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オランダよ何処へ?

【第3回】 企業人の倫理

オランダのスーパーマーケット「アルベルト・ヘイン」

ザーンセ・スハンス野外博物館内敷地にある創業当時の店のレプリカ。手前の方の建物です。

『アルベルト・ヘイン(AH)』は、オランダでは誰もが知っているスーパーマーケットで、オランダ全国に約730の店舗を持っている。このスーパーの親会社として「Royal AHOLD(アーホールド)」という持株会社がある。Royal AHOLDは欧州、米国、アジアの各地域でスーパーマーケット以外に酒やドラッグストア等の店舗展開を行っているリテール分野のグローバル企業である。
オランダでのスーパー以外の専門店舗数は約1,600店、またRoyal AHOLDが進出している欧州13カ国での店舗総数は約7,000店を数える規模である。


ザーンセ・スハンス野外博物館内敷地にある創業当時の店の入り口のドア。上のガラスに「Albert Heijn」と商号が入っています。


Royal AHOLDは米国でもリテール店舗展開を大々的に行っており、さらに「U.S. Foodservice」という子会社を通して卸売分野にも参入している。Royal AHOLDの2005年度総売上は、米国が圧倒的に多くて330億220万ユーロ、欧州・アジアが114億7400万ユーロ、合計444億9600万ユーロで、世界ランキング第四位のリテーラーである。2005年度の利益はあまり伸びず、1億3300万ユーロに止まった(売上比0.3%の利益率)。全世界の従業員数は約24万7千人と言われている。

歴史

ザーン河に沿って右手に見えるザーンセ・スハンス野外博物館とその先端にある風車四基。この風車は今でも排水、製材、辛子の種をひく目的のためにつかわれています。
ハーグの下町にある小さなAHの店。店の前には身障者が車を停めて買い物中。

Royal AHOLDの歴史を簡単にみてみよう。スーパーの名前「アルベルト・ヘイン」は創始者の名前をとって付けられた。創始者のアルベルト・ヘイン一世は、今から119年前の1887年にアムステルダム市の北部に隣接した「オースト・ザーン」という村にあった乾物屋を父親から受け継いだ。この乾物屋の店そのものは今は無くなってしまったが、この店のコピーがザーンダム市の北東部にある「ザーンセ・スハンス野外博物館」の敷地内に忠実な形で再現されている。
積極的に乾物屋の仕事に取り組んだアルベルトは、それから8年後に近くのプルメレント町に第二号店をオープンした。彼はまたその間に、仕入れて売る小売の仕事のみならず、手作りの製品(クッキー)を作って売ることも始めた。さらにコーヒー豆の焙煎も行って付加価値をつけ、「ペルラ」というブランドで販売し始めた。
40周年を迎えた1927年には、107の直営店舗を抱える大企業に成長し、アルベルト・ヘイン一世はアメリカン・ドリームならぬダッチ・ドリームを実現した実業家として有名になっていた。この40周年を記念して「王室御用達(Hofleverancier)」の称号を店の看板に使うことも許可された。



Gouda(ハウダ)市郊外にある新興住宅地区の有蓋ショッピング・センターの中に置かれた新型AH店舗(入り口近辺)。
レジを通過すると直ぐに公共の広場になる、一種のオープンタイプ店舗。
レジ係が商品をスキャンして支払を受けるところと、客が自分でスキャナーを使って買い物をカートや籠に入れる都度スキャンし、無人レジでカード支払をする両方のシステムを採用している。(但しコントロールする人は欠かせない。)
同じハウダのショッピング・センター内AH店舗のレジ風景。

