イザベッラ・デステのマントヴァ宮廷におけるテキスタイルとファッション
Furnishings and Dress at the Gonzaga Court in Mantua (1500-1550)

ダニエラ・フェッラーリ(Daniela Ferrari)訳 上田 陽子(服飾美学会・会員)

ゴンザーガ家の芸術保護

航空写真

(図1) 航空写真。前景にカステッロ・ディ・サン・ジョルジョを含むパラッツォ・ドゥカーレ。マントヴァ国立古文書館ジョヴェッティ写真アーカイブ。

  マントヴァの歴史は、1328年から1707年までマントヴァを支配していたゴンザーガ家の統治の歴史であった。上空から見たマントヴァは、街の中にもう一つの街があるかのようにみえる(図1)。それがパラッツオ・ドゥカーレ(公爵の館)である。迷宮のように入り組んだパラッツォ・ドゥカーレには、数世紀にわたる様々な建築様式が見られ、マントヴァの芸術、文化、街並に忘れられない刻印を残したゴンザーガ家の歴史が映し出されている。ゴンザーガ家の文化政策は、つねに芸術保護と芸術品収集の名のもとに展開された。このような典型的なイタリア・ルネッサンスの文化活動は、マントヴァにおいては、他のどの都市よりも独自に一貫して展開された(註1)。そして15・16世紀の北イタリアの宮廷は、全ヨーロッパにおけるファッションの重要な基準ともなった。
   ゴンザーガ宮廷の趣味や文化は、フランチェスコ2世の妻であるイザベッラ・デステ(1474-1539)の輝かしい時代に頂点に達し、その息子フェデリーコ2世にも引き継がれた。彼は1530年に神聖ローマ帝国皇帝カール5世から公爵の位を授けられている。イザベッラはこの宮廷の政治と文化を体現する主役であり、彼女の、grottaと呼ばれた部屋と書斎studioloは、古典世界を呼び戻そうとする芸術品収集の典型的な例である。彼女の収集した芸術作品は、その後宮殿に入ったすべての作品の評価基準となり、ゴンザーガ家の象徴となった(註2)。後に、フェデリーコ2世は、芸術家ジュリオ・ロマーノをマントヴァに招き、パラッツォ・テ(茶宮殿)の造営と装飾事業の指揮にあたらせた。

財産目録

  1540年のフェデリーコの死後、ゴンザーガ家の動産・不動産の総目録を作成すべく、公証人オドアルド・スティヴィニが雇われた。この総目録は、ゴンザーガ家の宮廷を理解する上で価値のある資料であり、ファッションについても多くのことを知ることができる。学術的価値の高いこの資料は、筆者の監修により2003年に出版された。440頁以上に及ぶ全翻刻には7356品目がリストアップしてあり、物品、素材、技法、図像、人名、地名の索引のほか、800以上の方言及び廃語の用語解説を付している(註3)
  宮廷の衣装についての記述は、財産目録全体のおよそ7分の1を占め、その生地と素材は非常に洗練されたものであることがわかる。布地の支出は相当な額にのぼった。具体的には1554年の宮廷予算では、織物の調達に1500ドゥカートを支出しており、建物と敷地の営繕には4000ドゥカートが支払われている(註4)。ブロケード(錦織)、ダマスク織、ビロードは、壁掛けやベッドの天蓋、ドアカーテン、椅子の張り布、シーツ、クッション、枕カバー、外套を作るのに使われた。これらは織るのに費用がかさみ、奢侈禁止令によって選ばれた僅かの人々にのみ使用が許された。このように宮廷は、これらの織物の使用に理想的な環境であった。

