木で描かれた透視画 -イタリア・ルネサンスの木象嵌(タルシア)-

はじめに-木で描かれた透視画

タルシア技法図解 フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(メトロポリタン美術館)(図14の右端の画面に相当)水平に板を4枚重ねて支持板とし、その上に大小の木片を置き、その上からさらに小さな木片を象嵌する。背後に縦に補強材2本を添える

(図1)タルシア技法図解 フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(メトロポリタン美術館)(図14の右端の画面に相当)水平に板を4枚重ねて支持板とし、その上に大小の木片を置き、その上からさらに小さな木片を象嵌する。背後に縦に補強材2本を添える

 イタリア・ルネサンスの木象嵌(タルシアtarsia lignea)は、所定の形に切りわけた木のピースを地板のくぼみに嵌める、あるいはジグソーパズルのように支持板の上でピースを寄せるという、原理としては単純な工芸装飾技法であり(図1)、石の床モザイクや金属の象嵌と同類である。しかし、タルシアをほどこした工芸品は触れて温かく、金属や石よりもはるかに変化に富んだ木素材の美しさを生かしている。
 ルネサンスの時代に、この伝統的な工芸技法に大きな変化が起こった。図1に見るように、タルシアに透視遠近法(また透視画法。いずれもプロスペッティーヴァprospettiva)が導入されて、タルシアは絵画に近づいた。手文庫やカッソーネ(長持ち)、クレデンツァ(食器棚)といった工芸品をかざる装飾の技から離れ、タルシアは手で触れる対象から、見られる対象になった。
 この木で描いたタルシア画の歴史は短く、15世紀中ごろ前後から16世紀の前半のほぼ一世紀である。絵画史でいえば、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1415/20-1492)とレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の生涯を重ねると、およそタルシアの絵画の一世紀をカバーする。そしてタルシア職人はこれらの画家たちから透視画を学び、あるいは彼らから下絵を受け取って、新しい世界をタルシアにひらいた。タルシアの職人たちは「マエストロ・ディ・プロスペッティーヴァmaestro di prospettiva」、つまり「透視画のマエストロ」と呼ばれ、驚きの目をもって人びとに迎えられた。フィレンツェの年代記作者ベネデット・デーイ(1418-92)は「絵に描いたようにタルシアで透視画や人物をあらわすことがはじまった時代に、私はいた」と書き、1470年のフィレンツェでタルシア作家として知られたアントニオ・マネッティ(Antonio Manetti 1402 ca.-1460)、ジュリアーノ・ダ・マイアーノ(Giuliano da Maiano 1432-90)ほかの人びとの名前を列記している。
  こうして、透視画を意味する「プロスペッティーヴァ」の一語だけでタルシアの透視画をさすまでになり、わずかの間にそれは北イタリア全域に広がっていった。
  画家の領分であった透視画はタルシアの世界でどのように独自の表現をひらき、木という素材はどのように生かされていったか。こうした問題をイタリア各地のタルシアの現場にたずね、考えてみたい。そのさい、ルネサンスの人びとにならって、タルシアの透視画を単に透視画と呼ぶことにするが、タルシアという場合、装飾模様など加飾の技法をさす場合もある。

1 透視画の表現と場所

 タルシアの透視画の名品が見られるのは、教会の身廊ないし内陣に設置された木製のコーロ(coro聖職者祈祷席)(図2、3)と、サクレスティア(sacrestia聖具室・ミサ準備室)の板壁(図4、5)、ないしアルマディオ(収納棚)(図6)、ミサ用書見台(図7)などであり、世俗のパラッツォでは、数は少ないがストゥディオーロ(studiolo文人らの書斎)(図8~14)である。ここからわかるように、タルシアの透視画は額に入れて眺められるものではなく、広い意味でインテリアと家具調度の装飾であり、それを離れた存在としての透視画はありえなかった。その一線を越えて絵画に近づきすぎた時、ルネサンスの透視画は生命を枯渇させ、その短い歴史を閉じる事になるが、短命だったがために、その魅力はいっそう輝いてみえる。

サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会(ヴェネツィア)の身廊に設置されたコーロ(聖職者祈祷席)マルコ・コッツィ 1468年 三段からなる124席の祈祷席は最大規模

(図2)サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会(ヴェネツィア)の身廊に設置されたコーロ(聖職者祈祷席)マルコ・コッツィ 1468年 三段からなる124席の祈祷席は最大規模

サン・ドメニコ教会(ボローニャ)のコーロ フラ・ダミアーノ・ザンベッリ 1541-94年 当初身廊にあったが後に内陣に移設

(図3)サン・ドメニコ教会(ボローニャ)のコーロ フラ・ダミアーノ・ザンベッリ 1541-94年 当初身廊にあったが後に内陣に移設

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ)のサクレスティア(聖具室) 壁のタルシアはアントニオ・マネッティ、ジュリアーノ・ダ・マイアーノほか 1436-65年頃

(図4)サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ)のサクレスティア(聖具室) 壁のタルシアはアントニオ・マネッティ、ジュリアーノ・ダ・マイアーノほか 1436-65年頃

サンマルコ大聖堂(ヴェネツィア)のサクレスティア アルマディオの聖マルコ伝透視画はマントヴァのアントニオ・モーラとパオロ・モーラほか 1496年 Per gentile concessione della Procuratoria di San Marco, Venezia

(図5)サンマルコ大聖堂(ヴェネツィア)のサクレスティア アルマディオの聖マルコ伝透視画はマントヴァのアントニオ・モーラとパオロ・モーラほか 1496年 Per gentile concessione della Procuratoria di San Marco, Venezia