1945年にアルベルト・ヘイン一世が亡くなった後、その業績と遺産を受け継いだ息子のアルベルト・ヘイン二世は、1948年に企業形態を今までの「個人企業」から「株式会社」に変更し、アムステルダム証券取引所に上場した。
1952年には同社として始めての「セルフサービス店舗」を、ロッテルダムに隣り合わせのスヒーダムに開店したのを皮切りに、この新型店舗を次々に開店しながら、同時に既存の老舗チェーン店を併合して拡張戦略を展開した。
1962年アルベルト・ヘイン三世が父親からバトンを引き継ぎ、同家伝統の拡張路線をさらに推し進めた。
1973年には大幅な組織変更を行い、先ず新たに持株会社「AHOLD N.V.」を設立して、全てのオペレーションを子会社としてその下に組み入れた。
1987年、創業100周年を迎えた折、AHOLD社には「Koninklijk = Royal」の称号が女王より与えられ、会社名を「Koninklijk AHOLD N.V. = Royal AHOLD」という正式名称に変更した。しかし同年9月に三世の弟ヘリット・ヤン・ヘインが誘拐、殺害される事件が起り、1987年は幸運と不幸が錯綜する年となった。
1989年にアルベルト・ヘイン三世は、27年間勤めた持株会社Royal AHOLDの会長職を退き、その後任には史上初めてヘイン家出身ではないピエール・エーフェラールト(Pierre Everaert)が就任した。新会長は舞台裏に退いた前会長で大株主のアルベルト三世の意向を踏まえ、ヘイン家伝統の拡張路線を邁進した。
1990年にチェコ進出、91年に米国の「Tops Market Inc.」を買収、92年にはポルトガルで「JMRグループ」とジョイントベンチャー展開、93年にはニューヨーク証券取引所での上場を果したあと、同年会長職を若手ダークホースのケース・ファン・デル・フーフェンに引き渡した。

ファン・デル・フーフェンの経営

1993年に会長に就任したファン・デル・フーフェンは、16才の若年でフローニンゲン大学に入学、経営経済学を専攻して5年後の僅か21才の時に最優秀証書を貰って卒業するといういわば天才児であった。卒業後直ちにシェルとエクソンの合弁子会社でオランダ国内での石油とガスの掘削、生産を行う「NAM」に勤務し、その後ハーグにあるRoyal Dutch Shellに呼び戻されて、シェル本社内での将来を嘱望されていた。しかし1985年にオイルとは全く異なる業界のRoyal AHOLDにCFOとして引き抜かれ、それから8年後の1993年には会長、CEOに抜擢された。46才の若さである。
彼が就任してからの5年間は全てが順調で、Royal AHOLDの業績も上昇線を辿り続けた結果、5年間連続でオランダの「Top man of the Year」に選出される記録を作った程であった。Royal AHOLDは彼の指揮のもとに50件以上のテイクオーバー(企業買収)を行い、グローバル企業としての規模拡大を実現した。その結果、同社株は上昇の一途を辿り、取引所で最も引きの多い銘柄との評価になった。

しかし、「好事魔多し」の例えの如く、2001年から2002年にかけて翳りが生じてきた。即ち経営陣は当初「2002年の業績予測は売上、利益とも順調に上昇線を辿っている」との楽観的発表を行っていたが、2002年後半から2003年初めにかけて数度にわたる下方修正を余儀なくされ、証券業界の顰蹙(ひんしゅく)を買う事態が生じた。それに加え同じ時期にRoyal AHOLDの米国子会社「U.S. Foodservice」で経理不正が発覚し、子会社を監督する立場にあるオランダ本社の責任が米国証券取引委員会(SEC)により強く問われるこことなった。さらにそれに関連する捜査の途中で、Royal AHOLD本社が外国のパートナーと交した数多くのジョイントベンチャー合意書の内、四つのジョイントベンチャー合意書に添付された付属文書が故意に捏造され、その結果数字が不正に連結されて売上や利益の粉飾があったとの疑惑も次々と浮かび上がった。さらに、既に確定している筈の2001年度決算書の修正を会計事務所に申し入れた、という内密情報が報道されるなど、社内は混沌たる状態に立至った。ファン・デル・フーフェン会長や他の役員の楽観的な説明にもかかわらず、同社内外の混乱は益々エスカレートし、それがRoyal AHOLDの株価暴落にさらに拍車をかけた。同社の最高株価は1999年4月の38.75ユーロであったが、これが2003年1月7日には13ユーロ台まで落ち、さらに同2003年2月24日には3.59ユーロと、ピークの十分の一に激減してしまった。