インテリア・テキスタイル

  インテリア・テキスタイルのひとつに、室内空間を飾るための壁布であるスパッリエーラがある。食堂の壁に水平に取り付けられたスパッリエーラは、もともと宴席で人々が背spallaをもたせ掛けられるように椅子の後ろの壁に吊るした布であり、そこからspalliera という名称が生まれた。あるものは取りはずせなかったが、たいていは特別の機会のために取り付けられ、それが終わると取り外されて、保存状態をよく保つために倉庫に置かれた。壁布は時々質素なもので代用されることもあった。スティヴィニの財産目録では、ダマスク織、絹織物、錦織、ビロード、繻子、羊毛で作られた数百ものスパッリエーラの例が挙げられている。一般的に、夏は、ソフトな色合いの軽やかな織物であるのに対し、冬は重厚な織物が使われた。
   織物には、紋章や装飾モチーフを織り込む装飾法が見られる。マントヴァの宮廷は長い間、騎士道文化に関心を示してきた。その重要な一例が15世紀末ミラノ近郊で作られた祭壇前飾りpaliottoに見られる(図2)。この布は、黄色と赤の絹を地としたカットビロードでできており、紡がれた金銀糸の模様を配している。また、花のモチーフの中に、スフォルツァ家の銀地に織り込まれた小さな鳩がくっきりとみえる。1495年に、イザベッラ・デステの義兄弟であるルドヴィコ・スフォルツァは、13ブラッチャ[1ブラッチャ=約60㎝]のこの布をイザベッラに送った(註5)。ゴンザーガ家のテキスタイルは、刺繍ないし織による個人の紋章で飾られており、スティヴィニの財産目録に頻繁に記載された。これらの紋章は、今日、織物としては残っていないものの、他の素材によるものは多数残っている。例えば、るつぼcrucibleの紋章(図3)はベッドカバー、スパッリエーラ、馬飾りに、またジャケット、外套、旗にはオリュンポス山(図4)が使われた。イザベッラの音楽の延音記号 (図5)のモチーフは、銀食器に彫り込まれ、台所用具や卓上食器類にも描かれ、ベッドカバーにも刺繍されたり織り込まれたりした。ゴンザーガ家の太陽のシンボル(図6)、雌の小鹿(図7)、マスチフ犬(図8)は旗や乗馬具を含む品々にみられる。

祭服pianeta、部分 16世紀イタリア・ルネッサンス・レースの作例

(図11) 祭服pianeta、部分。同104頁。

(図12) 16世紀イタリア・ルネッサンス・レースの作例 (個人蔵)、Dekorative Vorbilder. Eine Sammlung von figürlichen Darstellungen kunst-gewerblichen Verzierungen, plastischen Ornamenten…, Elfter Band (Stuttgart, 1900), Taf. 50、部分。

天蓋付の4台のベッド スパルヴィエロの付いた天蓋ベッド

(図13) 天蓋付の4台のベッド。『仕立て屋の本』16世紀写本。ヴェネツィア、クエリーニ・スタンパリア図書館、cl. VIII. I, 35,36,37,38.

(図14) スパルヴィエロの付いた天蓋ベッド。同『仕立て屋の本』。クエリーニ・スタンパリア図書館、cl. VIII. I, 39.