アルマディオ(収納棚) サン・ドメニコ教会(ボローニャ)フラ・ダミアーノ・ザンベッリ 1541-49年 アルマディオの扉に受難の刑具などをあらわす

(図6)アルマディオ(収納棚) サン・ドメニコ教会(ボローニャ)フラ・ダミアーノ・ザンベッリ 1541-49年 アルマディオの扉に受難の刑具などをあらわす

書見台 サンタ・マリア・イン・オルガノ教会(ヴェローナ)フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1500-01年 扉にうさぎの透視画

(図7)書見台 サンタ・マリア・イン・オルガノ教会(ヴェローナ)フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1500-01年 扉にうさぎの透視画

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(南面)(ウルビーノ、パラッツォ・ドゥカーレ/マルケ国立美術館)バッチョ・ポンテッリないしジュリアーノ・ダ・マイアーノか 1473-76年

(図8)フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(南面)(ウルビーノ、パラッツォ・ドゥカーレ/マルケ国立美術館)バッチョ・ポンテッリないしジュリアーノ・ダ・マイアーノか 1473-76年

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロの東壁(ウルビーノ)

(図9)フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロの東壁(ウルビーノ)


「甲冑保管庫」フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(東面)(ウルビーノ)

(図10)「甲冑保管庫」フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(東面)(ウルビーノ)

「礼拝所」(部分)フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(東面)(ウルビーノ)

(図11)「礼拝所」(部分)フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(東面)(ウルビーノ)

「愛徳」の擬人像  フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(南面)(ウルビーノ)

(図12)「愛徳」の擬人像 フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(南面)(ウルビーノ)

「望徳」の擬人像  フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(北面)(ウルビーノ)

(図13)「望徳」の擬人像 フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(北面)(ウルビーノ)

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(グッビオ、現在ニューヨーク・メトロポリタン美術館) バッチョ・ポンテッリないしジュリアーノ・ダ・マイアーノか 1482年以前

(図14)フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(グッビオ、現在ニューヨーク・メトロポリタン美術館) バッチョ・ポンテッリないしジュリアーノ・ダ・マイアーノか 1482年以前


コーロ(聖職者祈祷席)に生まれる新しいテーマ

サン・ドメニコ教会(ボローニャ)のコーロにおける昼の祈祷

(図15)サン・ドメニコ教会(ボローニャ)のコーロにおける昼の祈祷


モデナ大聖堂のコーロ(部分) カノツィ・ダ・レンディナーラ兄弟 1461-65年 同じ内陣において方向を180度転換して再配置

(図16)モデナ大聖堂のコーロ(部分) カノツィ・ダ・レンディナーラ兄弟 1461-65年 同じ内陣において方向を180度転換して再配置


チェルトーザ・ディ・パヴィーアのコーロの祈祷席(スタッロ)より パンタレオーネ・デ・マルキとバルトロメーオ・ポッリ 1486-98年 スパリエーラにマグダラのマリア像を描く。椅子の背は跳ね上げた座面に隠されている

(図17)チェルトーザ・ディ・パヴィーアのコーロの祈祷席(スタッロ)より パンタレオーネ・デ・マルキとバルトロメーオ・ポッリ 1486-98年 スパリエーラにマグダラのマリア像を描く。椅子の背は跳ね上げた座面に隠されている

 コーロは修道士や司祭らが日に何度か祈りをささげる場所であり(図15)、木製のスタッロ(stallo)と呼ばれる椅子からなり、背もたれ(dorsale)と、その上のスパリエーラ(spalliera)と呼ばれる区画に透視画は展開される(図16、17)。従来の技法から抜け出て、透視遠近法による風景・建築・器物などが絵画的にあらわされるフィールドがここである。
 しかし、教会にあるからとはいえ、コーロは今でも信者大衆が入れないスペースである(もちろん例外もあり、例えばボローニャのサン・ドメニコ教会のコーロは祈りの時間以外は公開されている)。なぜなら、今述べたようにコーロは聖職者らの祈りの場所であり、全体が仕切りで囲われた、いわば「教会内教会」というべき閉じた構造だからである。しかもコーロの多くは、内陣の祭壇に向けられる信者たちの視線をさまたげるかのように教会中央の身廊に設置されていた(図2参照)。過去形で書いたのは、16世紀のトレント公会議(1545-63)の決定によって、コーロはミサが執り行われる祭壇を見つめる信者らの目のさまたげとなるとして、その多くが身廊から内陣に移され、あるいは解体される事になったからである。さて、こうした特殊な条件のもとで、透視画に新しいテーマ(主題)が生まれた。
  信者大衆の目を気にしない聖職者らの祈りの場だから、教化目的の主題は少なく、風景や建築、器物などバロック以後の絵画で確立される風俗画的なモノたちや実景の描写が、絵画に先がけて多く見られるようになり、中には、マエストロたちの使うカンナやノコギリやコンパスも誇らしげに登場する(図18~24)。教会の中の事だから、キリスト教主題のレパートリーも確かにあるが(図25~29)、主流はやはり風景・建築・器物の方である。しかも、それらモノたちの世界は、まだ、後のバロック絵画に見られるような寓意や象徴といった宗教的な意味はほとんど担っていない。
  興味深い事だが、そうしたコーロを製作したマエストロの何人かは修道士だった。たとえば、ジョルジョ・ヴァザーリがタルシア技法を論じた箇所で名を挙げている2人の名工がそうである。フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ(Fra Giovanni da Verona 1457/58-1525)はオリヴェト会士であり、もう1人のフラ・ダミアーノ・ザンベッリ(Fra Damiano Zambelli ca.1480-1549)はドメニコ会士だった。彼らはそれぞれの宗派のネットワークをたどって、各地でコーロやサクレスティアの制作にたずさわった。オリヴェト会士フラ・ジョヴァンニはヴェローナの菩提寺サンタ・マリア・イン・オルガノ教会、シエナ近郊のモンテ・オリヴェト・マッジョーレ修道院、ナポリのサンタンナ・デイ・ロンバルディ教会で。ドメニコ会士フラ・ダミアーノはボローニャのサン・ドメニコ教会とベルガモのサン・バルトロメーオ教会で。
  修道士の仕事であるからなおさら、彼らが透視画に描いた宗教臭さを感じさせない近代的ともいえるモノ自体の表現に驚かされる。
   さて、コーロの中には、朝夕の光を受けて明るいコーロもあるが、その多くはトレント公会議後に身廊から内陣に、つまり明るい東側に移設されたものであり(図3、16参照)、身廊に設置された本来のコーロは薄暗い空間であり、その閉じた構造と茶褐色ないし黒の構造材(多くはクルミ)がこの薄暗さを助長している。そうした環境の中で私たちはライトで照らして画面を見たくなる。しかし、まずは目が暗さに慣れるのを待つ。画面の空間がまるで現実世界の延長にあるかのような錯覚にとらわれるのは、この暗さの中での事だ。

