「罪と罰」―フラメンコの深淵6― 

トリニダーの秘密の花園

cinco capullos corté 五つの蕾を摘んだ

entré en un jardin por flores 花をさがして僕はとある庭園に入った

cinco capullos corté 五つの蕾を摘んだ

fueron los cinco sentidos 五つの蕾は

que puse yo en tu querer 僕が君に託した愛の五感

los mismos que me se han perdido 僕が失ってしまった五感そのもの

(fandango)

 その朝、カナル・スール(註1)ラジオ局からの電話で私は目を覚ました。
― 日本でとてつもない地震が起きたから、心配して電話したのだ
と、一度聴いたら忘れることのできない特徴のある声の持ち主、イサベルが言った。
― 震源地はミジャーヒ(註2)らしい、詳細がわかったらまた電話するから
と言って、電話は切れた。
 宮城県仙台市にある実家に何度か電話をしてみたが、呼び出し音すら鳴らなかった。アンダルシアにある我が家の窓からはおだやかな陽の光が射し込み、世界は何事もなかったかのように、美しく、整然としていた。事実をどう咀嚼したらいいのか思いあぐね、私はいつもどおりに身支度をし、主人のマヌエル(註3)とロタ(註4)へ朝食をとりに出かけた。

 コルク樫の木集落の家を後にして、「鯨高速道路」を西に向かって走る。5分もすると、紺碧の空の下、なだらかに広がるぶどう園を背景に、歪んだ黒いしみのようなものが出現する。数軒の建造物が寄り合うようにして傾いて建っているこの黒いしみが、私たちの以前住んでいた「レダマ集落」だ。ちなみにこのレダマ集落にレダマは1本も生えていない。集落の一番手前には、レダマ集落でいちばん古い住人、トリニダー(註5)の住んでいた黄色い平屋がある。塀を美しく飾っていた色とりどりのブーゲンビリアは彼女が亡くなって以来、すっかり枯れ果ててしまっていた。オアシスを失った砂漠のような寒々しい光景に、私はぞっと身震いした。
 レダマ集落をやり過ごし、私たちはロタに向かってさらに走りつづけた。バイクの後ろに乗った私の頭は、11年前へとタイムスリップしていた。

モノ。原型猫ロコの長男猫

モノ。原型猫ロコの長男猫

 2000年7月のその日は朝からどんよりと曇っていた。このあたりでは、連日35℃の猛暑の合間にときおり曇って涼しい日が訪れる。暑さに疲弊した私たちはほっと一息つくのだが、これを地元の人は「いちじくの実が柔らかくなるための日」と呼んでいた。私は1993年から住みついているレダマ集落の我が家で、飼い猫のモノ(註6)に餌をやっていた。モノ(mono)はスペイン語で「猿」の意味だが、この猫は走るときに尻尾を猿のようにぴんと立てることから名づけた。
 5キロ入りお徳用猫の餌をお椀にひとすくい入れてモノの目の前に置くと、モノは、「みあー」とひどく甘ったれた声で切なそうにひと鳴きし、私をルリチシャ(註7)のような青い瞳でうっとりと見つめた後、餌をがつがつとむさぼりはじめた。飼い主を満足させる猫たちのこの媚態は、彼らの本能的な行為なのだろう。

