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オランダよ何処へ?

【第2回】 「ユーロ」の功罪

通貨切替

ハーグにある大蔵省の側面。
正面は目下修復中なので、自転車置場もある側面の写真としました。
サッカーの熱狂振りは市街地にも入り込み、ナショナル・カラーであるオレンジ色(王室を象徴する色でもあります)の旗を通りに張巡らしています。

2002年1月1日付でオランダの旧通貨「ギルダー」(オランダ語で「フルデン」[Gulden])が廃止され、統合欧州連合EUの新通貨「ユーロ」に切り替わった。1814年に、オランダ国王として支配していたナポレオンの弟が失脚した後、現王家のオラニエ・ナッサウ家が、フランスの支配から独立したオランダ王国の王位につき、1816年に十進法に基づく貨幣法の制定を行った。旧通貨「ギルダー」はそれ以来、オランダ王国の統一通貨として2001年末まで存続した。この「ギルダー」が約185年の長い歴史の後2002年1月に欧州の新通貨「ユーロ」にとって代わられた時、半数に近いオランダ国民が感傷と感情を交えてユーロ導入反対の声を上げていた。

2002年5月の任期終了を目前にした当時の第二次コック連立内閣は、ザルム大蔵大臣を中心に同内閣最後の大仕事である新通貨導入をつつがなくやり遂げるべく大わらわであった。反対の声を抑えながら新通貨導入をスムーズに遂行するため、アクション・プランを作成しマスコミを通してPRにこれ努めた。銀行が定期的に口座所持者に送付する収支通知書には、ユーロ導入半年前の2001年7月1日からユーロ建の金額を正として表示させ、先ず見た目に慣れさせるようにした。また2001年12月には本物の硬貨全部を一個ずつ貼り付けた見本(合計3.88ユーロの価値)を成年納税者全員に配布するキャンペーンを行った。

欧州12カ国(当時)の新しい共通通貨として「ユーロ」を導入することが、如何に国民の生活に便利さをもたらし経済の振興に貢献するかを強調しながらの、大掛かりなPR作戦が一応効を奏してか、反対者の数が多かったにも拘らずボイコットには至らず、また大きな社会混乱を来たすこともなく、2002年1月1日付で無事切替えが完了した。

国民の不満

オランダ対象牙海岸の試合の時に、ハーグの議会近くにある広場のカフェに集まってビールを飲みながらTVに見入る人達。試合開始前なので、まだ熱狂はしていません。
ハウダ(Gouda)のマーケット広場に毎週二回立つ露天市のチーズ屋。「ハウダ(ゴーダ)・チーズを始め、外国チーズもふんだんに売っています。

そこまでは良かったが、時間の経過と共に国民の不満の声が徐々に巷に溢れだして来た。ユーロのせいで物価が急騰しているというのである。2002年4月27日の新聞には、『物価上昇、最高で700%アップ』という、センセーショナルな見出しの記事がデカデカと掲載された。この記事を読んだ者は記事の内容を裏付ける苦情や意見を次々に寄せ、その後しばらく、同紙の「読者の欄」はこの手のクレームで大いに賑わった。

ユーロに切り替わる前、ザルム蔵相(自由民主党[VVD]出身で、現バルケネンデ第二次連立内閣でも副総理と蔵相を務める)は、テレビ、新聞、雑誌を通して、「ユーロへの切替は慣れと換算だけの問題なので、オランダ国民の生活には何ら不利な影響は出来(しゅったい)せず、心配する必要は無い。全てはうまくいく。」と繰り返し請け合っていた。それだけに、ユーロが導入された後、反対派によって懸念されていた物価高騰が現実のものとなったことは、国民にとって極めて不愉快な驚きであった。