実景をあらわすコーロの透視画(スパリエーラ)「マニョーリア回廊から見た聖アントニウス教会」(部分) 聖アントニウス教会(イル・サント)(パドヴァ)のサンタ・ローザ・ダ・リマ礼拝堂(18世紀の火災で焼失した身廊のコーロの一部) ロレンツォ・カノツィ・ダ・レンディナーラ  1462-69年

(図18)実景をあらわすコーロの透視画(スパリエーラ)「マニョーリア回廊から見た聖アントニウス教会」(部分) 聖アントニウス教会(イル・サント)(パドヴァ)のサンタ・ローザ・ダ・リマ礼拝堂(18世紀の火災で焼失した身廊のコーロの一部) ロレンツォ・カノツィ・ダ・レンディナーラ  1462-69年

実景をあらわすコーロの透視画(スパリエーラ)「ローマのコロッセオ」(部分) モンテ・オリヴェト・マッジョーレ修道院 フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1502-16年

(図19)実景をあらわすコーロの透視画(スパリエーラ)「ローマのコロッセオ」(部分) モンテ・オリヴェト・マッジョーレ修道院 フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1502-16年

コーロの透視画(スパリエーラ)「聖杯と書物」(部分) シエナ大聖堂 フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1503-05年

(図20)コーロの透視画(スパリエーラ)「聖杯と書物」(部分) シエナ大聖堂 フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1503-05年

コーロの透視画(背もたれ)「マッキナ(からくり)」 サン・ドメニコ教会(ボローニャ) フラ・ダミアーノ・ザンベッリ 1541-49年

(図21)コーロの透視画(背もたれ)「マッキナ(からくり)」 サン・ドメニコ教会(ボローニャ) フラ・ダミアーノ・ザンベッリ 1541-49年


コーロの透視画(スパリエーラ)「タルシアの道具」 サン・ペトローニオ教会(ボローニャ) アゴスティーノ・デ・マルキ 1468-77年

(図22)コーロの透視画(スパリエーラ)「タルシアの道具」 サン・ペトローニオ教会(ボローニャ) アゴスティーノ・デ・マルキ 1468-77年

コーロの透視画(スパリエーラ)「書物と木箱」 サン・ペトローニオ教会(ボローニャ) アゴスティーノ・デ・マルキ 1468-77年

(図23)コーロの透視画(スパリエーラ)「書物と木箱」 サン・ペトローニオ教会(ボローニャ) アゴスティーノ・デ・マルキ 1468-77年

コーロの透視画(スパリエーラ)「タルシアの道具」 サン・ペトローニオ教会(ボローニャ) アゴスティーノ・デ・マルキ 1468-77年

(図24)コーロの透視画(スパリエーラ)「タルシアの道具」 サン・ペトローニオ教会(ボローニャ) アゴスティーノ・デ・マルキ 1468-77年

コーロの透視画(背もたれ)「十字架」 サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会(パルマ) 1513-32年 コーロの透視画にはキリスト教主題のモチーフも少なくない

(図25)コーロの透視画(背もたれ)「十字架」 サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会(パルマ) 1513-32年 コーロの透視画にはキリスト教主題のモチーフも少なくない


「カオス」 サンタ・マリア・マッジョーレ教会(ベルガモ)コーロの祈祷席(背もたれ) ジョヴァン・フランチェスコ・カポフェッリ(原画ロレンツォ・ロット) 1534-31年

(図26)「カオス」 サンタ・マリア・マッジョーレ教会(ベルガモ)コーロの祈祷席(背もたれ) ジョヴァン・フランチェスコ・カポフェッリ(原画ロレンツォ・ロット) 1534-31年

同「カオス」(部分) 写真は当初の状態を想定して画像を正立させた

(図27)同「カオス」(部分) 写真は当初の状態を想定して画像を正立させた

「アダムの創造」 サンタ・マリア・マッジョーレ教会(ベルガモ)のコーロの祈祷席(背もたれ)(現在アルマディオに別置) ジョヴァン・フランチェスコ・カポフェッリ(原画ロレンツォ・ロット) 1523年

(図28)「アダムの創造」 サンタ・マリア・マッジョーレ教会(ベルガモ)のコーロの祈祷席(背もたれ)(現在アルマディオに別置) ジョヴァン・フランチェスコ・カポフェッリ(原画ロレンツォ・ロット) 1523年

「兄弟に売られるヨセフ」 サンタ・マリア・マッジョーレ教会(ベルガモ)のコーロの祈祷席(背もたれ) ジョヴァン・フランチェスコ・カポフェッリ(原画ロレンツォ・ロット) 1525年頃

