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世界の街角で見た文化・歴史

【第3回】 上海の発展と中国の今後の行方について

はじめに

上海のシンボルのTV塔はひときわ目立つ
夜になると高層ビルの夜景も美しい

上海(Shanghai)、そこは訪れるたびに街の景色や人々のエネルギーが拡大しているダイナミックな街である。上海の経済力は中国の中で最も豊かさを誇り、北京と並びチャイナパワーの中心である。元々1920~30年代の上海は、極東最大の都市であった。東洋の魔都とも呼ばれる上海は、人々の憧れの街であり人を魅了してやまない。
街の人々の表情は明るく余裕が感じられる。朝は街の至るところの公園で太極拳の体操をする人をよく見かけた。スローモーションのような動きで手足の関節を極限まで伸ばし、その表情は恍惚状態になっている。通勤も昔は自転車だったが、今は音も無く近づいて来てさっと過ぎ去っていく電動自転車やバイクや車が多い。南京東路の歩行者天国を歩くと上海の女性のファッションも確実に日本並みに近づいていることを実感する。
上海には伝統とモダンが織り交ざった独特の文化があり、私の好きな街である。租界地区(バンドエリア)や明の時代に造られた豫園のように伝統が息づいているところがあれば、一方で中国一の高層ビルや高級マンション、世界で初めて実用化したリニアモーターカーのように近代的で最先端の技術導入などがある。

歴史に翻弄された上海

右手に租界地区(バンドエリア)が続く

1842年アヘン戦争で中国は敗れ、イギリスは南京条約で上海を開港させ、イギリス、フランスが租界を設置した。租界はバンドの川沿いに南からフランス租界、イギリス租界、日本租界、アメリカ租界と北へ続いている。1920~30年代の上海は極東最大の都市であったことはあまり知られていない。1937年からの日中戦争で日本軍が上海を占領した時期もあったが、戦後毛沢東が中華人民共和国を設立した。
バンドエリアの象徴的建物である、旧香港上海銀行は租界時代の象徴であったが、日本軍が占領した時代には、横浜正金銀行(その後の東京銀行、三菱東京UFJ銀行)として接収された。そして1949年、中華人民共和国設立時には共産党の上海人民政府が置かれ、1966年からの文革時代は上海革命委員会が置かれた。現在そこは上海政府系の浦東発展銀行になっている。上海の発展の裏には戦争、革命、内乱、混乱の波に翻弄されながらも強く時代を生き抜いてきた跡が見える。

上海の発展

(1)中国最大の商業都市
上海は1978年からの改革開放後の30年強の間に驚異の成長を遂げた。上海の経済(GDP)も30年強で40倍にも成長した。その中の浦東地区の開発は1991年からであり、当時私が訪れたときはまだほとんど何も無い田舎の野原であったが、その後20年で急成長した。その立役者が鄧小平であり、上海開発の重要性を説きリーダーシップを発揮、南の香港と並ぶ一大経済地区を築くという青写真を作った。手本として日本企業など外資を積極的に誘致し、官民挙げて成長路線を走ってきた。2009年の人口は1,858万人であるが、出稼ぎ労働者の660万人を加えると、合計2,518万人居住している。人口は毎年30万ずつ増加しており、バイタリティーに溢れている。

(2)国際物流センター機能の発展
上海港のコンテナターミナル取扱量は、2,798万個(2008年)と世界第2位に成長した。(1位シンガポール、3位香港)多くの物流基地が上海にあり、港湾も整備され、荷揚げ量も増加しており、国際物流センターの地位を固めつつある。国別のコンテナ貨物取扱量は世界1位である。また浦東国際空港は航空貨物取扱量で世界第3位となった。(1位メンフィス、2位香港、4位仁川) ここは1999年に開港し、4,000メートル滑走路3本有する大きな空港である。2015年までにさらに2本追加する計画である。(成田空港は1978年開港し、4,000メートル1本と2,500メートル1本のみ) 上海は空港面でも、韓国の仁川国際空港や香港国際空港とともにアジアのハブ空港を目指して発展している。

(3)金融センター機能の発展
上海証券取引所の株式売買代金は2009年に世界第3位となった。また上海先物取引所は434百万枚と世界の商品先物取引所売買高で世界1位に上昇した。中国人民銀行も上海に第2本部を設立し、外銀を浦東地区へ集約し、外銀への人民元の取扱いを緩和するなど、金融センター機能を高めている。上海では三菱東京UFJ銀行は従業員が約1,000人とアジアで最も大きく、香港上海銀行(HSBC)、Citiと並び、外銀の中でも大手有力銀行の一角として業務を行なっている。

