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世界の街角で見た文化・歴史

【第6回】 タイのバンコクと古都アユタヤを訪ねて

タイの男子は3年間出家すると見違えるほどいい男になって戻ってくる

タイのバンコクの昼間は、暑さと湿気で体中が汗だくになる。しかし朝は実にすがすがしく気持ちが良い。早朝に散歩するといろいろな発見ができる。黄色の袈裟(けさ)が鮮やかな僧侶が背筋をピンと伸ばして一列に整然と並んで街をはだしで歩き、托鉢(たくはつ)で市民から食事のご飯やおかずを受け取っている姿を目にする。僧侶に供物を差し出すことは徳を積むことになるので市民はありがたく手を合わせている。タイは敬虔な仏教国なので、一般に人々は温厚で物腰が低く思慮深い。

バンコク最古の寺院ワット・ポーの回廊には修行する僧侶の坐像が多く並んでいた。
バンコクの王宮の中は金箔が多く使われ、まばゆいほどで、観光客で賑わっている。

男子は青年になると3年ほど出家して厳しい仏道修行に励む。3年後、見違えるほどのいい男になって還俗(げんぞく)するときには、親戚中で盛大にお祝いをするのである。
タイに行った際に、出家したことのある人から出家の様子について話を聞くことができた。タイ仏教では227条の厳しい戒律を守って行動しなければならない。戒律の数だけ煩悩や欲望があるといわれ、戒律を犯せば破門追放になる。
男性のみが世俗から解脱して仏門に入り、僧侶として厳しい修行を積まねばならない。日の出とともに起き掃除や読経、写経、経典の学習、説法、自己反省などに取り組む。食事は人々からの喜捨(布施)によってまかなわれており、午後の食事は禁じられているので朝と正午前の1日2回のみの食事である。ちょっとおなかがすいたからコンビニでお菓子やジュースを買うというわけにはいかないのだ。また出家中は経済活動もしてはならない。

タイ仏教では、修行中の男性僧侶だけが救済の対象となっているが、女性や僧侶でない男性などの一般市民は、僧侶に喜捨をすることが徳を積むことになり、徳を積めば積むほど救われ、成仏でき来世での生活が保証されると説かれている。僧侶も市民からの喜捨が無ければ生活できないので、社会全体としてバランスが保たれている。
タイ仏教の特徴は、一生涯僧侶の人だけではなく、このように3年程度短期で修行する「一時僧」が多いことである。たとえ短期間でも僧侶となり仏教を学び、厳しい戒律を守って修行した男性は、立派な社会人としての社会的地位を得ることができる。出家して初めて一人前になれる。成人しているのに一度も出家したことが無い人は「未熟者」と呼ばれ、結婚のときには女性側の親に嫌がられるという。

タイでの人生の大イベントは、出産、卒業式、出家式、結婚式、葬式である。出家は親孝行にもなる。親にとって子どもを仏門に入れて修行させることは最高の徳になるので、親はなんとかして息子を出家させようと説得し、出家式では親はうれしくて泣く。女性は規則上出家して仏門に入れないので、その夢を息子に託すのである。出家中は親子関係が無くなり、僧侶と市民との関係になり、僧侶になった息子の方が上になるが、出家が終わると元の親子関係に戻るのである。
3年間しっかり修行した人は、我慢強く自己節制ができ、思慮深く相手を攻撃せず物事を調和的にまとめ、人の道に外れず、知恵と慈悲に溢(あふ)れた人間になるという。現実の社会に戻ると駆け引きや競争で清濁併せ飲まなければならないこともあるが、それでも日々反省する習慣は付いているそうである。

修行後社会に戻って来ることを「還俗」と呼ぶ。これは修行に失敗して落後者となったということではなく、その人の人生の最大の仏教行事である厳しい出家修行を修めたということを意味し、大いに歓迎される。通常の出家期間は3年間が多いが、近年1年や6カ月も増えてきているという。企業によっては、1カ月程度の「出家休暇制度」を設けているところもある。出家期間中は納税免除、兵役義務免除などの恩恵がある。
ところが近年では都会の若者は、楽しみも多く食べることに困ることもない。彼女でもいれば、エンジョイしている生活を捨てて、寺で厳しい修行に励むなどとても耐えられそうもないと初めから諦めるので、一度も短期出家しない男子が増えてきていると年配者は嘆いている。いつの世も、どこの国でも年配者が若者を憂うるのは同じである。
それにしても3年出家して修行すると見違えるほどしっかりして思慮深くバランスが取れた男子になるなら、草食系の多いどこかの国に、爪の垢(あか)でも煎じて飲ませたいものである。