 「カナコォ、ハエが見たくないか?」
 マヌエルの元気な大声が塀の裏側から聞こえてきた。トリニダーの家の方角からだ。
「〝ハエ?〟」
 質問の意味を吟味しながら、私はトリニダーの家と我が家とを隔てている高さ1メートル20センチの塀を、足台を使って乗り越えた。こうすれば徒歩0分で彼女の敷地に到着する。塀をよじ登らずに徒歩で行こうとすると、家の門を出、ぐるっと砂利道を迂回して3分ほど歩かなくてはならなくなるのだった。
 八重のブーゲンビリアが艶やかに咲き狂っている塀の脇に、トリニダーが胸をそらして立っていた。トリニダーの背の高さは私のウエストのあたりまでしかなく、背中と首の間あたりがやや盛りあがっている。彼女の足元では白くてちいさい巻き毛の犬2匹が神経質に震えている。
  トリニダーの白っぽくむくんだ顔の鼻の両方の穴からはプラスチックの透明なチューブが一本ずつ出ていて、それが途中で一本にまとまり、巨大な酸素ボンベのところで終わっていた。ボンベは彼女の倍の高さといったところだろうか。ボンベを見ている私の視線に気がついたトリニダーは、
「あたしは肺が人よりもちいさいからね」
 と言って、にんまりと笑った。だから、酸素を人よりも余計に補充しなければならないらしい。たしかに、あのちいさな身体に内臓が全部入ると、かなり窮屈な感じだろうと思う。
 トリニダーが酸素ボンベ付きで生活するようになって数年が経っていた。元気な頃は屋根の上に軽々と登ってかぼちゃ(註8)を並べたり、梯子によじ登って鉄の窓枠を塗ったりと活動的だった彼女だが、肺炎にかかり、その後高さ二メートルのボンベとチューブでつながるようになってからは、めっきりとおとなしくなってしまった。といっても口の悪さと性格の邪悪なところがおさまったとはとても言えない。
「あんた‥‥なんで最近食べないの」
 彼女はさっそく顔に悪魔の笑みを浮かべて私に尋ねた。このところ、なぜか急に十キロもやせてしまった私に対する心理攻撃が始まったのだ。どこにも出かけずに家に縛られているうっぷんを私で晴らそうとしている。
「え。その、いっぱい食べてるんだけど、太れなくて」
「なんか悪い病気なんじゃないの」
 彼女の顔が活き活きと輝いた。
「そんなことはないけど。先月血液検査とかもして、なんでもなかったから。ほんとに。マヌエルの倍は食べてるのよ。そう見えないと思うけど」
「検査に出ない病気ってこともあるんじゃないの」
 なかなかしつこく食い下がってくる。相手が不安にかられるまで、攻撃の手を緩めないつもりらしい。
「あ、ハエって、何? 見に来たんだけど」
 私はすかさず話題をそらし、2匹の小犬とその飼い主と同様、あまり大きいとはいえない中庭に足を踏み入れた。近所の温室からもらってきた中古の半透明のプラスチックで天井を覆われた中庭にすき間なく置かれた植木鉢では、様々な花がそれぞれに好き勝手な色で咲き乱れていた。この中庭のことを、私は「トリニダーの秘密の花園」と呼んでいた。彼女ご自慢の、花芯が黄色ではなく真っ青なマーガレット「オホス・アスーレス(青い瞳)」も満開だ。
「ほらね」
 マヌエルが中庭の中央にあるテーブルを示した。テーブルはハエの屍骸で覆い尽くされ、黒っぽく見える。
「すごい。どうしてこんなにたくさんのハエが」
 ハエとハエの間には、赤と黄色の角砂糖を細かく砕いたざらめのような物が散らばっている。これがハエにとっては猛毒で、テーブルにばらまいて水を少量かけておくと、触れたハエは即死するのだ、と教えてくれた。そんな便利なものがあるとは知らなかった。
「これ、何だと思う?」
 マヌエルが笑いながら言った。
 天井から大きめのビニール袋が三つ風鈴のように吊ってある。軽そうな黒い細かいものでぎっしりだ。
「まさか、それ全部‥‥」
「そう。これ全部ハエ」
 こんなに大量のハエを見たのは生まれて初めてだ。中途半端ではない数だった。そんなにたくさんのハエが、いったいどこから出現するのだろう。彼女は雌鳥と羊を飼っているし、我が家では豚二頭と牛一頭(すべて食用)、高笑い家(註9)でも七面鳥や鴨やその他いろいろな動物を飼っているため、この集落はハエが多い。それにしても、この数は半端ではない。
「おじゃがと煮込むとこれがおいしいの」
「そうそう、唐辛子なんかもちょっと利かして」
 トリニダーの冗談にマヌエルが楽しそうに付け加えた。こういう食べ物がらみの冗談がアンダルシア人は大好きだ。
 ハンチング帽(トリニダーのご主人)が生のあばら骨の詰まった大袋を背中にしょって戻ってきた。すこし離れたところにあるベンタ(註10)からもらってきたらしい。ハンチング帽は、骨のところどころにぼそぼそとこびりついているお肉をナイフでこそぎ取りはじめた。
「何にするか知ってる?」
「さあ」
 こそぎ取ったお肉を団子状に丸め、中にねずみ用の毒を練りこむのだそうだ。先月、毒殺死した飼い猫の空色の瞳が脳裏を一瞬、よぎった。彼らの盛った毒で私の飼い猫の何匹かが死んでいた。ハンチング帽は、青緑色の丸い玉を細心の注意を払って肉団子の真ん中に埋め込んでいく。
「ねずみはこれでいちころ」
 とトリニダーが自慢げに胸をそらせた。
― 私の猫もいちころだったのだろうか
 突然深刻になった私の顔に気がついたのか、
「ここは湿気が多くて身体に悪いから、この家を売って、チピオナのピソ(マンション、アパートのこと)に住むことにしたの。あんたたちもあの〝薄汚いバラック〟を早く売り払って、町にピソ買ったら」
 と彼女が話題を変えてきた。自分の家は棚に上げて、私たちの家のことを薄汚いバラックと平然と言ってのけても全然嫌味にならないところがすごい。
「今考えてるところだけど」
 赤と黄色のざらめに触れたハエが、飛び去ろうとして、急に気を変えたとでもいうようにそのままテーブルにはりついて、動かなくなった。たしかに効果はある。
「ところで、お母さん元気?」
 話題がまた変わった。
「あ、ありがとう。元気みたい」
 本当は近ごろ毎日頭痛に悩まされ、それほど元気ではないのだが、ここで正直なことを言うと大変なことになる。
「ほんとうに元気なの? 一人娘のあんたがこんな遠いところに住んでて‥‥‥元気だって言ってるだけなんじゃないの? 実は病気だとか」
 また新たな心理攻撃が始まった。
「あ。お鍋かけっぱなしにして来たから。またあとで」
 私は古典的な手法で攻撃第二段をかわし、外に出てきた。
「こういっちゃなんだけど」
 後から付いて来たマヌエルが含み笑いをして、
「鼻にチューブ差してても、性格の邪悪さはぜんぜん軽減しないな」
 と言った。
― ふふふ、と私は低く笑った。