   フィレンツェ産と思われる16世紀の織物は技術の向上により質的に改善され、アーモンドやバラのパターンが連続装飾モチーフとして表されている(図9)。その類例に、16世紀フィレンツェかヴェネツィアで作られた絹製の祭壇前飾り(図10)があるが、それは金箔を被せた銀糸の輪奈(わな)を使ったビロードである。その象牙色の地は浮彫効果を強めた赤いビロードを際立たせている。「金糸テリー織りのビロード」あるいは「テリー織りのビロード」という用語で財産目録に頻出するこの技法は、袖なし祭服の布切れ(図11)にはっきりと認められる(註6)。輪奈の浮彫効果は、カットビロードに隣接して置かれている金銀糸の目のつんだ小さな輪によるところが大きい。当時金銀は織物に広く使われた。これは、織りや刺繍に最も好まれた技法であり、アラベスク模様、花と葉、グロテスク模様、枝つき燭台、花綱、動物、幾何学模様などをアレンジしたファッションデザインに応用され、生地と色彩が装飾と溶け合って色彩のアンサンブルを生み出している。
   織りに使われた金糸は、箔打師の高度な技術により、主にヴェネツィアとフィレンツェで生産された。まず金と銀を溶かし、約95%の金合金を作る。それを延べ棒にして打ち、ごく薄い箔にする。次に箔を薄い短冊状にし、一本の黄色い絹糸のまわりに巻きつける。こうして出来た光り輝く金糸は衣類などに織り込まれたり、また刺繍に用いられたりした。
   布地にはレース・刺繍・縁飾りが施され、財産目録に多く記載されている(図12)。これらは、室内着やベッド用のリンネル製品の仕上げに、またシャツカラー、ドレス、ハンドバッグ等にも用いられた。ベッドやテーブル用の織物の記述も多い。シーツ、枕カバー、テーブルクロス、ナプキンのほか、長椅子用のクッションと覆いも、多様な刺繍技法(いわゆる、サン・フランチェスコ結びknot of San Francesco、ギリシャステッチGreek point、デュークステッチduke point、ジェントルステッチgentle point、ムーアステッチMoresque pointなど)によって、また、鎖、十字架、三つ編みのモチーフで飾られている。このように、手の込んだ縁飾り、装飾的な切り込み、透かし細工といった刺繍の細やかな記述から、これまでの学者の指摘よりもはるかに、イタリア・ルネッサンスのテキスタイル装飾においては、刺繍が重要な役割を演じてきたことが証明される。
   ベッド用の織物の記述もみられる。ベッドについては財産目録に幾度となく記載されているものの、実物は一台も現存していない。ただ、おそらく今日クエリーニ・スタンパリア図書館(ヴェネツィア)所蔵の『仕立屋の本Libro del Sarto』(註7)(16世紀ミラノの衣類・家具調度類の雛形本)にみられるベッド(図13)と同じものであったと思われる。同書に見られるベッドには、高価な織物で作られたベッドカバーが敷かれ、上部に水平な織物が張られている。また、側面はカーテンで囲った天蓋で飾られており、ベッドの基部を覆い隠す織物がめぐらされている。ベッドカーテンをしつらえるには、頂に玉飾りを置き、丸屋根型飾り天蓋を吊るすという方法もある。この方法では、上端の輪にひもを取り付けて、天井から天蓋全体を吊るす。この天蓋の下端から末広がりにカーテンが取りつけられ、下のベッドのまわりを覆う。天蓋とベッドの間に吊るされた金襴の飾り天蓋は、横たわっている人の頭上に張られ、翼を広げて飛翔する猛禽にみえるところから「ハイタカ(sparvieroあるいはsparver)」と呼ばれた (註8)(図14)
   残念ながら、これらのテキスタイルは損われやすく、大半は失われているものの、財産目録にある多くの例から、イザベッラ・デステの宮廷生活の趣味がどれほど豪華で、洗練されていたかがうかがわれる。

イザベッラ・デステのファッション

  イザベッラは当時のファッションをリードしていた。イザベッラは定期的にヴェネツィアとフェッラーラで豪華な織物を購入する一方、マントヴァにビロード、サテン、ダマスク織を作る工房を設立した。彼女は刺繍の熟練工の採用に尽力し、直接の指示のもとに高価な織物が多数製作された。当時、袖はドレスの身頃から取り外され、たいてい入念に刺繍がほどこされたので、熟練工の一部には、袖専門の刺繍工もいた(註9)
   服装のみならずイザベッラの髪型さえも名声を勝ち得た。彼女は、マントヴァの名品となった女性用被り物スクフィオットscuffiottoを数多く作らせた。彼女は、繊細な刺繍や半貴石、真珠、その他金製の装飾を施したこのスクフィオットをたびたび贈り物とした。彼女はカピリアーラcapigliaraと呼ばれるかつらも着用した。これは人造毛髪とカールした高価な細長い布で作られ、中央に大きなメダルがつけられた。これはティツィアーノによる彼女の有名な肖像画とルーベンスによるイザベッラ没後の肖像画にみられる(図15、16 いずれもウィーン美術史美術館蔵)
   この時期の女性のファッションは、カモーラcamoraに代表される。カモーラは、ギャザースカートと衿ぐりの深いゆったりとした四角いネックラインをもつ重量感のあるドレスで、深い衿ぐりは胸元をみせる白いブラウスによって一層強調されている。襟元と袖口のブラウスは、たいていの場合、刺繍、プリーツ、小粒真珠で飾られた。ブラウスは、亜麻かあるいは産地にちなんだ目の細かい布で作られていた。例えばカンブラリアcambragliaはフランスのカンブレイから、また、テラ・ディ・レンソtela di rensoは同じくフランスのランスから来たが、テラ・ディ・サンガッロtela di San Galloはスイスのザンクト・ガレンの町で生産された。贅を尽くした取り外しのできる袖は、等間隔につけたホックないしリボンで身頃に留められ、ブラウスの膨らみをみせるように工夫されている。袖を作るには、高価な織物を多く使わなければならないため、さらに見事な刺繍が施された。取り外しのできる袖は豪奢で贅沢なファッションを助長する可能性があったので、奢侈禁止令によって、たびたびその使用の制限ないし全面禁止が試みられた。カモーラに特有の高いウエストラインは、長いベルトで強調され、そのベルトは正面中央から裾の方に垂れ、ふつう、末端にリボンか宝石がついている。これらのベルトは、ルーベンスが描いたイザベッラの肖像に見られるように、貴金属に嵌め込まれた半貴石のロザリオで作られており、ウエストから吊るされている。
   当時、階級と地位を表わす布地、色、形、宝石など多くの要素からなる装い方についての知識を「スキエンツィア・ハビトゥスscientia habitus」と言ったが、肖像画にみられるイザベッラの衣装は、まさにスキエンツィア・ハビトゥスの好例である。このような造形言語は、周囲から隔てられ、ファッションを独占する許可を得た人々のみが入場を許された聖域である宮廷生活を特徴づけていた(註10)
   このように、宮廷のファッションは、社会的位階と明確に結びついていた。ボッツォロに住むゴンザーガの分家の女性であるスザンナ・ゴンザーガは、イザベッラが考案した最新の衣装を作って着る特別許可をイザベッラ・デステに求め、スザンナは、もし、それが優位にある本家の決まりに反したならば、この製作、着用という特権を喜んで放棄すると述べている。1512年のイザベッラ宛の手紙の中で、スザンナは次のように書いている。