筋論から言えば、主管大臣であるザルム蔵相は、企業を管理する立場の経済大臣、そして自治体を管理する内務大臣と連携して、この様な事態を防ぐ対策を事前に練っておくべきであった。しかしそれをしなかったばかりか、同蔵相は2005年9月の議会開会式において、「中央統計局の数字では、ユーロ導入以降のインフレは例年の数字から大きく逸脱してはおらず、十分抑制されている。国民は物価が高騰していると主張し、その張本人は大蔵大臣だと批判しているが、物価高騰は感覚的な思い違いである。公式レートで換算すると、ユーロ建金額がギルダー建金額よりも小さくなるので、“安い” という気持になりがちである。その結果財布の紐が緩み、使いすぎることが禍して家計が苦しくなっている。」との意見を公にして、暗に “家計が成り立たなくなるのは国民自身の責任であって、ユーロ導入の音頭を取った自分の責任ではない” との反論を試みた。

社会の最低層

電動バイクに乗って露天市に買物にくる身障者。物価が倍にはね上がった今でも露天市での値段はスーパーや普通の店舗に比べれば1~2割安いので、特に庶民層にとっては無くてはならない生活必需品の供給源です。

オランダに「NIBUD(国立家計調査・広報研究所)」という研究・広報機関がある。主として国民の家計管理状況に関する調査、研究を、行政による施策や新たな法規定が家計に及ぼす影響なども含めて、行っている。この研究所が今から丁度一年前の2005年半ばに発表したところでは、家計収支のバランスが崩れ、支出超過で二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなる世帯の数が増え、どうしようもなくなって同研究所の助けを求めるケースが急増している由である。また中央統計局の数字では、家計が破産状態に立ち至った世帯数が、2000年度には11世帯に1世帯(全世帯数約700万の9%)であったのが、4年後には8世帯の内1世帯(12.5%)に増加している。

ロッテルダム市に住む篤志家(と言っても裕福でも何でもなく、以前には生活扶助で生活したこともある、ごく普通のミドルクラス)の夫妻が率先して、生活費に困って食べ物も満足に買えない人達を一時的に助けるべく「食糧銀行」という救済事業を2003年にスタートさせた。国や地方政府からの援助は全く当てにせず、スーパーや食品会社などから期限切れや過剰ストック品を無料で貰い受け、それに野菜、果物などは生産者や中間業者からカンパしてもらうなどして、一通りの食糧品を入れた「食糧ボックス」を、困窮家庭に一週間に一度、無料で配布している。収入から家賃や光熱費など最低必要経費を差し引いた残りが、一カ月に一人当たりどんなに多くとも50~60ユーロ(2006年6月現在の為替で換算すると約7000~8500円)程度しか手元に残らぬ人達を対象としている。

このボランティア事業は、設立後三年経たぬ内に全国に拠点を持つ大組織に発展した。2004年には一週間平均1500世帯の困窮家庭に食糧ボックスを配布したが、昨2005年には全国にそのニーズが拡大したこともあって無料配布を受ける世帯数は一週間に5000世帯という数に急増した。政府が社会保障制度のレベル・ダウンに着手したとは言え、国民全員が人間らしい生活を送ることがまだ出来る筈のオランダで、実は知らぬ間に社会の落ちこぼれ層が発生し、それの貧困化が徐々に進行しているのである。

中央統計局の数字

オランダ中央統計局が2005年半ばに発表した消費者物価指数によると、2000年から2004年の間に、次の家計項目が著しく上昇した。


これらの物価上昇は中央ないしは地方政府が直接引金を引いたものであり、これ以外にガソリンの値段(これは原油相場がその間高騰したことにも原因の一端はあるが)、住宅公団の家賃、年金掛金、健康保険掛金、公共交通機関の料金などの上昇率も含めると、個々の家計にはさらに大きな負担が掛かってきている。この様なデータを見る限り、2002年を境にして物価が上昇し、大方の生活が苦しくなったのは、大蔵大臣が言うような「国民の思い違い」では決して無いし、また「国民自身の責任」に帰せられるものでも無い。

一方この物価上昇率に対し、『各業種別の国内全雇用者を対象とした労働契約(CAO)』で縛られている賃金所得者の収入は、特に2003年から2005年の三年間にわたって、政府の強い主張に基づき労使間で合意された「賃金凍結」が原因で、僅か12%しか上昇していない。しかもこの賃上げは主に2000年、2001年になされたもの故、2002年以降の物価上昇分を緩和することにはならず、とりわけ大衆層の家計がどんどん逼迫していくこととなった。それでも定職についている者は、手許に残る所得額が物価高の分だけ減ってはしまうものの、長い目で見れば賃上げやインフレ調整手当の可能性があるので、まだ良い方である。