 私たちはトタン屋根の家並を見ながら砂利道を大きく迂回して戻ってきた。トリニダー家の隣り、我が家の後ろにぴったりくっついているのがひっつめ(註11)の家。道路をはさんで右手に建っているガレージのようなものが黒ひげ(註12)の別宅。その隣りに黒ひげの長男、注ぎ口が一人でレンガを積みあげた未完成の家があり、さらにその隣りに鳩小屋のようなマヌエルの弟茶ひげ(註13)の家がある。左手の角にある糸杉に囲まれた家はマヌエルのもうひとりの弟高笑いが週末用の別宅として使っている。高笑い家の先が我が家であり、さらにその先に黒ひげ家本宅が存在する。
 高笑い家の手前にポテトチップの空き袋が落ちていた。夜露に濡れていないところから見て、今朝、ここを通りかかった誰かが食べ終わった地点で捨てたのだろう。十歩ほど前進すると、今度はコカコーラの二リットルボトルがふたのないまま転がっていた。これも誰かがそこで飲み終わり、その場に手放したのだと思われる。さらに八歩進むと、十歳児用の青いジャージが脱ぎ捨てられているのを発見した。落ちているというよりも、その場で脱いでそのまま放置した、というのがぴったりの形でそこに留まっている。さらにその数メートル先には、真新しいスポーツシューズの右だけが転がっている。どうしてこんなところにジャージを脱ぎ捨て、ついでに靴も半分だけ脱いだのかは、シャーロック・ホームズでも推理が困難なところだろう。