(図29)「兄弟に売られるヨセフ」 サンタ・マリア・マッジョーレ教会(ベルガモ)のコーロの祈祷席(背もたれ) ジョヴァン・フランチェスコ・カポフェッリ(原画ロレンツォ・ロット) 1525年頃


サクレスティアとストゥディオーロで感じる透視画の空間

サンタ・マリア・イン・オルガノ教会(ヴェローナ)のサクレスティアのアルマディオ フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1519-23年

(図30)サンタ・マリア・イン・オルガノ教会(ヴェローナ)のサクレスティアのアルマディオ フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1519-23年


「レオナルドの多面体」 サンタ・マリア・イン・オルガノ教会(ヴェローナ)のアルマディオ フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1519-23年

(図31)「レオナルドの多面体」 サンタ・マリア・イン・オルガノ教会(ヴェローナ)のアルマディオ フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1519-23年


「フクロウと聖具」 サンタ・マリア・イン・オルガノ教会(ヴェローナ)のアルマディオ フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1519-23年

(図32)「フクロウと聖具」 サンタ・マリア・イン・オルガノ教会(ヴェローナ)のアルマディオ フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1519-23年


「ニワトリ」 サンタ・マリア・イン・オルガノ教会(ヴェローナ)のアルマディオ フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1519-23年

(図33)「ニワトリ」 サンタ・マリア・イン・オルガノ教会(ヴェローナ)のアルマディオ フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ 1519-23年

 そうした暗さの中から浮かびあがる透視画を直接目で感じるには、コーロよりもサクレスティアとストゥディオーロの方が適当かもしれない。
 サンタ・マリア・イン・オルガノ教会(ヴェローナ)のサクレスティアに、アルマディオをかざる10画面がある。これはフラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ晩年(1519-23)の傑作である(図30~33)。ここもとても暗い。薄明かりの現場で画面を見ると、ミサ用の聖具や、レオナルド・ダ・ヴィンチの創案にかかる幾何学多面体や鳥(フクロウとニワトリ)などをあらわした透視画の画中から、空気が観客の私たちの方に流れ出してくるかのように感じられるだろう。私たちにも、それは驚くべき体験であった。白木の板材(ポプラとツゲ)を何本か水平に重ねただけの背景の「空」が木素材ではなくなり、限りない大空に変じていく(図33参照)。この時、透視画の空間と現実の空間の境界が感じられなくなり、現実と虚構の空間がひとつになる。しかし、画面はたしかに木材からなる平面であり、木目の流れも樹種の違いも見えているのだから不思議な事だ。これについては後で見る。
  ストゥディオーロは教会ではなく、世俗のパラッツォにあるが、同じ事が起こるだろう。バッチョ・ポンテッリ(Baccio Pontelli 1450-94/95)作ともジュリアーノ・ダ・マイアーノ(1432-90)作ともされるウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレと、ニューヨークのメトロポリタン美術館にあるウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(1422-82)の2つのストゥディオーロは、透視画の最高傑作である(それぞれ1473-76、1482以前)(図8~14参照)。2つのストゥディオーロとも、周囲はすべてタルシアをほどこした板壁だから、夜になれば暗闇になる。
 文人武将だったフェデリーコが多忙な公務から解放されて、夜のひとときをここで瞑想と私的な語らいで過ごす情景を想像してみよう。ロウソクの光のゆらめきの中で、人文主義の理想を象徴として語る器物、甲冑、礼拝所(図10、11参照)あるいは女性擬人像たち(図12、13参照)は、精妙な木のグラデーションの中で夢のような現実感をかもしだすだろう。
  このような薄明かりの現場で気づくのは、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』でみごとに描き出した薄明かりの文化は(かつての)日本だけのものではなかったという事である。これは西洋に生活した人なら誰もが実感できる事ではないだろうか。また、西洋は石の文化、日本は木の文化などと単純に割り切り切れない事も、タルシアが教えている。