「品揃いを多く、品質を良く、値段を安くして金持ちにも貧しい人にも来て貰える店にする」との創始者の哲学をスローガンとして長年民衆に親しまれてきたAHスーパーマーケットも、2000年が過ぎた時点では「オランダで一番値段の高いスーパー」との評価になっていて、しかも2002年1月に導入されたユーロへの切替によって値段がさらに上がったことがこれに加わり、更には上に述べたような一連の不祥事に対する抗議として、顧客の足はこのスーパーから確実に遠のいていった。
優秀な経営者としての名声が高かったファン・デル・フーフェン会長と彼の忠実な手下であったメウルス財務担当重役(CFO)は、ここに至ってもはや言訳や言逃れの利かぬ状況に追込まれ、2003年2月末しぶしぶ辞職した。

裁判

彼等の辞任後、粉飾決算と文書捏造の疑惑を重視した米国証券取引委員会(SEC)とオランダ司法当局はそれぞれ別個に、起訴を前提として経営責任者の犯罪事実に関する捜査に入った。
米国司法当局によるSECへの提訴は、最終的に、直接係わりを持ったRoyal AHOLDの前役員四名がオランダ本国で起訴されること、そして四人の内ファン・デル・フーフェン前会長を含む三名の経営担当役員に関しては、今後米国での株式会社の役員又は社長職に一切就任しないことを条件にして、取下げられた。
一方オランダの司法当局は、下記四人の前役員を2006年3月に「粉飾決算と文書捏造」の嫌疑で起訴し、法廷審議に入った。約1.5カ月にわたる審議の後、裁判官は今年の5月22日被告4人に対し次の判決を下した。

ファン・デル・フーフェン前会長 懲役9カ月(執行猶予) 罰金22万5000ユーロ
メウルス前財務担当重役
アンドレア前北欧地区担当役員 懲役4カ月(執行猶予) 罰金12万ユーロ
ファーリン前監督担当役員 無罪 該当せず

ファン・デル・フーフェン前会長は(恐らく弁護士の示唆であろうが)終始「ジョイントベンチャー合意書に添付された(捏造)サイドレターの存在は知らなかったし、たまたま自分が署名した一通のサイドレターも盲判であって、内容については一切知らないし打合せもしていない」と主張したが、裁判官は「会社の経営を荷い、遺漏無きを監督する立場の者が、外国企業とのジョイントベンチャーというその企業にとっては重要な約定の内容を知らずに、また内容報告も受けずに盲判を押したと言うのは経営者のあるべき姿では無いし、信憑性に欠ける」として斥け、有罪判決を下した。
この判決を不服としてファン・デル・フーフェンは直ちに上告したが、一方司法当局側も「求刑20カ月に比べて刑が余りにも軽すぎる」との立場を取り、6月1日付けで上告した。株価暴落により被害を受けた株主の大半、そして一般世論の大勢も、判決が軽すぎるとして裁判官の判定に対し不満の意を強く表明している。

2006年の初め、日本でもライブドアの粉飾問題が大々的にマスコミに取上げられたが、ほぼ時を同じくして地球の東と西で決算書粉飾事件が世の中を騒がせたのは興味深い偶然ではある。もっともオランダのRoyal AHOLDの方が、既に100年以上の歴史を誇りながら世界規模でオペレートしている多国籍企業の犯した不祥事ということで、欧州並びに米国の経済・金融界により大きなインパクトを与えることとなったが・・・。

役員報酬

昔は乾物屋で始まっても、今は押しも押されもせぬ一流多国籍企業に変身して久しい企業において、何故このような不祥事が起こったのであろうか?経営を任された人達はどういう考えや判断のもとに、この様なスキャンダルを誘起させたのであろう?
その最大の理由は当地における役員報酬に関わる慣習と関連性があるように、筆者には思えてならない。
オランダ企業の役員報酬は凡そ次のような項目から成り立っている。