(4)国の威信をかけた上海万博

上海万博の赤い建物の中国館

2010年5月1日に上海万博が開幕し、万博160年の歴史の中で途上国では初めての開催であった。国の威信をかけ、国威発揚型の万博を目指した。万博の総投資額3,720億円、2010年5月~10月末迄の開催期間で242カ国が参加した。最終的に万博入場者数は7,308万人となり、日本の大阪万博の6,421万人を抜き、史上最多となった。また、万博開催による観光客の消費に伴う上海市への経済効果は2,500億元(3兆4,100億円)と言われている。温家宝首相は「万博の成功により、中国の改革開放の自信と決心がさらに強固になった」と強調した。開催中、会場内では電気自動車が使われガソリン車は皆無、中国館ではハイテクビジョンが披露され、上海万博はまさしく驚きをもって成功裏に終わった。
現在、上海は次のイベントターゲットとしてディズニーランド建設に注力し、2014年に開幕すべく突貫工事中である。(浦東空港近く400ha)これにより香港や東京まで行かなくとも楽しめるようになり、大いに期待されている。

(5)上海からの新幹線(高速鉄道)
2010年7月に上海と南京の301キロメートルを最短73分で結ぶ新幹線が開通した。最高時速350キロメートル、投資額は5,600億円。新幹線沿線の都市には、蘇州、無錫、鎮江など日本企業や外国企業の工場も多く集積しており、1時間以内で結ばれることで上海を中心とした経済圏がより拡充した。
また上海―北京間の新幹線も突貫工事で進み、見る見るうちに高架の橋梁があちこちでつながっていった。2011年6月30日に前倒しで開通した。所要時間は現在の10時間から4時間48分と半分に短縮された。全長1,318キロメートル(日本で言えば東京から久留米あたりまで)を時速300キロメートルで走り抜ける。日本の2011年3月の東日本大震災を意識して、政府は「スピード」を売り物にするのではなく、むしろ「安全や価格の安さ(2等席で6,900円)」を強調していた。しかし一方で、2011年7月に温州市で高速鉄道列車が衝突・脱線し、死傷者が200人以上出る大惨事を引き起こした。突貫工事で急いだため安全対策が十分追いついていなかったのではないかといわれている。「中国版新幹線」は日・欧・加の技術の寄せ集めといわれ、運行管理システムは中国自前だが、事故原因はどこにあったのか、再発防止策や情報を公開し、早く信頼性を回復して欲しい。

(6)アジア最長の上海地下鉄網とリニアモーターカー

世界発の実用化リニアモーターカーが空港と上海を結ぶ

上海の地下鉄建設が拡充し、総延長キロメートルは330キロメートルと東京メトロと都営地下鉄の304キロメートルを抜いてアジアで最長となり、世界でも第3位になった。今後もさらに交通インフラには力を入れていく方針である。また世界初の実用化リニアモーターカーも浦東国際空港と浦東中心地の間を運転中である。走り出しは車輪で動き、速度がつくとふわっと浮いたような感じで飛ぶように走り、3分半で最高時速431キロメートルの車内表示が出ると歓声が上がった。そのあとは減速し始め、合計30キロメートルを7分で走り抜ける。技術はドイツシーメンス製であるが、ドイツ国内ではまだ実用化していない。安全面で完璧にならないと実用化しないという声も聞く。またリニアモーターカーの上海市内延長に対しては、電磁波が人体に悪影響を与えると住民から反対運動が盛り上がり、リニア延長計画は中止され、地下鉄建設主体となった。昔の中国では住民の政府への反対運動で変更など考えられなかったが、住民の意思が政治に少しずつ反映するようになってきたことを感じる。

(7)上海への日系企業の進出数は約5,000社
製造業の中国新規の進出はひところより減ってきてはいるが、既存進出先の拡充は増加しており、さらにユニクロのような中国市場の内需を睨んだ販売としての小売業進出が増加傾向にある。食品会社の進出も多い。イトーヨーカ堂は成都の内陸部にも進出。イタリアンレストランのサイゼリヤは上海に進出し若者でにぎわっていた。牛丼の吉野家、カレーのCoCo壱番屋も出店数を増加中である。ヤオハンデパートは和田会長が苦労して建てたデパートで、彼に敬意を表してヤオハンの名前は残されているが、デパート経営はすべて国営企業に渡ってしまったのは寂しい限りである。他方中国はドイツと経済・貿易面で極めて緊密な関係にあり、ドイツ企業も多く進出しており注目しておく必要がある。フォルクスワーゲンの中国乗用車市場でのシェアは16.4パーセントと最大である。