 後ろから、「づづづづ」と車が入ってくる音が追いかけてきた。振り向くと、見かけない白い車が近づいてきていた。
「なんか用か」
 右頬に6センチほどの古傷が横に走っているマヌエルが、車を手で制止し、ドスのきいた声で言った。
「こ、こんにちは」
 車の青年はすこしおびえた様子で車を停め、片足だけを車から出してあいさつをした。
「電気のメーターを見に来たんですが。今、よろしいですか」
「家には、電気のメーターは、ない」
 とマヌエルがあっさりと言うと、青年の丸眼鏡が一瞬、曇ったように見えた。
「あ、でも、電気はあるんですよね。テレビとか。ほら、アンテナが。水のモーターも」
 屋根から突き出ているアンテナと井戸の水を汲みあげるために使っているモーターを指差して彼は言った。パジョ(註14)にしてはなかなか観察眼が鋭い。
「電気があろうとなかろうと、お前には関係ない。なにしろ、メーターは、ない。この家に以前住んでた麻薬中毒患者がメーター引っこ抜いたから、ない。わかった?」
 家にメーターがないのは本当だ。数年前まではメーターがあったのだが、これが年代物で、年中スイッチが上がってしまって不便なため、大雨のある日、停電になったついでにメーターを引っこ抜いてしまい、家の裏手を走っている電線の「皮」を剥いて家の電線に直接つないでしまった。以来電気が切れることがなくなり、メーターがないため、どんなに使っても毎月最低限の請求書(12ユーロ程度)しか来ないようになり、私たちの生活水準値(QOL)はかなり改善された。
「なにか用があるんだったらメーターを引っこ抜いた麻薬中毒患者に言ってくれ。わかったか?」
「あ、あの、その麻薬中毒の方はご親戚かなにかですか? どうやったら連絡が取れるでしょうか?」
「自分で探してみろ」
 マヌエルの迫力に負けた係員は混乱した頭で去っていった。

楽園追放

el mengue por su avaricia 悪魔は欲張りのために

le condenó y fue al infierno 罰を受け地獄へ行った

y tú por avariciosa お前も強欲だから

a ti te va a pasar lo mismo 同じ目に遭うだろう

(soleá)

 「sataná」「demonio」「diablo」などがスペイン語における悪魔の名称だが、この国にはカトリック教が浸透しているせいか、悪魔の名前をはっきりと口にするのをはばかる習慣がある。そのため「mengue」「pata」などと遠まわしに呼ばれることも少なくない。
 悪魔はもともとルシファーと呼ばれる天使であったが、神に対して謀反を起こしたために天国から追放されたと言われている。また一説では、神と対峙するものとして神が創りあげた存在なのだとも言われている。つまり、もともと神への謀反という罰を犯すようにプログラムされていたらしい。聖書にはいくつもの解釈があり、暗示を読み解いていくと驚くような真実が現れてくることがしばしばある。
 アダムとイブにしても同じことが言える。彼らはエデンの園の管理人として何不自由のない暮らしをしていたが、蛇にそそのかされて、神から「絶対に食べてはならない」と言われていた善悪の知識の木の実を食べてしまう。彼らがこの「原罪」を犯したがゆえに、私たち人間は額に汗して働くことになり、出産の苦痛を味わうことになる。しかし他の見方をすれば、彼らは無意識に罪を犯したのではなく、生まれたときから罪を犯す役割を与えられていたらしいのだ。神の傀儡としておとなしくしていれば楽園で何の苦労もない生活を約束されていたのに、アダムとイブは自分たちの意思と判断であえて困難の多い人生を選び取ろうとしたのであり、それを手助けした蛇は人間の真の解放者なのだとグノーシス(註15)などでは解釈しているようだ。
 古代の日本においても、兄妹であるイザナギとイザナミから本州や九州などの八つの島と風、水、海、山、草が生まれ、そして数々の子孫が生まれていった。罪を犯せば罰が下る、と私たちは教え込まれて育ってきたが、実は罪と罰は必ずしもセットになっているわけではない。イザナギとイザナミの間には骨のない蛭子(ひるこ)が生まれてしまい、これを悲しんだ両親は蛭子を海に流してしまう。しかし、これは近親相姦という罪を犯したから罰を受けて骨のない子どもが生まれたというわけでもなんでもなく、女性であるイザナミから声をかけたのが原因だった、つまりやり方を間違った結果が蛭子だというのだから、私たちが抱いている罪の概念とは、かなりかけ離れていることがわかる。
 ゼウスとヘラは兄妹兼夫婦だったし、古代エジプトにおいても、オシリス神とイシス神は兄と妹であり、そして夫と妻であった。妬み深い弟のセトに殺害されたオシリスをイシスが探し出し、魔術を使って屍との間にもうけた子どもがホルス神だというから、彼らは近親相姦の上にネクロフィリアまで犯している。その他、世界中の神話のほとんどは近親相姦や親殺し、姦通などのタブーに満ち満ちている。「私たちの始まり」は罪で塗り尽くされているのだ。