2 材質と表現

 絵の具と絵筆で描く絵とは違って、タルシアの透視画の素材は木である。それにはどのような木が選ばれ、どのように組み合わされていっただろうか。

素材

「聖ヒエロニムス」 クリストーフォロ・ダ・レンディナーラ モデナ大聖堂コーロ 1461-65年

(図34)「聖ヒエロニムス」 クリストーフォロ・ダ・レンディナーラ モデナ大聖堂コーロ 1461-65年


「福音書記者マルコ」 クリストーフォロ・ダ・レンディナーラ モデナ大聖堂2階左壁 1461-65年

(図35)「福音書記者マルコ」 クリストーフォロ・ダ・レンディナーラ モデナ大聖堂2階左壁 1461-65年

 ここで、史料と私たちが現場で確認した主な樹種をあげてみると、モデナ大聖堂コーロのためにダ・レンディナーラ兄弟(Lorenzo e Cristoforo Canozi da Lendinara ロレンツォ1425-77、クリストーフォロca.1426-91)は、ツゲ、クワ(明部)、クルミ(中間調から暗部まで)、神代(じんだい)ナラ(画面の背景の黒)などを使い(図16の上部のスパリエーラ)、ジョヴァン・フランチェスコ・カポフェッリ(Goiovan Francesco Capoferri 1497-1533/34)はベルガモのサンタ・マリア・マッジョーレ教会のコーロのために、ツゲ、ポプラ、カエデ、ナシ、オリーブ、モミ、神代ナラなどのほか、彼独自の材として木目の乱れた株の部分(おそらくクルミ)と杢(もく、木のコブ)を選んでいる(図28参照)。またフラ・ジョヴァンニは、サンタ・マリア・イン・オルガノ教会のアルマディオのために特殊な材として、アフリカから輸入された赤いパドゥックをフクロウの目に使っている(図32参照)。そのほか緑の材として、きのこ菌の作用で緑化した倒木も使われた(染料で染めた緑の材も用いられたが、発色が不自然になる)。
  このほか、いろいろな樹種が選ばれていた事が史料と修復報告から知られるが、それらからコーロなどの構造材のみに使われた樹種を除くと、透視画のための樹種は高々20種程度であり、これがタルシアのマエストロたちのパレットである。
  ここで注意したいのは、そのほとんどが表情豊かな広葉樹であり、同じ樹種でも、伐採された場所(日当たりと地中の成分の違いとによる、明暗と木目の粗密)、切り方(板目か柾目か)、あるいは木繊維が乱れた杢理(もくり)や木の根の部位の選択によって、微妙な色調と輝き、そして変化に富んだマチエール(素材感)が生まれることである。建築や道具など直線の多いモチーフに年輪がまっすぐに走った材が使用されると、シャープな幾何学的フォームがきわだって、美しい(図22~24参照)
  こうして象嵌された表面がスクレーパー(研いでエッジをつけた薄い鉄板、きさげ)で滑らかにされ、それに仕上げのニスが塗られると、ニスは木の表面に浸透して、斑(ふ)の入った杢理や木の色素を濡れ色にし、杢理と木の色素を浮かび上がらせて画面の色調を整えてくれる。
  マエストロの個性の違いは樹種と部位の選び方に出る。モデナの透視画に見るダ・レンディナーラ兄弟は素直に、しかし大胆に自然木を使いこなし、焦がし(材を熱か薬品で黒くさせる技法)で明暗をつけるような二次的加工は極力避けている(図34、35)。これとは反対に、カポフェッリは旧約聖書の劇的な表現のために、繊維の乱れた材と杢を使い、画家ロレンツォ・ロット(1480ca.-1556)の提供した下絵をタルシア独自の表現に高めている(なお彼はまた焦がしの名手でもあった)(図26~29参照)。フラ・ジョヴァンニが使った赤のパドゥックや緑の材についてはすでに述べた。

素材美

「フランチェスコ会の老聖人」(部分) アッシジの聖フランチェスコ教会(上院)のコーロより ドメニコ・インディヴィーニ 1491-1501年

(図36)「フランチェスコ会の老聖人」(部分) アッシジの聖フランチェスコ教会(上院)のコーロより ドメニコ・インディヴィーニ 1491-1501年

 このような素材美を味わうために、まずは画面に近づいてみる。画面の近くで体を上下左右に振って見ると、光の方向や強さ次第で、年輪・繊維・含まれる樹脂に応じて木肌の照りが変わり、ピースがゆらめく。極端な例であるが、アッシジの聖フランチェスコ教会(上堂)のドメニコ・インディヴィーニ(Domenico Indivini 1445 ca.-1502)らによる透視画(1491-1501)では、居並ぶフランチェスコ会の聖人たちに見るように、頬の皺が実際に「動く」(図36)。それは、選ばれた広葉樹の波状の繊維のせいである。
  こうした効果は、木の素材がもつ生成時のセルロースの重なった層が光を受けて偏光することによる。それに応じて色彩も変化する。そのような素材の性質を見極め、コントロールして形のリアリティを極めたのが、タルシアの透視画のマエストロだという事になる。これはタルシアでしか味わえない体験であり、透視画が自然素材の芸術である事が感覚的にわかる。
  木素材について、いくつか指摘してきたが、ここで、多くのマエストロに好まれた神代ナラについて触れておきたい。これは透視画を語る際に欠く事のできない特別の材である。イタリア人が「溺れナラquercia annegata」と呼ぶこの材は、ナラ材が水没ないし土中に埋没し、材に含まれるタンニンと外部の重クロム酸が長い期間をへて化合し、劣化しないままに硬く黒化したもので、透視画の奥行きを限定し、画面に安定感を与える材としてほかに代わるものがない。素材そのものとして美しいが、柾目に切った時にあらわれるかすかな年輪を縦とするか横とするか、ただそれだけの違いで、空間の深みと動きが変わるほどの可能性を秘めた材である。特に、クリストーフォロ・ダ・レンディナーラの《聖ヒエロニムス》(1471-77)と《福音書記者マルコ》(1477年)(図34、35参照)では、この材(ここでは年輪は水平に)による表現の効果がみごとである。
  さて、次に画面からしりぞいて見ると、透視画のイメージが変わり、見る私たちの意識も変わる。意識から素材感が消え、代わって、聖人像やモノたちの図像がせり出してくる。しかし、例えば上に挙げたクリストーフォロの聖人像の場合、木素材も聖人の図像もはっきりと見えており、どちらを優先して見るかという問題ではない。クリストーフォロのすばらしいのは、このように人間を木で再解釈した事にあり、彼は、絵画ではなくタルシアでしかできない表現をぎりぎりまでにつきつめたリアリストである。
  それと比べると、同じ頃の作品であるウルビーノのストゥディオーロ(1473-76)では、ボッティチェリ風の女性像が木に翻案され、柔和なグラデーションでヴォリューム表現が試みられ、彼女たちを包み込む空間すら表現されている(図12、13参照)。原画を描いたのは誰かわかっていない。しかしそれが画家ボッティチェリだったとしても、このグラデーションは木素材を知りつくした木工芸の作家のものである。
  このように、すぐれたマエストロたちは素材を知り尽くし、図像表現と素材とが一体になったすぐれた作品を残した。タルシアの透視画では、木素材と表現(図像)は対等なのである。
  素材と表現についていえば、当時の絵画では同じ事は言えない。例えば、ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-74)が「ティツィアーノ伝」でティツィアーノの後期の絵について指摘するように(Vasari, Le vite, Milanesi-Sansoni, VII, p.452)、油絵の画面に近づいて見る見方も16世紀には出てきた。しかし、近づいて絵の具の盛り上げや筆さばきを見るのは、当時まだ「通」の見かたであり、通常の観客には隠されるべき事がらであった。それがルネサンス絵画を見る条件というものだろう。これとは異なり、タルシアの透視画は絵画以上に、素材と表現の関係をめぐる古くて新しい問題を深く考えさせてくれるだろう。

