NTT DATA Trusted Global Innovator

NTTデータ ルウィーブ株式会社

世界の街角で見た文化・歴史

【第1回】 台北の銀座、頂好にて感じた台湾

台湾の台北一のショッピングエリアで、台北の銀座と言われる「頂好」(ちょうこう)というエリアを訪れた。「頂好」は、ブランド品や化粧品、時計、ハンドバッグの店、エステ、有名レストランなどが集まり、若い台湾人カップルや夫婦連れが多く、夜もにぎやかな街である。
地下鉄MRTの板南線の「忠孝復興」駅から、東の「国父記念」駅ぐらいまでの繁華街を「頂好」地区と呼ぶが、レストランやデパート、ショッピングセンター、ファッションの店などが軒を連ねている。
「頂好」を歩いてみたり、話をしたりして、台湾の人々の生活や街の雰囲気、活気などを直接肌で感じることができた。

頂好の象徴である、太平洋そごう百貨店。 豊富な品揃え、高品質の日本製品が並び、店内は人で賑わっている。

まず1番目が、「頂好」の象徴である太平洋そごう百貨店の存在感の大きさである。
そごうは、1987年にオープンしたが、ちょうど台湾での戒厳令が解けた時期と重なっている。それまで内に秘めていた台湾人の自由を求める旺盛な消費意欲や開放感が、本物の日本を売る店に殺到したことは容易に想像できる。店の雰囲気、明るい照明、おしゃれな陳列、愛想の良い店員のサービス、豊富な品揃え、品質の高い日本製品やファッションが並んでいた。
多くの市民が国民党政府時代を忌み嫌い、その結果相対的には日本統治時代の方がましだったと親から聞かされた子供の世代が、戒厳令下で抗日教育を受けつつ、本当の日本はどんな国なのか、経済・文化が発展して豊かな国だと聞いているがどんな国か興味を持っていたところ、そごうを実際に見て、やはり自分の国とは違いかなり進んでいると確認したのである。そごうは台湾の小売業に革新をもたらし、親日感情を裏切らないシンボル的な場所となった。
現在、そごうの親会社が破綻したことから、台湾の財閥である遠東グループに経営が移っているが、台湾ではそごうブランドは健在である。2007年にはそごうの新館ができ、さらに高級感あふれる店舗作りになっていた。

2番目は、日本語を話せる人が多いということである。
それは日本が台湾を統治した時代が、50年続いたことも関係している。日清戦争で割譲を受けた1895年から1945年の太平洋戦争敗戦までのちょうど50年間、日本が台湾を植民地として統治したのである。日本は電気、水道、道路や鉄道などインフラ改善に努めたので、後の搾取一方だった国民党政府とは違い、相対的に日本統治に好感を持つ人は多い。一方で日本の戦争に駆り出されたり、日本統治時代にひどい目に遭ったと恨みを持つ人もいる。
日本語を話せる人が多いのは、日本が50年間、台湾統治時代に日本語教育を台湾人に強制した遺産でもある。シニア世代は日本語を話せるが、自分たちの台湾の文化、生活様式を無理やり日本式に変えさせられたという思いを持つ人もいる。また民主化前の戒厳令下では、反日教育で育った人たちも多い。良い意味でも悪い意味でも日本を意識して育ってきた世代である。
一方、若い人の中には、大学で第2外国語として日本語を勉強する人がかなり多く、卒業までには話せるようになるという。日本のトレンディードラマ、映画、アニメなどのレンタルビデオからも日本語を学んでいるそうである。それに比べて日本の大学で第2外国語を勉強し、話せるようになった人は少ないのではないかと思う。
また、日本のファッションや歌手や俳優も人気があり、日本への好感度は高い。