(8)18階建て以上のビルは、4,700棟 (オフィスビル、マンション)

高層ビルマンションが林立する上海の浦東地区
南京東路の歩行者天国は夜になっても多くの人で賑わう

東京は1,000以上であるから上海にはその4倍以上あることになる。浦東地区は摩天楼のように高層ビルやマンションが目立つ。高層ビルの外観は奇抜なデザインが多く実用的にはどうかと思われるものも多い。上海は地震がないので、ビルの鉄骨の鋼材の量も少なくて済み、工期も早くあっという間にビルが建つという。

(9)消費都市・上海
上海の目抜き通りである南京東路の歩行者天国は日本の銀座以上の賑わいがあり、デパートや専門店も多く高級品も良く売れている。ただブランド品など高級品は税金が高いので、日本に来て買う富裕層も多い。女性のファッションもカラフルになり、先進国に近いファッションになりつつある。経済が豊かになるほどその国の女性のハイヒールの踵がアップする傾向があるがそのとおりになっている。
旺盛な消費で且つ貯蓄しない若者を「月光族」と呼び近年増加している。これは毎月の給料をその月のうちに使い切ってしまう若者を指す。将来のために貯蓄もせず、給料を全部きれいに使いきり消費社会にどっぷり使っている若者だが、都市部の家庭では一人っ子が殆どのため、いざとなったら両親から補助してもらえるという背景もある。2009年の上海の1人当たりGDPは13,189米ドルと中国で第1位の豊かさを享受しており、消費が旺盛である。ただ同じ上海の中でも貧富の格差が広がりつつある。

(10)上海環球金融中心
森ビルが建設した中国一高いビルで492メートルある(2011年現在世界3位)。100階にある展望台は世界一の展望台である。森ビルは反日感情の波に翻弄され、1994年着工から2008年完成までに実に14年も要した。1997年は香港返還の翌日からアジア通貨危機が発生し大幅遅延。2001年には米国9・11テロ事件が起き、中国政府から飛行機が衝突しても崩壊しないビルを建設せよと設計変更指示あり。2005年には小泉元首相の靖国神社参拝により日中関係が悪化し工事中断。再開後ビル頂上のデザインが日の丸を連想させるから丸から四角に変更させられた。次に2006年には、2008年の北京オリンピックに間に合わせるようにと突貫工事圧力がかかったが何とか無事に完成できたとのことである。

森ビルが建設した中国一高いビル(右から2番目)

ネーミングも、要望していた「上海ヒルズ」は許可されず、中国側の指示で「上海環球金融中心」となった。日本企業が中国一の高いビルを建てたことへの、中国人の屈折した複雑な感情、反日感情も背景にあるのか。現在、この上海環球金融中心ビルの設備管理(空調、電気、機械、ボイラー、エレベーターの保守管理)は日本のビルメンテナンス会社が行っている。日本人3名が中国人100名を使って、日中の文化ギャップに戸惑いつつ、日本流の高い品質維持管理の指導や中国人の定着化など労務管理に苦労しながらも業務を行なっている。

中国の今後の課題と行方

(1)環境破壊、公害の拡大、エネルギー効率の悪さ(CO2排出世界1位)
中国は、石油、石炭、セメント、アルミ、地下水などの資源の大量消費による経済発展の影で、公害、車の排気ガス、工場の大気汚染と水質汚染、水不足などで環境対策は喫緊の課題となっている。2007年のCO2排出量は年間60億トンで、米国を抜き世界第1位となっている。2008年のGDPが世界の7.3パーセントであったのに対し、同年の粗鋼消費量は世界全体の36パーセント、石炭は41パーセント、アルミ29パーセント、石油9パーセント、セメントは40パーセント以上消費している。
またエネルギー効率が悪く日本の6分の一であり、1万ドルのGDPを創出するために中国が消費しているエネルギーは米国の3.5倍、ドイツの6倍、日本の6.5倍にも及んでいる。一方、政府も対策を講じてきており、太陽電池や風力発電にも力を入れ、原子力発電も関心が高い。ただ日本の福島原発事故の影響で見直しがなされており、住民運動などもあり、紆余曲折が予想される。経済が急成長したからこそ発生したといえるが、公害や所得格差など社会のひずみが噴出してきた。上海の空はスモッグで黄色くなることが多いが、万博期間中は交通規制やビル建設を止めたので空が青かった。上海ではまだ水不足はないが、北京では地下水のくみ上げ過ぎや郊外の砂漠化が進み、深刻な水不足でレストランでは皿にサランラップを敷いて料理を盛り、食べた後サランラップを捨てるだけで皿を洗わないところもあったほどである。