バンコクの車渋滞の中で感じたカルチャーショック

バンコクの車の渋滞はすさまじいと事前に聞いていたが強烈だった。夕方ショーのあるレストランに食事に行くのに、すいていれば車で30分のところを、渋滞を予想して1時間前にホテルを出発したが、結局1時間40分もかかって、予約時間を40分オーバーして到着した。交差点での赤信号の時間がとても長いので、その間に何百メートルもの渋滞になってしまう。政府も信号システムをいろいろと試行錯誤しているようだがまだまだ道険しである。タイに進出している日系企業は、約1500社あるが、現地の生活ではこのような交通事情に苦労されている日本人駐在員も多いと聞いた。


バンコクの寺院では多くの市民が熱心にお経をあげていた。

ところでこの車渋滞でカルチャーショックを受けたが、それは渋滞のことではない。マイクロバスの運転手が、道路沿いにある仏教寺院の前を通るたびに手を合わせていたので、不思議に思って通訳ガイド経由で聞いたところ、運転手はこう言った。「この渋滞のおかげで、こうして多くの寺院の前で手を合わせて祈る時間が持てて実にありがたい。いろいろな寺院がありこの運転席から寺院の境内が見え、僧侶が修行している姿も見える。いずれ自分の息子も修行に行かせたい。皆の修行が無事成就できるように祈っている。自分は世俗的な仕事をしていても、心は世俗に流されず清く平和であり毎日幸せを感じている」

私はこの言葉に込められている運転手の心の深い部分に胸を打たれた。何と素晴らしい心なのだろう。人生での幸せとは何か、本源的な問いを突きつけられた気がした。このとき自分は、早く目的地に到着しないかと苛々し、渋滞に強いストレスを感じていた。日頃も、会社では効率や業績重視の組織の中で忙しく過ごし、ともすれば心の平穏さを見失いがちなことにも気づいた。運転手の話から、今の自分の心がけ次第で人生は幸せにも不幸せにもなることをあらためて感じた。

アユタヤ遺跡に見る山田長政の活躍と日本人に流れるDNA

アユタヤにある「ワット・ローカヤースッター」の涅槃仏像。黄色の袈裟がまぶしい。タイにはこのスタイルの仏像が多い。
アユタヤの王宮の王の仏塔である「ワット・プラシーサシペット」遺跡群。3人のアユタヤ王が眠る。
アユタヤの王宮の遺跡。「夏草や兵どもが夢のあと」にぴったりの光景である。
アユタヤの王宮の遺跡の前にて
ワット・マハタート内には幻想的な仏像が鎮座している。
ワット・マハタートは朽ち果てそうな遺跡だが、当時の栄華を偲ばせている。

バンコクから北へ80km、車で約2時間のアユタヤという町を訪れた。チャオプラヤ川の中州にあるので、水運が栄え外国との交易の街として発展し、1350年から1767年まで栄えたタイの古都である。1991年に世界遺産に認定され多くの仏塔や寺院の遺跡があり、往時の繁栄をしのばせる。2011年に起きたタイの洪水のときは、アユタヤの遺跡群が水没し観光客が入れなかった。水が引くと今度は遺跡にカビが生え黒ずんで臭くなってしまった。そこで、多くのボランティアが遺跡の石を洗ってよく磨いたら、今度は石が白くなりすぎて歴史の風格がなくなってしまったという。近くで見ると白くてきれいなので、新しく建立したような錯覚を覚える仏塔もあった。
しかしアユタヤ遺跡の中にはオーラがあった。アユタヤ王朝は約400年栄えたが、ビルマ兵に侵入されて敗れ、町が燃やされて廃虚と化した。町の栄華と衰退、人々の欲望と怨念が遺跡の中に渦巻いている気がした。
強い日差しの中、草が茫々(ぼうぼう)と生えている中に、王宮の遺跡や王の墓などがある。松尾芭蕉の俳句である「夏草や兵どもが夢のあと」が自然と口に出てしばし佇(たたず)んだ。