基本報酬
(サラリーとも言われる)
毎年、インフレ率と業績達成率に基づき調整される
年金手当 基本報酬額または特定年金額から算出する年金保険掛金を企業が負担
ボーナス、特別プレミアム ボーナスの額は目標業績達成率とリンクされているが、最低幾らという下限を決める場合も多い
ストックオプション、
または自社株配分
目標業績達成率とリンクされている場合が多いが、そうで無く自動的に貰える場合もある
その他 一定金額の役員経費手当又は全経費実費精算

但し個々の企業によって差があり、どの企業でもこの項目全てを全役員に認め、与えているとは限らない。
ただ「ボーナス」と「ストックオプション」や「株式配分」という項目は通常必ず含まれており、そしてこれらが役員の貰う報酬の大きな部分を占めている。ボーナス、ストックオプション等の項目は業績の目標値達成に関する評価にリンクされるので、経営担当役員は誰であれ、それなりの報酬を確保する為には、その前提条件として、約束した売上と利益の目標値をクリアーする必要がある。それが出来ていないと、報酬金額に当然大きな影響が出てくる筈ゆえ、経営担当役員としては何としても目標値を達成すべく、方法や手段を問わずに(とは言っても「合法的に」という条件は付くが)躍起にならざるを得ないことになる。

オランダの会社形態の一つ「無記名株式会社(N.V.)」の場合、役員報酬は各企業内できちんと規定されていると言われているが、それでも個々の役員と結ばれる契約の内容には、ネゴで決められる以上個人差が生じる。経営担当役員の人選、報酬内容の決定並びにボーナスや株式配分の為の業績評価は、「経営担当役員会(Board of Management)」の上に位置する「監督担当役員会(Supervisory Board)」の役員(Supervisory Directors)が行うが、もともとお互いによく知り合い、引き合って友達付き合いをしている両種類の役員の間柄では、「規定に基づく厳格な査定」とはならず、伝統的に「ナーナー」のお手盛り的色彩が強いと言われている。
「有限株式会社(B.V.)」の場合も、規模の大きい有限株式会社は「N.V.」に準じたやり方を取っているが、オーナー会社であったり、「Supervisory Board」を置いていなかったり、或いは置いていても名目的な「Yes-man Board」である場合には、このお手盛り現象はもっと甚だしい。

コーポレート・ガバナンス基準

会社経営に関連して、特に役員待遇およびその評価基準がグレーであったり不透明であることは、長年世論で指摘され、批判の対象になってきた。その批判を是正する必要性から、政府は「コーポレート・ガバナンス基準」の設定に着手し、今から三年前の2003年7月に、蘭英多国籍企業「ユニレーフェル社」の元会長、タバックスブラット氏が委員長として起案した基準案が政府に提出された。しかしこの基準(通称「Code Tabaksblat(コード・タバックスブラット)」)には法拘束力は無いし、内容に対する批判の声も寄せられ、定着するまでにはまだまだ時間が掛かりそうである。でもこの動きのお陰で、少なくも上場企業に関しては役員の報酬が年次報告書に明記されるようになった。

かっさらい文化

2005年半ばに当地日刊紙De Telegraafが、上場無記名株式会社(N.V.)の2004年度決算書をベースにした上位10人の年間税引前報酬を紙上に掲載した。

順位 企業名 企業国籍 会長名 年報酬額
(ユーロ)
1 リード・エルセフィアー(出版) 英、蘭 Davis 11,511,082.-
2 ロイヤル・ダッチ・シェル(石油) 英、蘭 Van der Veer 6,990,632.-
3 AHOLD (リテール) Moberg 4.842.439.-
4 Wolters Kluwer(出版) 蘭、米 McKinstry 4,757,000.-
5 ABN-AMRO (銀行、証券) Groenink 3,710,239.-
6 ユニレーフェル(油脂、食品等) 蘭、英 Burgmans 3,354,545.-
7 フィリップス(家電、電子製品) Kleisterlee 3,269,021.-
8 Aegon (保険) Shepard 3,235,260.-
9 INGグループ(銀行、証券) Tilmant 3,000,000.-
10 アクゾ・ノーベル(化学品) 蘭、スウェーデン Wijers 2,789,466.-