貴女がお召しになっているような、ストロー形の小さな金のビーズで飾った柔らかなブラウスは大変すばらしく、とても着てみたいのですが、私は貴女のしもべですし、それに貴女の考案によるものですから、私が着用すればお気を悪くされるのではないかと案じながらも、まずは私がそれを着て快く思ってくださるかどうか知りたかったのです(註11)。 

  イザベッラのファッションの評判は、はるか遠方にまで及んだ。1515年、フェデリーコは、フランスの宮廷から母親のイザベッラに宛てて、国王フランソワ1世が宮廷の女性たちに贈るドレスの雛形として、イザベッラのファッションをまとった人形を所望している旨を書き送った(註12)。同様の要請はスペインの宮廷からも届き、カール5世の宮廷のフェランテ・ゴンザーガ付秘書官パンドルフォ・マラテスタは、エレオノラ・ダウストリアの侍女達のために、マントヴァスタイルに装った人形を送るよう、イザベッラに求めた(註13)
   1517年にイザベッラがフランスを訪れた際には、彼女の着こなしが賞賛の的となった。彼女に随行した廷臣の一人は、その時の様子を次のように書き送った。

彼女が街を行くと、老若男女誰もが奥方様と侍女達のファッションを賞賛の目で見ようと、戸口や窓辺に現れ、多くの女達は、私たちのファッションの方が彼女らのよりもはるかに美しいと言っています(註14)

マルゲリータ・パレオロゴの肖像画をめぐって

  ドレスは、宝石と同様に世代から世代へ受け継がれ、嫁入り道具としてドレスを持参した女性たちの社会的アイデンティティを表したので、ドレスと宝石に関する財産目録の記述から、絵画に描かれたモデルを特定し、従来誤認されてきたモデルを正すことすら可能な場合がある。イザベッラ・デステを描いたと伝えられてきたジュリオ・ロマーノによる女性像(図17)の場合がまさにそれである。
   言い伝えとは異なり、近年、この肖像画のモデルはイザベッラではなく義理の娘であるマルゲリータ・パレオロゴであることが財産目録の記述から分かったのである(註15)。イザベッラ像であるとするこれまでの通説はイザベッラ的ヘアスタイルを根拠としていた。しかし、フェデリーコ公爵宛の2通の手紙から、フェデリーコ・ゴンザーガは、マルゲリータとの結婚の支度に際し、イザベッラが作ったファッショナブルな被り物をマルゲリータに贈ったことが明らかになった。一通目の手紙によれば「マルゲリータ様は閣下がお与えになった被り物スクフィオット scuffiottoのうちのひとつを被っておられましたが、それは金と銀で飾られておりました」(註16)とあり、もう一通には「マルゲリータ様は美しいダイヤモンドの十字架を首につけ、公爵様が彼女に贈られた被り物スクッフィアschuffiaのひとつを頭に、公爵様のラピスラズリのロザリオを腰につけておられました」(註17)とある。
   もうひとつの重要な根拠は、肖像画のモデルの着ているカモーラがマルゲリータ・パレオロゴの好んだスタイルであるということである。細かな襞と襟に金刺繍を豊かに施したブラウスの上には、重々しい布、恐らく黒のビロードで仕立てられた非常に豪華なカモーラが網目のように広がり、その開口部を通して刺繍のある下のスカートがみえている。紐状の布は金の縁取りをほどこされ、結び編みになっている。さらに、肖像画にみられるこのような装いと次の史料の記述は符合する。