3 透視遠近法

 イタリア・ルネサンスは透視遠近法・透視画の時代であり、タルシアもこれを抜きに語る事はできない。しかし、実用家具・インテリア装飾としてのタルシアの透視画は絵画のそれと同じ事なのだろうか。

透視画を見る視点と画面空間の歪み

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(グッビオ、現在ニューヨーク・メトロポリタン美術館) 透視遠近法構成図解 消失点に収斂する空間構成 The Liberal Arts Studiolo from the Ducal Palace at Gubbio (The Metropolitan Museum of Art, New York, s.d.) より

(図37)フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのストゥディオーロ(グッビオ、現在ニューヨーク・メトロポリタン美術館) 透視遠近法構成図解 消失点に収斂する空間構成 The Liberal Arts Studiolo from the Ducal Palace at Gubbio (The Metropolitan Museum of Art, New York, s.d.) より

 例えば、モデナ大聖堂のコーロ(図16参照)は当時のままの配列ではないが(トレント公会議後にロンバルディア・ロマネスク教会独有のテラス状の内陣上で、方向を180度回転させて今に至っている)、今の状態からでも、スパリエーラの画中の水平線は司祭たちが立った時の視点の高さに対応し、かつコーロ全体を統一する一点透視の効果も見込まれていた事がうかがえる。
  これと同じように、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの二つのストゥディオーロでも、画面の水平線は、見る人(=フェデリーコ)の立った時の視線の高さにあわせられ、板壁にめぐらされた「ベンチ」や画面を縁どる装飾帯をよく見ると、タルシアの板壁全体として、部屋の中央付近から見て一点消失の効果が得られるようになっているのがわかる(図37)
  ここでも、フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナの透視画10画面(図30~33参照)の前で体験したのと同じように、透視画の空間と私たちが立っている現実空間とが混ざりあう体験をする。ただし違いがある。フラ・ジョヴァンニの透視画は一画面ごとに見るが、ストゥディオーロは人びとを包み込むインテリア空間であり、それを装飾する透視画の板壁全体は現実の三次元空間の延長、つまりトロンプ=ルイユ(目だまし)としてあるという事である。
  その効果を感じるには、部屋の中央付近に立って見るほかない。しかしストゥディオーロは部屋なのだから、中央から離れて個別の画面に目を移せば、当然にもこの透視遠近法の統一的視点は無意味になり、各画面は歪む(図8では撮影位置のせいで左側の長方形の「ベンチ」の跳ね上げられた座面は平行四辺形に「歪んで」いる)
  これも当たり前の事実であるが、しかし、実際に現場に立って見る時に受ける感覚はそれとは少し違う。たとえ部屋の中央から離れて個別の透視画に場所を移して正面から画面を見た時も、画面空間の歪みがあまり気にならず、不思議に不安感がない。画面によっては歪みにすら気づかない事がある。
  見る人の個人的感覚に過ぎないと片づけられない問題が、ここにあるように思われる。身近な例でいえば、映画のスクリーンを相当横から見ても、見続けるうちに映像の歪みが気にならなくなるのと同じ事であろう。とすれば、これは見る側の認識に関わる問題であり、見る人の知覚と感覚の間のズレの問題であって、これはタルシアの透視画に固有の事とは言えない。したがってここではこれ以上深入りせず、これに関係して気づいた2点だけ指摘しておきたい。
  そのひとつは、個別の画面、例えば両開きの「扉」の中にあらわされた器物・書物などのモチーフがしばしば画面と平行する面(プラン)を示しているという事である(図14右側の閉じた本の天や丸いガーター勲章など)。このようなモチーフの配列の工夫のおかげで、見る人が部屋の中央(タルシアが求める位置)から移動しても、各画面にあらわされたモチーフの歪みは最小限におさえられる(同じ工夫として画面の表面に一致するピラスタ-(付け柱)がある)。
  空間構成の歪みが気にならないもうひとつの理由は、タルシアの透視画は決して木素材を無視していないという事実にもとづいているのだろう。私たちは絵画のトロンプ=ルイユを見ているのでも実写映画を見ているのでもない。木で描かれた絵を見ているのである。タルシアの透視画の工芸的側面は決して失われていないのである。これまで何度も指摘してきたこの事実についてもう一度まとめてみよう。

タルシアの透視画と絵画のトロンプ=ルイユ

壁画「聖イグナティウス・デ・ロヨラの栄光」 アンドレーア・ポッツォ サンティニャツィオ教会(ローマ) 1691-94年

(図38)壁画「聖イグナティウス・デ・ロヨラの栄光」 アンドレーア・ポッツォ サンティニャツィオ教会(ローマ) 1691-94年


「ロウソク入れ」 クリストーフォロ・ダ・レンディナーラ モデナ大聖堂のコーロ  1461-65年 スタッロの端のクルミの構造材にワンポイントで象嵌される

(図39)「ロウソク入れ」 クリストーフォロ・ダ・レンディナーラ モデナ大聖堂のコーロ  1461-65年 スタッロの端のクルミの構造材にワンポイントで象嵌される