3番目は、熱烈な日本ファン、日本びいきの『ハーリー族』の存在である。
ハーリーとは好きという意味の台湾語なので、日本憧れ族という意味である。日本で流行したものは、次に台湾で流行するものが多いため、日本への関心が高く、日本の文化を何でも吸収しようと日本の情報に敏感で、日本食を愛し、日本の最新映画、エンターテイメントを好み、日本のファッションにも敏感である。
また雪を見に札幌に行ったり、日本の温泉に行ったり、新幹線に乗りたくて東京から京都に行ったり、ディズニーランドやドーム球場に行ったりと日本への観光も盛んで、まさに日本がブランドになっているのである。李登輝が台湾総統になるまでは、日本の大衆文化は禁止されていたが、彼はそれを解禁し、親日感情を堂々と広めていった。
「頂好」地区の本屋に入ってみると、入り口付近の平積みのところには中国語訳した日本の本が多くあった。例えば、日本でも流行った「電車男」、「白い巨塔」、「博士の愛した数式」があり、さらに、遠藤周作の「深い河」、「沈黙」から、三島由紀夫の「金閣寺」、川端康成の「雪国」、芥川龍之介の「羅生門」など古典的な名作まであった。

4番目に感じたのは、台湾でもコンビニが流行っていて、日本の商品に人気があることである。おでんもあるのには驚いた。日本と似ておにぎり、お弁当、日本のペットボトルや日本のファッション雑誌も多くあり、日本への人気が高いことがうかがえた。 よく見かけるコンビニはセブンイレブンとファミリーマートである。ファミリーマートは漢字で「全家便利商店」と書いてあり、見事な訳だと感心した。中に入るとおでんの良い香りが漂う。しかし、具は台湾人の好きなソーセージやたこが多く入っている。雑誌も以前は浜崎あゆみが載っているとすぐ売り切れになったという。セブンイレブンでも日本のお菓子やドリンクが多く並べられていた。お弁当はさすがに冷えたご飯で持ち帰る人は少なく、コンビニの電子レンジで温めてから持ち帰るそうである。中国人は昔から冷えたご飯を嫌う。
温かいご飯以外は危ないという先祖からの言い伝えが染み付いており、昔は冷えたご飯は時間が経っていて、腐ったりまずくなったためである。
ことわざにある「冷や飯を食わされる」とは冷遇されることを指す。
台湾ではファミリーマートが1,900店舗、セブンイレブンは4,200店舗ある。台湾のコンビニは日本よりも機能が多く、宅配便の受付、通販の受け渡し、公共料金の代行収納、税金の支払い、駐車違反の罰金、学校の授業料支払いなど様々ある。
また台湾人は外食が多く、特に朝食は外食が一般的で、大人も子供も会社や学校に行く途中コンビニでパンを買ったり、ファーストフードの店で食べてから行く。朝からマクドナルドやモスバーガーなどは満員であった。


台湾はオートバイが多く、車と同等に存在感を出している。

5番目は、台湾にはオートバイが非常に多いことである。2人乗り、中には3人乗りしているオートバイもあり、女の子を後ろに乗せて、ペアで同じ色のヘルメットをかぶり、疾走するのが当節カッコ良いらしい。オートバイが車と同等に存在感を出しており、追い越し車線を平気で走り、信号待ちでは交差点の白線手前はどの車線もオートバイでいっぱいとなり、20~30台は並ぶ。皆並んでエンジンをふかし、待ちきれない音を出している。そして信号が青になると競馬のように、一斉に各オートバイが轟音けたたましく走り出す。
通勤用にオートバイ(スクーター)に乗っている人も多く、女性も乗っている。買い物の主婦も子供を前に乗せてオートバイでスイスイ走っている。まさに自転車代わりなのである。
私が15年前に台湾を訪れた時は、オートバイが吐き出す排気ガスは青白くて臭く、大気汚染を心配したものだが、今回歩いてみると量も少なく、色も白く、排気ガス対策が進んでいると思われる。それでもヘルメットにマスクをしている人も多く、女性は口にカラフルな色物の三角巾をマスク代わりにして頭の後ろで縛っていて妙に色っぽい。

6番目は、台湾の女性は強いということである。
繁華街では女性が男性をリードしてどこのレストランに行こうとか、レストランでメニューを決めてオーダーしているのも女性が多かった。声も大きく仕切っており、男性はニコニコして君に任せるよといった風情である。
台湾の女性ははっきりとものを言う。その上で意見が異なれば、妥協点を見つけるスタイルが出来ている。歩道ですごい剣幕で人とけんかしている女性を見かけたが、やはり強いなと感じ入ってしまった。
香港でも総じてそういう傾向がある。台湾も香港も戦争や内乱など苦難の歴史をくぐってきたので、女性がしっかりしないと家族が生き延びられなかった時代が長く続いたことも背景にあると思われる。
女性の就労率も高く、台湾の女性は働き者であるため、共稼ぎの夫婦が多い。台湾は男女平等で、仕事が同じであれば、給料は男女同じである。昇格も性別で差をつけない。生活力ある女性は夫に家事を分担することを当然要求するので、男は従わざるを得ない。統計では若い夫婦は3組に1組が離婚しているそうだが、女性が強いのか、女性からの離婚申し出が多いという。