今日、マルゲリータ公爵夫人は、全面に金の紐の刺繍を施した白いサテンのドレスを着ておられ、ドレスの前面のあちこちに大きな開口部が作られているので、その下に深いブルーのサテンのスカートが見え、これにも、金の紐の刺繍が施されておりました(註18)

  この肖像画のドレスには宝石類があしらわれている。それらは、真珠のイヤリング、両手の指輪、ペンダント付の金鎖の首飾り、そして、当時流行のベルトのように身に着けるロザリオpaternosterである。このように、この特別な宝石に関するマルゲリータの財産目録の記述により、描かれたモデルがマントヴァ公爵夫人マルゲリータ・パレオロゴであると特定できるのである。この目録には、新婦への贈り物の一部としてマルゲリータに贈られた宝石のうちのロザリオに関する記述がある。それによると、ロザリオは73個のラピスラズリビーズからなり、九つの大きな先の尖った金のビーズでできている。そして、末端には金の台に聖カテリーナのラピスラズリのメダルがついている(註19)(図18)。このように、宝石に関する記述は非常に詳細であり、ジュリオ・ロマーノが描いたモデルが身に着けていた宝石について語っていると判断できる。というのも、ジュリオ・ロマーノは、よくアクセサリー類の細やかな描写にこだわりをみせたからである。このように、この宝石に関する財産目録の記述は、モデルを特定する決定的証拠を提供してくれている。

外国風ファッション

  当時は、ボローニャ風、ヴェネツィア風、ムーア風、ボヘミア風、ドイツ風、フランス風等の用語に特別な意味が込められていた。例えば、トルコ風ないしハンガリー風の衣類や幕類は、広くパレードや馬上試合に使用されて英雄的な意味合いをもち、特にカール5世とトルコ人との戦いの後に広まった(註20)。また、スペイン風ファッションの隆盛は、北イタリアのルネサンス宮廷によるところが多い(註21)。特に新しいファッションを熱心に追い求め、流行に遅れまいと努めたイザベッラはスペイン風衣装の目新しさに注目し、名声と権威づけに効果的な表現としてこれを用いたことが次の手紙からわかる。1493年4月2日、彼女は後のナポリ女王アチェッラの伯爵夫人イザベッラ・デル・バルツォに、スペイン風のブラウスを送ってくれたことへの謝意を述べ、彼女がそのブラウスを讃えた理由は仕立ての良さや、しゃれていたgallantissimaからだけではなく、それ以上に、スペイン人に占領されたことのないポー河流域では見られなかったニューモードであったからである(註22)

 以上、ゴンザーガ家の財産総目録の検討からインテリア・テキスタイルとファッションについて述べた。周囲の市域から隔てられて聖域の様相を帯び、洗練された文化的雰囲気に浸された宮廷は、代々マントヴァ公の住居であり、行政と裁判の場であっただけでなく、そこはまた、振舞いやファッションの手本を生み出す場であり、ファッションが最も重要な表現のひとつを担う権力の自己表現の場でもあった。

 

執筆者ダニエラ・フェッラーリDaniela Ferrari氏はマントヴァ国立古文書館館長。 本稿は2004年4月1日から3日にわたってニューヨークで開催された年次ルネッサンス社会学会の服飾部会[イタリア・ルネッサンスにおける王侯貴族] において4月3日に英語で発表された。 原題はFurnishings and Dress at the Gonzaga Court in Mantua  (1500-1550)。 文中の小見出しは訳者が付した。