 タルシアの透視画のトロンプ=ルイユ(目だまし)は見事なものである。ストゥディオーロの透視画のスライドを見た、本学金沢美大の画学生も「パッと見では絶対に平面には見えませんでした。斜めから見た写真でなら納得できるかも」と言ったほどである。木で描かれている事を片時も忘れないにもかかわらず、私たちは透視画のフィクションの世界にとらわれてしまう。では絵画のトロンプ=ルイユではどうだろうか。
  バロック絵画で行われたようなトロンプ=ルイユ(あるいはイリュージョニズム)は、極端な場合、絵画素材を消し去る事にもなる。アンドレーア・ポッツォ(1642-1709)がローマのサンティニャツィオ教会に描いた天井画(1681-)を、身廊中央の指定された地点に立って見上げれば、壁画のマチエール(素材感)も筒型天井の湾曲もみごとに消滅し、現実の建築空間とイグナティウス・デ・ロヨラの栄光をあらわす壁画空間との境目が感じられなくなってしまう(図38)。堂内の暗さのほか、観客と画面との間の相当な距離がこの壁画の虚構世界に引き込まれる条件である。
  もちろん、タルシアの透視画にもトロンプ=ルイユはあった。画面に手を延ばせばすっと中に入ってしまいそうな空間があった(図30~33参照)。そして、吊されたロウソク入れを思わず手に取ってみたくなるほどの迫真の表現もある(図39)。しかも、サンティニャツィオ教会の壁画と違って、タルシアは家具調度の装飾だから、画面からの「引き」(後ろに下がる余地)はそれほどない。つまり、トロンプ=ルイユの効果が発揮されるにはあまりにも近くからタルシアの画面を見、木素材をも見ているのである。これはタルシアの表現が観客の身体の延長にあり、人間をモジュールとする生活デザインであることを再認識するために大切なことである。
  タルシアの透視画の迫真の表現、そのリアリティは、絵画のそれと根本的に異なる事がここでも確認できる。
  これに関連して、最後に、もうひとつだけタルシアならではの現象を挙げよう。ウルビーノのストゥディオーロの東壁に甲冑を置いた「保管庫」があらわされている(図10参照)。薄暗がりで見ると、本当にそこに「保管庫」があるかのように感じられる。その手前の框(かまち)に、植物の葉とリボンを組み合わせたオーナメントが、コンメッソ・ディ・シリオ(commesso di silioあるいはア・ブイオa buio)と呼ばれるタルシア技法であらわされている。実際に計れるとしたら、画面からおよそ50センチメートルほどの奥であろうか。ここでは、タルシアの透視画の中に、タルシアをほどこしたしつらえが実物のタルシアであらわされている。こうした事はもちろん絵画では起こらない。例えば画家マゾリーノ・ダ・パニカーレ(1383-1440/47)やフラ・フィリッポ・リッピ(1406-69)の作品の画中にタルシアのオーナメントをほどこした家具が描かれた例があるが、それは絵の表現であってタルシアそのものではない。
  タルシアの画面の中に実物のタルシアが実在する。しかしそれは同時に画中の表現でもある。見る人はその事は当然分かっていながら、それについて特別意識することもなく、フィクションとして受け入れてしまう。
  ルネサンスの透視画は、後のバロックのトロンプ=ルイユのように木素材を消そうとはしなかった。タルシアのトロンプ=ルイユが絵画のそれとどこがどう違うのかは、素材の扱いかた如何がおのずと答えを出してくれた。事実私たちは、タルシアの透視画に表現された器物が、本当にそこにあるものと何度もだまされるが、しかしその時でも、表現の素材である木が実際に見えているではないかと、心の隅では思っているのである。この不思議な体験は絵画のトロンプ=ルイユでは起こらず、タルシア独自のものである。
  いかに目をあざむくような表現であっても、ルネサンスのタルシアは素材感を隠さない。ここに、視点のズレに起因する画面空間の歪みが気にならないもうひとつの理由があるのではなかろうか。
  家具調度とインテリア・デザインに奉仕する透視画はどこまでも木素材を大切にし、タルシアのマエストロたちはこの一線から出る事はなかった。しかし、そのように考えを整理してみてもなお、あからさまに見えている木素材のマチエールを超えて、対象の真をタルシアがあらわす事ができたのか。本当のところは私たちにはわからない。

おわりに

 拙稿は、私たち2人が何度かイタリアを訪れ、各地の教会に足を踏み入れてタルシアに触れ、そこで議論し考えた事をまとめたものであり、当然論点は限られている。取りあげるべき論点はまだたくさんあるが、透視遠近法をめぐるタルシア作家たちと、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ルカ・パチョーリそしてレオナルド・ダ・ヴィンチらとの関係、あるいは画家の提供した原画とタルシアへの翻案に関する問題などは取りあげなかった。しかし、私たちはそれらの問題以上に、タルシアの表現の場と素材はこの分野の研究において欠くことのできない問題だと考えている。薄暗がりの教会の中のタルシアは目立たない。それだけに一度タルシアを認めた時の喜びには大きなものがある。それは信者大衆の教化のための壁画や典礼のための祭壇画とは今ひとつ違う世界であり、ルネサンスの新しい局面を私たちに開いてくれる。
  最近イタリアにおいてタルシアについての関心は急速に高まっている。研究の深まりと並行して、今もタルシアの史料の発掘が続いている。そうした現状のなかで、あるイタリア人研究者はこれからのタルシア研究について語り、美術史家・修復家・古文書学者・古美術商がひとつのテーブルにつく必要を説いた。私たちも修復家や家具職人に学ぶ事はとても大切であると思う。彼らはタルシアの名品の修復を手がけ、ルネサンスの表現と技法を直接作品から学んでいるからである。イタリアのデザイナーは自国の古典に学ぶと、彼ら自身が言うが、タルシアについても同じであろう。イタリアの家具職人・修復家にとって、学ぶべき古典は、文字どおり彼らの手の中にあるのだ。
  2009年9月に、グッビオの家具職人たちが5年の歳月を費やして完成させた「グッビオ・ストゥディオーロ」(オリジナルはニューヨーク・メトロポリタン美術館(図14参照))のコピーが当地のパラッツォ・ドゥカーレに設置され除幕式を挙げたが、それに先立って2008年3月~4月にイタリア文化会館(東京)で公開された。イタリア人のタルシアへの熱意のひとつのあらわれであるとともに、日本でのタルシアへの関心の高まりを期待させる出来事だった。
  事実、日本でもタルシア理解は進んでいる。若い世代の学術研究はおくとして、ここで注目したいのは本学金沢美大の画学生がタルシアについて「木でできていることの力強さと偉大さ。自然がつくり上げた芸術に妥協が感じられない」とレポートに書いている事である。絵画とは違うタルシア固有の表現を直観的にとらえている。これからの世代の人びとの間でタルシアは共感をもって理解の輪を広げていく事だろう。私たちはそれに期待したい。