小龍包で有名なディンタイホン(県泰豊)。 店内はいつも人で賑わっており、行列のできる店である。
ディンタイホン(県泰豊)の小龍包はジューシーな肉でおいしい。

7番目は、台湾の食事は庶民的だがおいしいことである。
「頂好」地区の中に、小龍包で有名なディンタイホン(県泰豊)がある。ここは東京やニューヨークにも店を出し、世界の10大レストランの一つとしてNew York Timesに紹介されている。有名にしたのは、やはり小龍包で、中の肉がジューシーでかむと肉汁がこぼれ落ちるほどである。厨房には肉をこねる人が15人以上働いており、見習いらしき人もいてきびきびと動いている。ウエイトレスも10人以上いて、笑顔で躾が出来ており、活気がある。各テーブルの伝票を確かめつつ、食べているせいろの減り具合を見ながら次の料理を厨房に伝え、作られたものを運んでくる。
広い店内はお客と従業員で満員だが、きびきびとした動きで無駄が無く小気味よい。
小龍包の味を長年追究してきただけに、ジューシーな肉で味は確かにおいしい。またあんこ小龍包はデザートとしてもよく、しっとりしていて抑えた甘さでお薦めである。 壁には『お客様No1、サービスNo1』と社長のスローガンが掲げてあった。
おいしく、リーズナブルな価格で、サービスが行き届いていることからリピーターが多く訪れるのであろう。台湾企業の企業努力、顧客サービス志向、従業員の教育が行き届いた様子を垣間見た思いである。 ほかに欣葉や青葉のレストランも味わい深いおいしいメニューで人気がある。
また、糖朝(The Sweet Dynasty)という香港で人気No1のデザートレストランが「頂好」にもある。豆腐花が有名で、明るく清潔な店内には日本語のメニューもあるため、日本人観光客も多い。小豆入り冷たい豆腐花と温かい豆腐花を注文したが、どちらも本当においしかった。冷たい豆腐花は小豆が乗っていておいしく、その外のガラスのボウルにドライアイスを敷いていて水蒸気が盛んに出ていて、演出も見事であった。 温かい豆腐花は、ほのかに甘いシロップで舌触りが良く、ゆずの香りがする。豆腐はすくい豆腐の感じで、やわらかく胃にやさしい。ゴマシロップ、胡桃シロップ、小豆シロップなどいろいろあり、消化を助けたり、お肌に良い胡桃やごまを使っているためヘルシーで、女性に人気が高いのもうなずける。この店は『医食同源』をポリシーにしている。これからの時代は健康志向で、こうした体に良いデザートの店が流行するのではないだろうか。
この繁華街である「頂好」地区には、糖朝はじめ、香港資本が多く進出しており、香港のファッションメーカーである、G2000、エスプリ、GIORDANOなども店を出していて、多くの人で賑わっていた。