上田 陽子 うえだ ようこ お茶の水女子大学大学院修士課程修了

(註1) 詳細な参考文献付ゴンザーガ展のカタログLa Celeste Galeria 参照。
Ⅰ. Le raccolte e Gonzaga. La Celeste Galeria. Ⅱ. L’esercizio del collezionismo, 両論文ともRaffaella Morselli編(Milan, 2002)。

(註2) イザベッラ・デステとその美術品収集に関する多くの研究から最近の2つの研究を挙げる。Clifford M.Brown著 Per dare qualche splendore a la gloriosa cità di Mantua. Documents for Antiquarian Collection of Isabella d’Este (Rome, 2002), 同じくCliffordによるIsabella d’Este in the Ducal Palace of Mantua. An overview of her rooms in the Castello di San Giorgio and the Corte Vecchia (Rome, 2005).
Alessandro Luzio and Rodolfo Renier,”Il lusso di Isabella d’Este marchesa di Mantova”, Nuova Antologia di Scienze, Lettere ed Arti, 4th ser., vols.147 (1896): 441-69; 148(1896): 294-324; 149(1896): 261-86,666-88は今もなお基本文献。

(註3) Daniela Ferrari, Le collezioni Gonzaga. L’inventario dei beni del 1540-1542 (Milan,2003)。

(註4) マントヴァ国立古文書館Archivio di Stato di Mantova(以後ASMnと略)、Archivio Gonzaga,b.401,c.325r.

(註5) 1495年1月25日付の手紙「小さな鳩に貴女のモットーのついたテリー織の金地の布13ブラッチャを送ります mando tredici braza di panno d'oro rizo soprarizo, facto a la divisa sua de la colombina。」(ASMn, Archivio Gonzaga,b.2992, libro 5, c. 5v.), Chiara Zaffanella,”Isabella d’Este e la moda del suo tempo,” in Daniele Bini, ed., Isabella d’Este la primadonna del Rinascimento (Modena, 2001),215に収録。

(註6) これら3例は全て、Alessandra Mottola Molfino,”Tessuti”,in Musei e Gallerie di Milano. Museo Poldi Pezzoli. Tessuti, sculture, metalli islamici (Milano1987), 103, 84,104.に掲載されている。

(註7) ファクシミリ版:Il libro del sarto, Modena 1987 (Fritz Saxl, Alessandra Mottola Molfino, Paolo Getrevi, Doretta Davanzo Poli, Alessandra Schiavon による論文併載)。

(註8) ルネサンスの室内家具について、次の先駆的な研究を参照。Peter Thornton, The Italian Renaissance Interior 1400-1600 (London,1991),イタリア語版 Interni del Rinascimento italiano (Milan,1992)。

(註9) これについてはEvelyn Welch,Shopping in the Renaissance (New Haven and London, 2005), chapter 9,245-73を参照。

(註10) Rosita Levi Pisetzky, Storia del costume in Italia, 5vols (Rome, 1964-1969). 特に第2巻と第3巻は、服飾史研究の基本文献である。最近の研究に次の文献がある。Paola Venturelli, Vestire e apparire. Il sistema vestimentario femminile nella Milano spagnola (1539-1679) (Rome,1999), and Paola Goretti, ”In limatura della luna argentea. La scienza dei magnifici apparati,tra malinconia,vestiario e vaghezze d’antico,” in Raffaella Morselli, ed. L’esercizio del collezionismo, 185-211.両文献とも追加文献表付。

(註11) 1512年4月15日付の手紙 : Illustrissima et excellentissima signora patrona mia observandissima, haveria grandissimo desiderio portare una maya pelosa facta cum quelli canoncini d’oro como porta la excellentia vostra, perché mi piace molto quella fogia, ma perché gli sono serva, dubitando farli dispiacere portandone, ho prima voluto intendere da lei, essendo sua inventione, se la si contenta ch’io ne porti. Perhò la prefata vostra excellentia mi dica senza havermi alchuno respecto, se gli farò dispiacere a portarne e non si discompiacia di niente, che ancora ch’io ne habia grande desiderio il deponerò et più grato mi serà compiacere alla excellentia vostra che satisfare all’apetito mio (ASMn, Archivio Gonzaga, b. 1802).

