでしたが、タージ・マハルの建設により財政が逼迫したことに加え、皇子たちの後継者争いも勃発したため、国庫を空にしてしまった皇帝は、三男(後のアウラングゼーブ帝)によってアーグラ城へ幽閉されてしまいました。
以後、皇帝は窓から毎日タージ・マハルを眺め、愛する妃のことを思いながら人生を終えたという悲しいストーリーがあります。王は国の財政を揺るがすほどの巨費をこれに投じてしまいましたが、長く後世に残るレジェンドを作ったことは注目に値します。

タージ・マハル(アグラ)

タージ・マハルは、南北560メートル、東西303メートルの敷地に建てられており、建物も庭園もすべて緻密な計算に基づく完璧な対称性を誇っています。墓廟の左右にはモスクと集会場が建てられていますが、これは他のムガル帝国の廟にはないタージ・マハル独特のもので、何度見ても飽きがこない美しい建物でした。


ジャイプールの世界遺産

ジャイプールは、首都デリーから南西へ266キロメートルのラージャスターン州の州都です。「プール」とは「城壁に囲まれた町」を意味します。ジャイプールはマハーラージャ・ジャイ・スィン2世が町を築きました。彼は天文学にも造詣が深く、1736年に天文台や日時計などを作りましたが、その精巧さには驚かされました。
アンベール城はアンベール王国の首都で、丘の上にある巨大な城です。ジャイセン王が1699年11歳で王様となり、39歳でこの城を築きました。城の豪華な作りから、マハーラージャ一族の繁栄ぶりが容易に想像できます。
王宮の赤茶色の壁は美しく、広大で豪華ですが、これを築城するためにどれほどの労働力が動員されたのかと思うと、汗と血の結晶のように見えてきました。
この城は、丘の上で涼しいのですが、水の問題がありました。水回りに苦労し、後の王は平地に城を作り変えました。

ジャイプールのアンベール城
アンベール城の城内の広場と中の装飾

かつての宮廷の女性たちは、「風の宮殿」の窓やテラスから街を見下ろしていました。
彫刻を施したテラスがびっしり並ぶが、奥行きは短いので風通しは良いといわれています。多くの宮廷の女性たちがここから街を通る人々を見て、どんな思いでいたのか想像すると興味が尽きません。

ジャイプールの世界遺産、ハワー・マハル
別名「風の宮殿」
ジャイプールの街角でコブラを操る蛇使い
写真撮影にはチップが必要

アグラ城は、タージ・マハルから2キロメートルのヤナム川岸にあります。ムガール朝の美しい建築様式で、城の外周は1.6キロメートルあり、美しい城壁と重厚な砦を併せ持った城です。どんなに立派な建築物を作って王様の権勢を誇示しても、その権力と栄華は永遠には続くことはなく、諸行無常を思い知らされました。

アグラ城
アグラ城の中庭

インド経済のこれまでの状況

1991年の経済危機以来、インドの経済は独立以来の社会主義的統制経済から、外資の導入、自由化、規制緩和を中心とする「新経済政策」を打ち出し、GDP経済成長率も波はあるものの、過去5年間、平均7パーセント台の高い成長を遂げてきています。
日本貿易振興機構(ジェトロ)の調査によると、インドのGDP構成比率は、サービス業59パーセント、鉱工業27パーセント、農業14パーセントとサービス業の比率が高い。中身は商業、ホテル、運輸、IT、金融などがあります。特にIT産業は得意分野なので成長の牽引が期待されています。
インドは「新国家製造業政策」により、製造業のGDP比率を16パーセントから2022年までに25パーセントに引き上げることを目標とし、10年間で1億人の雇用創出を計画し遂行しています。
インドの人口は約13.1億人と人口が引き続き増大傾向にあり、平均年齢は25歳と若く、豊富な労働力と爆発的な購買力があり、巨大な消費市場になっていくことは間違いないでしょう。


インドで人気の電気製品

停電や交通渋滞など、インドならではの特殊な状況から以下のような製品に人気があります。

テレビ
インドでは、街に人があふれ、車も渋滞しクラクションが多く、騒音が多いので、大音量へのニーズが強いです。韓国サムスン製テレビはインド人のニーズに合わせ、地域に合った10の言語の字幕をつけ、インド人がよく見る番組には簡単に操作できる機能をつけています。停電も多く、使い方もあまり理解しないでいじり回すので故障も多いため、家電製品は、故障サービスなどのアフターサービスが充実している商品に人気があります。
洗濯機
停電に備え、停電で動作が止まる直前の状態を記憶する機能が付いた機種がよく売れています。
冷蔵庫
インドでよく売れる「化粧品ボックス付冷蔵庫」があります。インドは暑いので化粧品が変質してしまうため、女性が化粧品を冷蔵庫で保存する習慣がありました。冷蔵庫の中に特別にボックスを設けたもので、これもヒットしました。中のものを家政婦などに食べられたり、盗まれたりするので鍵のついた冷蔵庫も人気があります。
電子レンジ
インドで幸福を呼ぶ数字である101のレシピのついた電子レンジが売れています。
携帯電話
停電で充電ができないことが多いので、携帯電話の裏側に太陽光パネルを付けたものがよく売れています。

日本企業の進出状況とインドでのビジネスの厳しさ

日本貿易振興機構(ジェトロ)の調査によれば、2018年10月時点での進出日系企業数は1,441社(前年同期比に5.3パーセント増)、進出拠点数は5,102拠点(前年同期比に5.5パーセント増)と増加しています。自動車産業ではマルチ・スズキが早くから進出し、浸透しています。製造業の他、近年ではサービス業も増加し、食品やスーパーなどが多く進出しています。日本企業のインド進出は、その魅力的な消費市場と若く豊富な労働力に期待して、これからますます増加すると思われます。
しかしインドの経済や社会での課題はまだ多く、以下のものが挙げられます。

例えばワークカルチャーの違いもその一つです。インドは終身雇用や定期採用の概念が薄く、離職率がとても高く、そのため終身雇用が一般的な日本の企業は優秀な人材の確保に難航しています。また強烈なトップダウン型の会社が多いことや口約束を重要視しない文化のため、管理職の頭を悩ませることが多いです。
社会インフラの不足が続き、特に輸送(港湾、陸送)、電力、水道インフラが劣悪で、港湾では荷揚げに2~3日、通関に4~5日もかかっています。
また、製造業が相対的に弱く、技術力が未成熟です。まだまだ外資企業の導入がスムーズではありません。
「ビジネスのしやすさ」世界ランキングで、インドは低位で、世界183カ国中、134位です。理由は、事業認可などのスピードが遅い、書類手続きが煩雑、効率が悪い、労働規制が複雑、不透明な行政権限などがあります。労務問題が複雑で労働組合が強く、ストライキによる工場停止などもあります。政官界と経済界との癒着や汚職への対策も頭が痛い点です。
しかし、多くの問題を抱えながらも、インドはそれらを改善し、確実に進歩・進化しつつあります。私たちは、息長く粘り強く柔軟に対応しながらも、したたかに、インドの社会に溶け込んで現地のニーズを把握しながら、インド社会に貢献していくことが大事だと考えました。


※ 当ページでは敬称を省略しております。記載されている会社名は、各社の商号・商標または登録商標です。
※ 各数値は、日本貿易振興機構(ジェトロ)、その他調査機関の資料に基づいています。
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