(2)労働人口の減少(人口減少時代へ)と高齢化
現在は農村部での数億人の労働人口過剰、都市部では人材不足という需給のミスマッチが起きている。政府は農村部での就業訓練などに力を入れている。しかし労働人口は2015~2016年をピークに減少に転じる。これは1979年以降の「一人っ子政策」による人口ピラミッドの歪みが原因である。総人口に占める0~14歳の割合は、1982年は33.6パーセントであったが、2009年には18.5パーセントにまで低下している。これは新たな働き手としての予備軍である子供の数が急速に減少していることを示している。出生率も1.33(2005年調査)と日本の1.37よりも低いのである。
人口の高齢化も急速に進展し、日本以上に加速している。現在60歳以上の高齢者は全人口の13パーセントだが、2020年には17パーセント、2050年には30パーセント以上となる見通しである。2016年以降は人口が13.5億人をピークに減少に転じていく。今後従来のような無尽蔵な労働力供給は期待できなくなり、サービス産業の振興、産業構造の高度化が必要になっていくと思われる。

(3)社会格差の拡大(所得格差→民族問題)
沿岸都市部と内陸農村部との所得格差が、経済成長に伴いさらに広がっており、所得格差の拡大が社会不安、民族問題に発展するのを政府は最も恐れている。上海市1人当たりGDPと内陸の貴州1人当たりGDPとの格差は10倍もある。(日本では東京都と沖縄県の1人当たりGDPの格差はわずか2倍) 都市部と農村部との間の平均的な値でも3~4倍以上の所得格差がある。日本の大手銀行上海支店の入社5年目位の女子事務社員年収は約80万円だが、日本では同等レベルでその4倍を越える。一方上海の都市内部でも貧富の差が拡大している。ハイテクを駆使した豪華マンションがある一方、豫園の近くにはトイレの無い家も多くあり排泄物を共同の桶に捨てている。シャワーが無い家も多い為、帰宅する社員用にシャワーがいくつか設置してある企業は就職先として人気が高い。
2010年、中国では自殺者数が25万人と世界第1位となった。自殺未遂は200万人に上る。貧困は社会不安のみならず、民族問題にもつながる。このため、政府も神経質になっており、農村部への職業訓練や家電や車購入補助金(家電下郷、汽車下郷、以旧換新)などの優遇政策などを実施している。この所得格差の拡大は社会の不安定さを拡大し、共産党政権の基盤を揺るがしかねない危険性を孕んでいるため、中国政府は、現在のスローガンである「国強民富」(国が強くなれば民も富む)から、「民富国強」(民を豊にして、国の繁栄が実現できる)の基本方針に転換した。2011年度からの5カ年計画では経済成長率は7パーセントとしており、高成長から安定成長へ軸足を移した。今後も貧富拡大への国民の不満解消対策などに力を入れていくであろう。

(4)中国の賃上げ等に見る労使関係の複雑さと金融政策との矛盾
2011年3月に北京や上海の当局は外資系企業の最低賃金を中国企業の1.5倍に引き上げる指導を始めた。これは日系企業の経営圧迫要因となる。中国では賃上げの動きが止まらない勢いである。昔は高い技術を持つ労働者の賃金が上昇していたが、今は一般の労働者の賃金が急速に上がっている。インフレが進む中で賃金を引き上げると物価上昇を起こす。それでも賃上げするのは、貧富の格差拡大と物価上昇に対する労働者の不満が高まっているためである。当局は金融引き締めと賃上げ上昇の指導という矛盾した政策を採らざるを得なくなっている。
中国では2005年に発生した反日デモ以降、共産党が全てを仕切る手法ではなく、工場や企業での草の根レベルでの労使関係を通じて労働者の権利意識を向上させる動きが増えてきた。たとえば2008年には中国政府が社会調和を掲げ、労働者の権利をより強化するために労働契約法を改正した。企業に対し10年間勤めた従業員への終身雇用を義務づけたり、労働条件で不満がある従業員が労組を通さず経営側に直接不満をぶつけることができるようにするなど、国は労働者の権利意識の高まりを促進してきている。この傾向は今後さらに進んでいくと思われる。