(註12) 1515年11月19日付の手紙の中でフェデリーコ・ゴンザーガは次のように所望している。「あなたが広めた流行の服をまとった人形、ブラウス、袖、内着、外着それに頭飾りとつけ毛を、と申しますのは、陛下はフランスの奥方達に贈るためにこれらの服何着かを作らせるよう指示しておられますのでuna puva vestita a la fogia che va lei, di camisa, di maniche, di veste di sotto et di sopra et de abiliamenti de aconciatura di testa et de li capilli, perché Sua Maestà designa di far fare alcuni di quelli abiti per donare a donne in Franza (ASMn, Archivio Gonzaga, b. 2121)。Luzio and Renier, Il Lusso di Isabella d’Este, 147 (1896):466から引用。

(註13) 1521年8月31日付の手紙。「私は御地でたいそう流行している服を着けた人形を一体貴女様にイタリアから送って下さるよう、王女様の侍女たちから催促されています。そこで貴女様にお願いがあるのでございますが、頭飾りの如く女性らしい優雅さをいまひとつ加えた人形を一体お送りくださるよう御発注願いたく、それは前述の王妃様の侍女の一人であり私のご主人様に仕えているマグダレーナ・マンリーカと呼ばれている者に与えるためでございますIo sono importunato d’alcune damiselle de la signora regina che gli fazzi venire de Italia una puva vestita in tuto del modo se accostuma lì. Siché suplico vostra excellentia che commetta ne sia mandata una, con qualch’altra gentilezza da donne, come sono accunciature da testa, per dare alla signora donna Magdalena Manricha, una de le donzelle de la prefata signora regina, che così se chiama quella che serve il signor mio patrone.」 (ASMn, Archivio Gonzaga, b.1332), Raffaele Tamalioによる翻刻 Ferrante Gonzaga alla corte spagnola di Carlo V nel carteggio privato con Mantova (1523-1526) (Mantua, 1991), 203.

(註14) 1517年6月4日の手紙(ASMn、Archivio Gonzaga, b. 634), Luzio and Renier, Il lusso di Isabella d’Este, 147(1896):466から引用。

(註15) Rita Castagna and Anna Maria Lorenzoni, “Un presunto ritratto di Isabella d’Este eseguito da Giulio Romano,” Civiltà Mantovana, new ser., 25(1989):15-30.

(註16) 1531年9月19日の手紙 : in capo havea un scufiotto di quelli che vostra excellentia li ha donati, quel di oro e di argento (ASMn, Archivio Gonzaga, b. 747).

(註17) 1531年9月27日の手紙:una croce havea di belissimi diamanti al collo, in testa una de le schuffie che li ha mandato vostra excellentia, e dal lato la corona di lapis de vostra excellentia, (ASMn, Archivio Gonzaga, b. 747), cited by Castagna and Lorenzoni ,”Un presunto ritratto,” 21.

(註18) 1531年9月27日の手紙:Hogi la signora duchessa havea una vesta di raso bianco recamata tutta di cordoni d’oro e perché è schiapata dinanti, ma chiapata in qualche loco , per li talii, che erano grandi, si vedea la sottana di raso turchino, rechamata pur di cordoni d’oro (Archivio Gonzaga, b. 747), 同書21から引用。

(註19) マルゲリータ・パレオロゴの宝石、装飾品等についての財産目録(ASMn, Archivio Gonzaga, b.400, c. 196), 同書22から引用。

(註20) Doretta Davanzo Poli, ”La moda nel Libro del sarto,” in Il Libro del sarto, 59.

(註21) Grazietta Butazzi, “Il modello spagnolo nella moda europea,” in Anna Giulia Cavagna Grazietta Butazzi eds., Le trame della moda (Rome,1995), 80-94 参照。

(註22) La camisa facta ala spagnola che ce ha mandata la signoria vostra , et per essere gallantissima et ben lavorata, è fogia nova in queste parte, et per venire da le mane sue, non ne poteria essere stata più grata; portaremola per amore suo et spesso la vederemo facendo conto de vedere la signoria vostra (ASMn, Archivio Gonzaga, b.2991, copialettere, libro 3, cc. 30r-31r) .

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