 今回の大地震を「天罰」だと言った政治家がいたが、誰かが罪を犯したから、この天罰が下ったのだと言いたかったわけではない。人類の長い歴史の中では、罪を犯しても罰を受けなかったり、罪を犯さなくても罰を受けたりといったことは何千回も起こっている。ユダヤ人は特にこれといった罪を犯したから大量虐殺されたわけではもちろんない。ユダヤ人と同様、罪を犯していないのに、ただ「ヒターノである」というだけで罰せられたヒターノも数知れない。

 地震のあった夜、実家に何十回も電話をかけてみたが、あいかわらず、呼び出し音さえ鳴らない状態だった。スペインのニュース番組では地震が未曾有の規模であること、そして海岸沿いの何百世帯もが巨大な津波にさらわれたことを報道していた。日本のニュースをそのまま転送している部分もあり、映像の右隅には「荒浜」の文字が出ていた。松林と海岸のあったと思われる場所は土砂に埋まり、まるで黙示録のシーンのひとつのようだった。いったいいくつのエデンの園がこの地上から瞬時に消え去ったのだろう、と私は茫然とした。
 子どものころに母と何度か訪れた荒浜海岸のこと、そのときに着ていたちょうちん袖のピンクの服のこと、わが娘が成長しきってしまう前の一瞬を永遠にとどめようとして、カメラのシャッターを切る母とその顔に浮かんだ紫陽花のような微笑を私は思い出していた。

 電話が鳴った。レダマ集落の家の買い手が現れた、という内容だった。「SE VENDE(売ります)」の看板を家の塀に貼り付けたのは数ヶ月前のことだったが、超不景気の今どき、家が売れるとはマヌエルも私も正直な話、ぜんぜん考えていなかったので、これは驚きだった。今さら、「実は真剣に売りたいと思っていたわけではない」と言うわけにもいかない。買い手は急いでいるらしく、明日にも書類を作成してお金を払いたいと言っていた。
 その夜、私とマヌエルは沈んだ気分で眠りについた。

神話

 数週間ぶりに、レダマ集落の家の二重鍵で頑丈に閉まっている門を開けた。無数のエピソードと無数の寓話、そして無数の神話が生まれては消えていった家。樽に貯蔵されたワインは、樽をゆり動かすと底に沈んだ澱が舞い上がり、ガラスのコップに注ぐと、その澱のひとつひとつが光を受けて数年前の、あるいは数十年前の物語を私たちに語りかけてくるのだ。レダマ集落の旧家に足を踏み入れるのは、このワインの澱を舞い上がらせる行為とよく似ていた。