(5)「経済利益を以って、国家の政治利益を得る」
中国政府がここ数年よく使う言葉である。これは国家の外交交渉では、相手国に対し政治的パワーを有効に使うために、相手国が中国で得ている経済的利益を政治的に制御してしまおうというものである。例えば、2005年、日本の小泉元首相が靖国神社を繰り返し参拝し中国の逆鱗に触れ、日系企業の中国進出の許可が中止になったり、新幹線計画の売込み工作入札からはずされてしまったりしたことなどがある。
こうしたことがたびたび起こると、海外から中国に進出する企業は経済合理性が通じず、商取引の契約等が、政治的な圧力で反故にされるという政治リスクを常に意識しなくてはならなくなる。2009年3月時点では、中国は米国債を7,679億ドル購入しており、日本を抜いて世界最大の債券保有国になった。中国はこれを梃子に投げ売りをちらつかせながら、米国からの人権圧力や人民元切り上げ圧力や台湾問題を強く牽制している。
中国は国家の政治利益や政治判断が、経済利益や実務判断よりも優先される国であるということをビジネスをする上でよく認識した上で、日中認識ギャップが起きないようにうまく立ち回っていくことが賢明である。

(6)「経済的自由や所得の向上は、政治的自由の要求拡大につながる」矛盾の克服
Economic Freedom はPolitical Libertyにつながるものである。鄧小平以来の「社会主義市場経済」で発展してきた中国が、内在的に持っていた自己矛盾をどう克服していくか。人々は経済的に豊かになればなるほど、政治的な自由、人権など民主主義的な権利を主張するので、民主化せざるを得なくなる。2008年末、多くの反体制知識人が憲法改正、三権分立、人権、連邦制などの政治改革を要求し逮捕されたが、現在も釈放されていない。
共産党一党独裁で今後も封じこめることができるのか。政府も徐々に政治的自由や市民の権利に徐々に柔軟になり、緩和化して政府不満の解消に努めている。共産党や政府も昔ほど国民を抑圧しなくなり、豊かになった国民も昔ほど党や政府を恐れなくなった。逆にインターネットなどで政府を皮肉ったり、批判している意見なども見受けられる。
世界的な事例から見ると、1人当たりのGDPが2,000ドルを突破すると政治の民主化が起こるといえる。2009年中国の1人当たりGDPは3,600ドルと予想より早く2,000ドルを突破した。スペインで1936年から40年続いたフランコ独裁政権の例では、1970年代に入り、スペインの1人当たりGDP が2,000ドルを超えた後に直接選挙が導入され、民主化が実現した。韓国や台湾でもやはり2,000ドルを超えたときに民主化運動が起こり、現在では民主主義が定着している。一方、チリやミャンマーは2,000ドル以下の時代に民主化運動が起き、結局挫折してしまった。
中国では、1989年の天安門事件は民主化を求める市民運動が不満とともに爆発したが(当時1人当たりGDP は2,000ドルには至ってなかった)、鎮圧された後は共産党の締め付けは厳しくなり、その後民主化が後退し、政治体制の改革はタブーになってしまった。
2011年3月、中東のジャスミン革命に触発され、北京などで共産党一党独裁反対や民主化を求める集会があったが、中国当局によって徹底的にマークされ、集会は封じ込められた。
「北京コンセンサス」とも呼ばれる中国モデルは、共産党の1党支配を堅持しつつ、経済の市場化による発展を持続させるものである。官主導の強制措置が金融危機後の迅速な景気回復につながったという評価もある一方で、「民主化なくして社会安定と経済成長持続なし」という見方もある。
中国にとり、政治体制のソフトランディングは経済的な軟着陸より難しい。民主化を定着させるには、経済的な中流階級の層が厚くならないと出来ない。中国ではまだそこまで形成されておらず、一部の都市の富裕層と貧しい農民層が混在している状況である。拙速な民主化をすると政局が不安定になり経済成長も挫折してしまうので、徐々に民主化を進めていくことになるだろう。

おわりに

日本は既に中国と企業進出や貿易等経済的に極めて密接な関係にある。日本は中国に対し販売市場など量的に対中依存度を高めており、中国は技術やソフト面で質的に対日依存度を高めている。中国も徐々に変化しており、長い目で見れば先進国に類似した中国的な民主的国家に近づいていくと思われるが、多民族国家であり、権力闘争もあり、束ねていくのは大変なのでもうしばらく時間がかかるであろう。
日中戦争時に、中国人が抱いた痛みや悲しみへの思いやりを謙虚に持ちつつ、しかし卑屈にはならず、我々一人ひとりがそれぞれの分野で対話や知的交流・スポーツ交流・文化交流などを粘り強く重ね、未来志向の信頼関係を地道に築いていくことが大事なのではないだろうか。


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