「オランダ企業経営者センター(netherlandss Centre of Directors & Supervisory Directors)」という社長や監督担当役員の利害代表団体があり、そのメンバーは現在約4,500人を数える。ここに加入している会長や社長そして役員達の年間報酬は平均30~50万ユーロの間である由。
上述の上場大企業の雇われ会長の報酬に比べると、約十分の一で微々たるものとの印象になるが、この「微々たる」報酬でも、全労働人口の98%を占める一般民衆の「標準的所得レベル」[筆者註:29,000~30,000ユーロという金額を中央統計局や中央経済企画局は「Modaal Inkomen」と名付けて「所得の標準レベル」と見なしている] に比べるとその10倍以上であり、民衆の目から見れば「すごく高い報酬」という位置付けになる。

ここ数年来、オランダの総理大臣の給与が引合に出されて、省庁の上級公務員、公社のトップ、そして民間企業のトップの給与が激務の連続である大臣の報酬に比べ如何に高すぎるか、特に公社や公共団体の場合は人件費も含めた経費が(全て、または部分的に)税金で賄われる事実に鑑み、トップの報酬はどんなに高くても総理大臣並みとすべしとの議論が沸き立っている。総理大臣の年俸は役職手当込みで約14万ユーロ、通常の大臣は約13万ユーロ、それに対し例えば幾つかの電力公社の社長報酬は85~90万ユーロ(ボーナス、手当込み)、オランダ放送協会の会長は約50万ユーロ、ニュース・アナウンサー・クラスでも15万ユーロ程度で大臣報酬よりも高く、又タレント的司会者などになると30~35万ユーロに高騰する。マスコミはこれを称して「かっさらい文化(Graaicultuur)」とか「ポケット詰め込み屋(Zakkenvuller)」という蔑称で批判し、省庁、公社、公共団体のトップの報酬は、せめて総理大臣の報酬に近いレベルで押さえるべきと主張。議会でも全議員が口を揃えて批判しているが、御本人達は「どこ吹く風」で、今のところは一向に改まる気配すら無い。

最下層の所得レベル

社会の一番下の所得層、例えば国の養老年金だけで生活している老人たちの年間所得は最高の場合で約12,000(独身)~16,500ユーロ(二人世帯)である。しかもこの金額は50年間連続して掛金を払い続けた場合で、実際には、年をかなりくってから(例えば義務教育よりも上の教育を受けた後に)働き始めた人達は長くても40年程度しか掛金を納めないので、その場合最高額の8割しか貰えない。
職が見つからず、或いは何らかの理由で扶助を受けなければならない人達の所得も大体この養老年金最高額と似たようなレベルである。職のある人でも最低賃金法が適用される一番低い賃金所得層は、精々17,000ユーロ程度の所得しかない。上に述べた所得額は何れも手取額ではなく、ここから所得税を払わなければならないグロス金額である。

トップ所得者への反感

上に述べた、オランダ全労働人口の僅か2%しか占めないトップ所得者の報酬が、残り98%の民衆の所得レベルから余りにもかけ離れすぎている為、マスコミも含め民衆の側には本能的な反感と不信感がトップ所得者に対して根強く存在する。オランダでは官庁、民間企業を問わずそのトップや要職者は外部から誰かの引きで入省、入社してくるケースが極めて多い。逆に言うと生え抜きの人間がトップに昇進する可能性は非常に限られている。外部の血を入れることにはそれなりのメリットがあることは確かだが、反面自分たちだけの、排他的な「エリート仲間グループ」が特にトップレベルでは出来やすいし、お手盛りの温床にもなり易い。これまた「仲間贔屓(Vriendjespolitiek)」と言う表現で民衆の批判の的になっている。このような事情が、トップやトップに見込まれた社員以外の、一般多数の社員に愛社精神が少ない理由の一つになっているのであろうと筆者は考えている。