壁も柱も何もないところにドアだけ設置された入り口。左手のサボテンは、近所からもらってきたものを挿し木して増やした

壁も柱も何もないところにドアだけ設置された入り口。左手のサボテンは、近所からもらってきたものを挿し木して増やした

かつてはレモン、オレンジ、桃などの果樹やローズマリー、天国の木が育っていた中庭

かつてはレモン、オレンジ、桃などの果樹やローズマリー、天国の木が育っていた中庭

毎年20キロのりんごを実らせていた木

毎年20キロのりんごを実らせていた木


鉄柵にぶらさげられたサボテンは、「立ち入り禁止」を意味している

鉄柵にぶらさげられたサボテンは、「立ち入り禁止」を意味している

かつてフラメンコのスタジオがあったところ

かつてフラメンコのスタジオがあったところ

手作りの井戸。手前に生い茂っているのがルリチシャ

手作りの井戸。手前に生い茂っているのがルリチシャ


 この家に私は15年も住みつづけた。15年といえば、私が同じ場所に住み続けた最長記録でもある。考えてみれば引越しの多い半生を過ごしてきた。覚えているだけでも9回は引越しをしているが、今までの生涯でいちばん長く住んだのがこの半廃墟ともいえる家だと思うと、なにか不思議な感慨がある。さらに、この家で、大部分の年月を私は住民票なしで過ごした。住民票を日本から抜いた後、スペインで新たに住民票を作っていなかったために、世界中のどこにも住民票を持たない状態がつづいたわけだが、その間、「住所不定」という言葉をよく思い出した。中学生の頃、よく当たるという占いのおじさんが私の顔を見るなり「あ、この人は住所不定ですね」と言い、母がひどく心配したことがあった。その当時はぴんと来なかったが、占いは精確だったのだ。

ロコとチョリソ。彼らから100匹以上の子孫が生まれることになる

ロコとチョリソ。彼らから100匹以上の子孫が生まれることになる

 椰子の木の陰から、白い大きな猫がこちらをじっと見ているのに気がついた。猫は原型猫のロコ(註16)とまったく同じ、ルリチシャのような悲しげな瞳で私を数秒間見つめた後、ひらりと高笑い家の方へと姿を消した。原型猫から何代を経ているのかは想像もつかなかった。
 レダマ集落の家では100匹以上の猫が生まれたが、この猫たちは多くの神話と同様に近親相姦から生まれたものだった。鶏小屋にちいさな兄妹猫を閉じ込めて育てたのが我が家の神話の始まりだった。兄のロコは青い瞳が印象的な白猫で、耳としっぽの縞々にシナモン色が入っている。妹のチョリソ(註17)は茶色の凡庸な縞猫で、緑とも茶とも限定できない夏の終わりの枯れ草のような微妙な瞳の色が、コケティッシュといえばコケティッシュだった。

原型から生まれた「白タイプ」。ロコの孫甥「サパトベルデ(緑の靴)」と「カラアマリージャ(黄色い顔)

原型から生まれた「白タイプ」。ロコの孫甥「サパトベルデ(緑の靴)」と「カラアマリージャ(黄色い顔)」

  いつのまにか成長した囚われのチョリソは、4匹の子猫を産み落とした。父猫はもちろん兄のロコである。罪の意識にさいなまれた私は彼らを鶏小屋から開放したが、その後、生まれてくる猫たちは自主的に家族内で交配し、白あるいは茶縞の遺伝子を執拗に繰り返した。三毛猫、黒白タイプなどもたまには出現したが、基本はあくまでも白と茶縞の原型2タイプである。白だけのいつつ猫、茶だけのいつつ猫なども生まれた。白猫は毛色と瞳の色ばかりではなく、原型猫の繊細で神経質な性格も受け継いでいて、餌をやるたびに私はいつも驚かさないようにと注意してそっと近づいていったものだった。

原型から生まれた「茶縞タイプ」。いつつ猫

原型から生まれた「茶縞タイプ」。いつつ猫

ロコの姪「フラメンカ(フラメンコ女)」

ロコの姪「フラメンカ(フラメンコ女)」

ロコの甥「オルミギータ(蟻ちゃん)」とルリチシャ

ロコの甥「オルミギータ(蟻ちゃん)」とルリチシャ

 家の売買はごく手短に済ませられた。町で書類の手続きをし、鍵の受け渡しを行い、昔、エデンの園であったレダマ集落の旧家を永遠に後にし、私たちはコルク樫集落にある新エデンの園に向かって鯨高速道路を東へ走った。バイクには数万ユーロのお札が詰まっていたが、特にうれしいというわけでもなく、マヌエルはどちらかというとメランコリックな声で、マラゲーニャ(註18)を口ずさんでいた。

yo voy a buscar la flor que amaba 愛していた花を探しに僕は行く

entré en el jardin de Venus ヴィーナスの園に入り

y me encontré a lili morena 褐色の百合を見つけた

que era la flor que buscaba 僕の探していた花

para que me alivie mis penas 僕の苦悩をやわらげてくれるために

(malagueña)