台北の街角や通りは人も車も多い。

8番目が、経済・貿易の発展振りである。
台湾人の生活のテンポは日本人よりも速い。香港人よりは遅いが、台湾人のテンポは日本と香港の中間という感じである。駅などのエスカレーターのスピードにもそれがよく表れている。
歩道を歩いていると、多くの人が歩きながら携帯電話で話をしていたり、メールを打ったりと、携帯電話文化は、既に台湾でも日本でも同じだと実感した。
街の人々の顔も15年前より柔和になってきており、服装や車がきれいになっているのを見ると、生活が豊かになってきているのがわかる。
リーマンショックから立ち直り、街には求人広告も多く、雇用も増加しており、中国や日本との貿易も拡大し、経済は活発化している。
台湾の国別輸入では、日本からの輸入がトップで、2位のアメリカの2倍である。日本から台湾への輸出は、電気機器、一般機械、化学製品が多いが、台湾からの輸入は半導体等電子部品がもっとも多い。
台北の街角や通りは人も車も多い。
蒋介石を記念した中世紀念堂。石段の数は蒋介石の享年と同じ89段となっている。
中世紀念堂前の自由広場の門。
日本統治時代の台湾総監督府。改造して現在は総統府となっている。
台湾の産業政策では、特に強化する産業として、半導体とフラットパネルディススプレイ、デジタルコンテンツとバイオテクノロジーの育成を掲げている。液晶産業には力を入れており、2009年第3四半期の台湾の大型液晶パネルの出荷枚数は5,635万枚となり、前年同期比12パーセント増となった。とりわけ液晶テレビ向けパネルは前年同期比40パーセント増加し、世界金融危機前の水準に回復した。
また台湾では、日本のりんご・桃・梨などの果物、日本の菓子、日本酒への人気が高く、日本からの輸入も増加している。 台湾を色々見てくると、経済面や生活面は近代化が進んでおり、経済体制は資本主義として発展してきており、政治面でも民主主義体制になっている。 台湾を考えるとき、中国との関係を考えずにはいられない。以前、中国は、台湾の民主化、独立の動きを牽制しようとして台湾海峡にミサイルを発射するなど緊張関係が続いたこともあったが、近年は落ち着いている。


蒋介石を記念した中世紀念堂。 石段の数は蒋介石の享年と同じ89段となっている。
中世紀念堂前の自由広場の門。
日本統治時代の台湾総監督府。改造して現在は総統府となっている。

9番目が、台湾と中国との密接な関係である。
台湾における民主化は、李登輝元総裁以来、大きな意味を持ってきた。経済の発展と政治の民主化が、共産主義一党独裁の中国に対する台湾人の民族主義的な政治運動であった。『民主台湾』をアピールすることが、『共産中国』との違いを国際社会に印象付け、その存在を訴える効果的な方法であった。しかし8年間続いた陳水扁政権に対する住民の不満は大きくなり、所得の2極化も進んだ。
その後、中国との経済的な関係をより強化して、国を豊かにしていこうとする対中融和路線の国民党の馬英九氏が、2008年3月の台湾総統選挙に大勝し、流れは変わった。
中国の安全保障における脅威を最小化し、対中ビジネスを最大化することを狙っている。中国との関係を改善し、中台市場を一体化して考え、2010年6月に中国との自由貿易協定にあたる経済協力枠組み協定(ECFA)を調印し、中台貿易の拡大、中台経済の一体化の進展が見込まれている。
中国は、国際社会の中で台湾と関係がある国々に圧力をかけ、台湾の主権を内政問題とし、中国との統一に向け一つの中国を原則とすることで、政治交渉の道を歩ませようとしている。
他方、中国は経済では社会主義経済に見切りをつけ、外国の資本や技術を積極的に導入し、改革解放政策の市場主義経済を打ち出し、台湾・香港などの華僑や日本、欧米からの投資を誘致した。このため、中国は香港の返還やその後の安定、発展に鑑み、中華人民共和国の中で、台湾も「一国二制度」とする構想を示している。
台湾は中国を警戒しており、この「一国二制度」ではなく、「一国二政府」を主張している。 台湾は中国の一部であり、歴史的にも民族的にも中国であるが、現在の台湾は、経済的には資本主義経済として中国より進んでおり、政治的にも民主化がかなり進んでいるため、中国の一党独裁の共産主義を押し付けることはもはや現実的ではない。
一方、中国も社会主義市場経済を標榜して外資を導入し、近年経済的に目覚しく伸びてきており、開放され、台湾企業の中国進出も増え、台湾との経済面での一体化も進んできている。中国の政冶が、経済の自由化によってより柔軟になってくれば、歩み寄りの可能性は高まる。
台湾も、中国を刺激せずに民主化を着実に推し進めながら経済を発展させ、中国との相互交流を活発化させることによって、経済的に切っても切れない強固な関係にし、存在価値を認めさせるような歩み寄りを志向していくべきである。
台湾の活力ある経済と国民の安定した生活の発展と中国との良好な関係は、アジアの安定につながるもので、日本は、台湾への経済進出だけでなく、2,200万人いる台湾住民の政治的安定と平和のために一層貢献していくべきである。


※ 記載内容は、掲載日現在のものであり、お客様の閲覧日と情報が異なる場合があります。