惨めなのは、インフレ調整の無い定額の年金所得でやり繰りしなければならない年金生活者や、例えインフレ調整があっても元々低いレベルの賃金しか貰えない低所得者、そして失業保険や生活扶助で生活しなければならない人達である。上に述べた「食糧銀行」に、恥ずかしい思いをしながら頼らざるを得ない世帯数が急増しているのも、まことにと肯ける所以ではある。

ユーロ導入の必然性と物価高騰の本当の原因

ユーロの導入は客観的且つ冷静に考えれば、オランダにとっても絶対に必要なことであった。EU加盟国が共通通貨を採り入れることにより、為替差損や、それを防ぐ為のヘッジの煩わしさ、多種類の通貨がもたらす経理処理の煩雑さ、汎欧州オペレーションに際しての財務・利益計画の不的確さ、銀行・金融業務の煩雑さ、通貨の違いによる市場査定の難しさ、等々の問題点が即座に一掃され、経済効率が著しく改善されることを考えれば、反対する方がおかしい。

ではどうして数多くのオランダ人が、良いことだらけの新しい統一通貨導入を批判し、今もって旧通貨ギルダーに強く郷愁を覚えているのであろうか?

物価が高騰した裏には、ユーロ建の金額がギルダー建金額の半分以下に縮まる結果、あたかも“安くなった”かの如き心理的幻惑にかかり易い人心に付け入って、ほとんどの企業が、自社製品のギルダー建価格を過剰に吊り上げてからユーロに換算し、利益率の増大を図った為、という直接的な原因がある。同時に、中央政府から強いられる緊縮財政を何とか改善しようとして、地方自治体が住民の反対をものともせず、地方税や手数料の値上げを年毎に強行している事実が、第二の原因として存在する。

怒りと失望

地方自治体のこの様な動きに対しては、マスコミのみならず中央政府や議会も批判の声をあげてはいたが、単なる批判に止(とど)まり、今もって是正の兆しすらない。また企業の利己主義的な大幅値上げに対しては、政府は何の対抗策をも講じようとせず、さらに不思議なことに、マスコミさえもその追及の手を弛め、物価高と企業のユーロ価格換算法の関連性を指摘する声は、今まで全く聞こえてこない。

ユーロ導入後4年を経過した今では、生活と関連する多くの日常品の価格や、飲食代も含めた各種サービス業の料金は、昔のギルダーの金額がそのままユーロに置換わった形での値上げが完全に定着してしまっている。そしてこれらの事象に対して為す術を知らない国民大多数の間には、政府に対する怒りと失望が渦巻いている。『ユーロの切替を行わず、ギルダーのままでいたら、この様な惨めさは味わわずにすんだのに・・・』と言うわけである。

W杯大会

本稿が掲載される頃は、ドイツで行われているサッカー世界選手権大会がたけなわであろう。オランダのナショナル・チームも優勝に期待をかけて参加している。事前の意気込みはいつも旺盛だが、実際に出ると負けというケースも結構あるので、本当に優勝出来るかどうかは勿論、グループ戦の後にくる、次の段階のトーナメント戦に進出できるかどうかも、今の時点では分からない。

サッカーに例えて言えば、現在の中道右派連立内閣は、2005年6月の欧州憲法採択可否に関する国民投票で、上に述べたようなユーロを巡る諸問題が大きな原因の一つとなって、「ノー」のレッドカードを貰い、今年三月の地方選挙でも国民のくすぶる不満は払拭されず、与党三党は何れも敗北という、二枚目のレッドカードになった。サッカーと違ってまだ退場するまでには至っていないものの、2007年5月の総選挙で三枚目のレッドカードを突き付けられる可能性も無しとしない。残されたこれから一年の施政期間に、具体的に何を国民大多数の為に行うかによって、罵声と口笛で退場させられるか、惜しまれて退場するか、それとも次の試合に進出できるかが決まってくる。



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