主なタルシア作品所在地

村井・上田『表象と素材のはざまのタルシア(木象嵌)』(科研報告書)より

参考文献

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 -André Chastel, Renaissance méridionale. Italie 1460-1500, Paris, 1965, pp. 244-263. アンドレ・シャステル(摩寿意翻訳監修・高階訳)『人類の美術 イタリアルネッサンス1460~1500』、新潮社、1968年
 -Alfredo Puerari, Le Tarsie del Platina (1477-1490), Paragone, XVIII, 1967, n. 205/25, pp. 3-43.
 -Bruna Ciati, Cultura e Società nel secondo Quattrocento attraverso l'Opera ad Intarsio di Lorenzo e Cristoforo da Lendinara, La Prospettiva rinascimentale (Atti del Convegno internazionale di Studi) , Firenze, vol. 1, 1980, pp. 201-214.
  -Massimo Ferretti, I Maestri della Prospettiva, Storia dell'Arte italiana, Parte terza. Situazioni Momenti Indagini, Volume quarto Forme e Modelli, Torino, 1982, pp. 457-585.
  -Margaret Haines, The "Sacrestia delle Messe" of the Florentine Cathedral, Firenze, 1983.
  -Pier Luigi Bagatin, L'Arte dei Canozi lendinaresi, Trieste, 1990.
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  -The Gubbio Studiolo and its Conservation. New York, The Metropolitan Museum of Art, 1999. vol. 1: Olga Raggio, Federico da Montefeltro's Palace at Gubbio and its Studiolo. Vol. 2: Antoine M. Wilmering, Italian Renaissance Intarsia and the Conservation of the Gubbio Studiolo.
  -Gabriele Borghini, Maria Grazia Massafra, Legni da Ebenisteria, Roma, 2002.
  -Mauro Zanchi, La Bibbia secondo Lorenzo Lotto. Il Coro ligneo della Basilica di Bergamo intarsiato da Capoferri, Bergamo, 2003.
  -Claudio Seccaroni, Ricette per la Colorazine dei Legni impiegati nelle Tarsie rinascimentali, Bollettino ICR, Nuova Serie n. 12 Gennaio/Giugno 2006, pp. 29-35.

(執筆者)
上田恒夫 金沢美術工芸大学教授(西洋美術史) 村井光謹 金沢美術工芸大学名誉教授(製品デザイン/木工芸)

本稿は平成16年度~19年度科学研究費助成金による研究成果報告書『表象と素材のはざまのタルシア(木象嵌)』(著者 村井光謹・上田恒夫、発行金沢芸術学研究会、2008年)にもとづき、論点を絞りつつ新たな知見を加えて上田と村井が共同で執筆した。ルネサンス絵画の透視遠近法について貴重な情報を提供してくださったレオナルド研究者向川惣一氏に感謝いたします。

写真掲載許可

Ringraziamenti per autorizzazione utilizzo di foto per Pittura dipinta di Legno-Tarsia del Rinascimento italiano (T.Ueda e M.Murai)
(図2) Ufficio Promozione Beni Culturali Curia Patriarcale di Venezia;Soprintendenza Speciale per il Polo Museale veneziano, Venezia/ (図4) Soprintendenza PSAE di Firenze*/ (図5) Procuratoria della Basilica S. Marco, Venezia; Soprintendenza Speciale per il Polo Museale veneziano, Venezia/ (図6,15,21~24) Soprintendenza BSAE, Bologna; Chiesa di S. Domenico, Bologna/ (図7,30-33) su concessione del Ministero per i Beni e le Attività Culturali, Soprintendenza BSAE per Verona, Rovigo e Vicenza/ (図10-13) Soprintendenza PSAE Marche, Urbino*/ (図16,39) Ufficio Beni culturali ed arte sacra-diocesi di Modena / (図18) Associazione CSA, Padova/ (図19,20) Soprintendenza PSAE, Siena; Opera della Metropolitana, Siena, Archicenobio di Monte Oliveto Maggiore, Asciano, per relative foto/ (図25) Monastero di S.Giovanni Evangelista, Parma/ (図26,27) Fondazione MIA, Bergamo/ (図36) Soprintendenza BAAS Umbria, Perugia; Centro di Ducomentazione francescana, Sacro Convento di S. Francesco in Assisi
*autorizzazione in attesa

図版出典

Referenze fotografiche
(図1,8,9,14)/ Wilmering 1999/(図28,29) Zanchi 2003/(図34,35) Bagatin 1990/ (図39)La pittura italiana del ‘600(2)(Scala slide), 1979
図版出典記載の写真以外はすべて許可を得て筆者撮影

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