杖ほどの大きさだったものが塀を覆い尽くすまでに成長したブーゲンビリア

杖ほどの大きさだったものが塀を覆い尽くすまでに成長したブーゲンビリア

杖ほどの枝を挿し木したものが成長したミモザ

杖ほどの枝を挿し木したものが成長したミモザ

 新居に到着すると、うぐいすが高らかな声で私たちを迎えてくれた。1年前に植えた、杖ほどの丈のミモザがすっかり成長して鮮やかな黄色の花を咲かせている。このミモザは、旧エデンの園に生い茂っていたミモザの枝を持ってきて挿し木したものだ。同じように挿し木したレダマ集落由来の天国の木や棗、いちじく、ブーゲンビリアなども、植えたときには弱々しい杖ほどの大きさだったものが、水と太陽の光と年月という魔法によって豊かな木にと変容していた。レダマ集落の一部は新しい園ですでに再生を始めているのだった。

双子の桑の木。杖ほどの大きさだった

双子の桑の木。杖ほどの大きさだった

 私たちはそれぞれのエデンの園を心の中に抱いて生きている。エデンの園から追放されることを自ら選んだ者もいれば、脱出を余儀なくされた者、園自体が消失してしまった者などいろいろだが、次の行き先がどこであれ、私たちは新たなエデンの園を地球のどこかで再び創りはじめる。人間が生きているかぎり、エデンの園が完全に失われてしまうことはないのだった。


― その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた。

(旧約聖書 民数記17章)

(註1) カナル・スール(Canal Sur)
アンダルシアに拠点を置くテレビ・ラジオ局。

(註2) ミジャーヒ
「Miyagi(宮城)」をスペイン語で発音すると「ミジャーヒ」になる。

(註3) マヌエル
筆者の夫。芸名アグヘタ(Agujetas)。カンタオール(フラメンコの唄い手)。純粋で古い形のフラメンコを現在に伝える最後の継承者として、スペイン国内はもとより、世界的に高く評価されている。

(註4) ロタ(Rota)
スペイン南部、カディス県に位置する市。米軍基地があることで広く知られている。

(註5) トリニダー
レダマ集落に住む隣人。拙著「モーロ人は馬にのって」参照

(註6) モノ(mono)
原型猫であるロコ(loco)の長男猫。白い毛、青い瞳、シナモン色の耳、シナモン色と白の縞々のしっぽ、神経質な性格など、父の特徴をすべて譲り受けている。

(註7) ルリチシャ
アンダルシアの春の野に咲きだす、細かい棘で葉と茎を覆われた薬草。美肌効果があり、浄血作用もあるといわれる。地域によっては食用にする。ルリのように青い花が特徴。スペイン語でボラッハ(Borraja)。ボラージュ。

(註8) かぼちゃ
夏に収穫されるかぼちゃを屋根の上に並べて保存する家がこのあたりでは多い。冬至までは充分にもつ。

(註9) 高笑い
マヌエルの弟

(註10) ベンタ
ベンタ(venta) 郊外にあるレストラン兼バル。

(註11) ひっつめ
チピオナの周辺部落に住む隣人。髪をひっつめにしているので「ひっつめ」というあだなが付いた。「フラメンコの深淵5 異端(SPAZIO NO.69)」」参照。

(註12) 黒ひげ
マヌエルの弟。すいか(「フラメンコの深淵4」の父、卵返し(「フラメンコの深淵5」参照)の祖父

(註13) 茶ひげ
マヌエルの弟

(註14) パジョ (payo)
ヒターノ民族以外のスペイン人。女性はパジャ(paya)

(註15) グノーシス
グノーシスは古代ギリシア語で「認識・知識」を意味している。1世紀に生まれ、3~4世紀に地中海に広まった思想。

(註16) ロコ(loco)
スペイン語で「loco」はきちがいのこと

(註17) チョリソ(chorizo)
「chorizo」は腸詰めのこと。チョリソが好きだったので、こう名づけられた

(註18) マラゲーニャ
フラメンコの曲調のひとつ。

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