ここアユタヤには400年ほど前に山田長政が日本からやってきて活躍し、日本人町が栄えた。関ヶ原の戦いで敗れた兵たちも、船を乗り継いで苦労してこのアユタヤにやって来たという。山田長政は駿河出身で城主のかごかきをやっていた。1610年頃に一獲千金の夢を求めて長崎から台湾を経て苦労の末、タイ(シャム)に御朱印船でたどり着き、アユタヤで傭兵の部隊に入った。傭兵の仕事が暇なときは大工の仕事、商売や貿易商の仕事も行った。先を読んで行動し才覚があり信用を大事にしたので、次第に認められより大きな仕事を任されるようになった。戦でも軍師的な才能を発揮して組頭になり、やがて国王にもその活躍ぶりが伝わり大きな部隊長になった。彼は親分肌で面倒見も良く、人の話をよく聞き考え洞察力があり問題を解決した。仕事ではいつも創意工夫をしながら勤勉に働いた。ついには武勲が認められ地方の王国の王(現在の地方長官)にまで出世した。しかし彼は国王の王位継承争いに巻き込まれ反対派の罠に引っかかり、毒殺され悲劇の人物となった。その後アユタヤの日本人町は謀反の疑いをかけられて王の軍隊から焼き打ちに遭い、1,500人ほどいた日本人の多くが亡くなり、さらには江戸幕府の鎖国令により日本人が来なくなり、日本人町は消滅した。

私はガイドから山田長政の活躍ぶりを聞きながら、そこに日本人の血に流れている勤勉さのDNAを見た思いがした。タイ人は仕事が暇になるとのんびり休むが、山田長政は暇ができれば他に仕事はないか探して、問題意識を持って仕事に取り組み、マルチ人間として実力を磨き応用力を身につけていったのである。
日本人にとって仕事は忌み嫌う苦行や贖罪のための苦行ではない。仕事を通じて努力精進し自己実現を図ろうとする考えがあり、それこそが修行そのものである。一心不乱に仕事や研究開発に没頭してお客様が喜ぶ良い物を作ることに達成感や生きがいを感じる。現状に満足せず常に自己反省し、大きな目的に向かってチームで協力し合いながら切磋琢磨する。
日本では、自分の利益ばかり考えるのではなく、相手の立場も考えて利益を考えるという自利利他の心、慈悲の心や自己節制がある。人は仕事を通して人格が磨かれるという仏教的な発想がある。

緊急事態のときにはライバルでも助ける風土が日本にはある。東日本大震災で大きな被害を受けた東北の企業に、ライバルの企業が機械や労力を貸し、助ける努力を惜しまなかった。そこには「困ったときはお互いさま」と言い、助けてもらった企業も「おかげさまで復旧しつつあります」と感謝しあう風土がある。
また日本人は物にも魂が宿っていると考える。日本人は「ものづくり」が得意であり、日本はロボット大国である。工場ではロボットに「ももえちゃん」「ゆうこちゃん」など愛らしい名前をつけたりして馴染み、ロボットと共存している。ロボットにもいのちがあると考えるのは、あらゆる物にはいのちがあると考えるからである。日本ではもともと自然崇拝のアニミズム信仰の影響もあり、物を心と同じように大切に扱う「物心一如」の精神がある。日本では昔から物を作る人の社会的評価は高い。

ソニーの創業者である井深大氏は「仕事の報酬は仕事である」と言ったが、こうした考え方は日本人の中にある。これは「良い仕事をすれば、新たな仕事がお客様や会社内から入ってくる。さらに心を通じ合う多くの仕事仲間を得ることができる。自らの技術力や専門性を高めることもできる。決して金や名誉や地位のためだけに仕事をするのではない」という意味だが、こうした意識は多くの日本人の心の中にある。
異国の地で苦労しながらも努力して成功し、無念の死を遂げた山田長政に思いをはせつつ、現代のわれわれの体にも流れている日本人の良きDNAを受け継ぎ、次の世代へと伝承していきたい。そう思いながら、夕焼けに染まるアユタヤの空を見上げた。


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