オランダ企業のメンタリティー

本稿の話の中心であるRoyal AHOLDは、金持ちでもあまり裕福でも無い多数の庶民を相手とするスーパーマーケット・リテール業で大きくなった企業である。その現会長は、ファン・デル・フーフェン前会長のスキャンダルの後を受けて、上記トップ・テン・リストの中で第三位を占める高額の報酬を受けている。しかも前会長の引き起こした不祥事の結果として、売上は落ち、利益は赤字に転落し、そして株価が極端に落込んで会社資産も激減し、過去のテイクオーバーに次ぐテイクオーバーで膨れ上がった銀行借入金の返済がままならなくなって、この事件の直後には、銀行管理寸前の危うい財務状況に立ち至っていると報道されたりした。にも拘らず、自分達役員の報酬は全員ががっちり十分に頂き、しかし経費削減の為従業員をどんどん減らしてペイロールを縮小し、と言った状況をつぶさに見聞きして、またこのような経営者の姿勢がオランダ財界、経済界のみならず政界や行政でも当り前と受け入れられているのを目の当たりにして、余りの驚きに声も出ない。
今回のRoyal AHOLDの不祥事の発覚から現在に至るまでの流れの中で、旧経営陣は自己弁護には躍起になっても、彼等の口から従業員や顧客である消費者、そして株主に対して「済まない」という言葉は、一言も聞かれなかった。また現経営陣にしても「自分が引き起こした問題では無いのだから、済まないなど言う筋合いは無い」としている気持ちは、ロジックとしては理解できないでもないが、それにしても・・・である。
恐らくこの国にも、従業員の利害や福祉に気を配り、企業の社会性を重視して自己の利害は二の次にするという奇特な経営者も、例外的にいることはいるのであろう。しかし最近のオランダの風潮は、自分の契約する企業で、やらねばならないことは契約だからやるにしても、同時に自分のやることを如何にして自分個人の利益に結び付けるかを優先して考えることであるように思えてならない。企業全体やその一部門の売買は企業経営には付き物だが、売買が成立するとエキストラのボーナス、またはプレミアムが担当役員に支払われるというのはよくある慣習であるらしい。その結果今そこで働いている多数の従業員の運命が、売却されたあとにはどうなるか分らないという、深刻な社会問題を内包していても、である。

下手すれば第二審で有罪判決を受けて前科者になるかもしれない前会長ファン・デル・フーフェン氏がRoyal AHOLDを辞職するまでに築き上げた個人資産は、新聞報道によると、4,300万ユーロに及ぶそうである。
現会長でその前はスウェーデンの日曜大工組立て家具のチェーン店「IKEA」のCEOであったモーベルク氏も、Royal AHOLDの再建がうまく行こうが行くまいが、任期中に法的な落度さえ無ければ、オランダを立ち去る時の彼の懐の財布は「Golden handshake(高額な重役退職金)」も含め、かなり膨んでいることであろう。

フラストレーション

かくのごとく、持てる者と持たざる者の所得格差がここ四年来どんどん広がり、ユーロ切替のせいで物価は知らないうちに完全に倍になり、犯罪やテロの危険性は相変わらず増え続け、官僚主義を撲滅せんとする行政改革が新たな官僚主義を呼び、効率化の蓑に隠れて医療や介護の質が落ち、といった現象により国民の大多数がこのところ猛烈なストレス状態に陥っている。国民のこのフラストレーションを察知して積極的に解消するための具体的政策や対応策を取ろうとしない(或いは緊縮財政の故に予算が付けられなくて対応策が取れないのかもしれないが)政府を、少なくも半数以上の国民は信用していないというのが、遺憾ながら今現時点のオランダの世相である。



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