NTT DATA Trusted Global Innovator

NTTデータ ルウィーブ株式会社

SPAZIO発刊40周年によせて

文化広報誌『SPAZIO』は、40周年を迎えました

1970年に、イタリアと日本の文化の架け橋として創刊した文化広報誌 『SPAZIO』の40周年を寿ぎ、著者の方々のリレーエッセイを特別連載しています。

発刊当時から、無名の作家や気鋭の学者を世に問うことを編集コンセプトとしてきました。ご寄稿くださった著者の方々は100名を超え、多方面でご活躍の方も多くいらっしゃいます。

ぜひともご高覧ください。

目次

2010年6月
【第3回】  石井 髙氏 : SPAZIOが見ていたぼくの40年
2009年7月
【第2回】  坂根 厳夫氏 : 科学と芸術の境界領域をSPAZIOとともに生きてきて…
2009年4月
【第1回】  小野 耕世氏 : すべては1972年の <<ルッカ8>> から始まった

プロフィール

石井 髙 (いしい たかし)
  • 1943年9月5日 兵庫県尼崎市生まれ、後すぐ揖保郡太子町斑鳩(いかるが)に転居。その後東京都足立区北千住下町育ち。1949年(昭和25年)東京杉並区立高井戸第四小学校入学。東京都立上野高校卒。東京理科大学工学部中退。ヴァイオリン工房で5年の内弟子修行。1970年渡伊。
  • 1973年 クレモナヴァイオリン製作学校卒。
    以後、ヴァイオリン製作マエストロとなり、製作、修理、鑑定、古楽器研究を続ける。コンピュータ情報一辺倒の現代製作法を良しとせず、ヴァイオリンを本来の人間的な姿に戻すために、中世の作法をわれながらに採り入れ、推し進めていくつもりでいる。それなくしてぼくの分身は出来ないのである。特別な賞歴なし。主な著書は『秀吉が聴いたヴァイオリン』。最初主婦の友社から単行本として刊行されたが、それを大幅に変更、推敲して三信図書から文庫本として出版。特にぼくの希望で活版印刷にしていただいた。これが神田神保町の活版職人の最後の仕事になり、1字も活字の嵌め込み間違いがなかったのが自慢だった。
  • 現在クレモナでのヴァイオリン生活を中心としたエッセー執筆中。仮題『ちょうど良い時やめる』。

石井さんは並み大抵の人生を歩んできた人ではない。
大病や事故に驚くほど何回も見舞われ、そのたびに蘇っては、ヴァイオリンやヴィオラをほぼ40年、製作し続けている。その間、さまざまな賞を授けられ、皇太子殿下のためのヴィオラをまで、心をこめて作ってさしあげたりしている。石井さんは若い頃、ごく普通の人に見えたけれど話し始めると、独特のユーモアのある話しぶりの中に、生きることへの並々ならぬ「熱」が感じとられた。お互い、知らぬ間に人生の終盤にさしかかっているが、だからこそいま私は、石井さんが、実はものすごい働き者で努力家であり、しかも並はずれた「強運」を神様から授かった、決して普通の人ではないことが分かってってきた気がしている。

(SPAZIO編集長:鈴木敏恵)

坂根 厳夫 (さかね いつお)
  • 1930年4月27日、青島生まれ。東京大学建築学科卒業後、朝日新聞記者、慶応義塾大学環境情報学部教授、情報科学芸術大学院大学学長などを経て、2003年4月から同大学名誉学長。記者時代から科学と芸術の境界領域に関心をもち、1980年代以降は主にメディア・アート分野で、評論や展覧会企画を続けてきた。
  • 1970年代後半から 1980年代初めに新聞連載した「遊びの博物誌」や、それに基づいて企画した「遊びの博物館」展をいまも懐かしむ人は多い。知覚現象や騙し絵などへの関心が20~30年周期で巡ってきたこともあり、世界の錯視芸術分野の作家たちとの交流は今も続いている。
  • メディア・アート分野での業績は、オーストリアのアルス・エレクトロニカで評価され、2003年9月、デジタル・メディア・アート分野へのゴールデン・ニカ業績賞受賞。2003年12月、文化庁長官表彰(芸術部門)受賞。
  • 著書に「美の座標」「かたち曼荼羅」「イメージの回廊」「遊びの博物誌」「科学と芸術の間」「境界線の旅」など。訳書に「仮面舞踏会」「エッシャーの宇宙」「エッシャー自己を語る-無限を求めて」「錯視芸術の先駆者たち」など多数。

池の面に落ちてくる不規則な雨のしずく。頬をなでて過ぎる初夏の微風のリズム-- 。
坂根さんから初めて頂戴したエッセーがこんな風に始まることを、きのうSPAZIO第1号をぱらぱらとめくりながら確認し、私は満足した。あの頃、(ほぼ40年前)も、私は「科学記者」という肩書きからは想像し難い「詩」のような表現を繰り返す筆者を“つかまえた”ことに、すっかり満足していたことを思い出したからだ。
以後、SPAZIOは手離しで、坂根さんのエッセーを頂戴し続けた。
勿論、『乱数の美学』をはじめとする各エッセーが、時代を超えて優れた科学的トピックであり続けることは言うまでもない。

(SPAZIO編集長:鈴木敏恵)

小野 耕世 (おの こうせい)
  • 1939年11月28日、東京生まれ、アメコミと映画に熱中して育つ。 国際基督教大学教養学部人文科学科卒業後、NHK入局。在職中『SFマガジン』に「SFコミックスの世界」を連載するなど、外国の漫画の紹介に力を注ぐ。
  • 1973年、同じくNHKのディレクターだった龍村仁(現ドキュメンタリー監督)と共にATGで矢沢永吉などが所属していたバンドキャロルのドキュメンタリー映画『キャロル』を制作し、解雇される。
    以後、映画、マンガ評論、海外コミック翻訳、海外コミック・アニメーション研究など、幅広く活躍する。
  • 2006年、長年の海外コミックの日本への紹介と評論活動が評価され、第10回手塚治虫文化賞特別賞受賞。
    国士館大学21世紀アジア学部客員教授、日本マンガ学会理事。父は漫画家の小野佐世男。著書は、『バットマンになりたい』をはじめ多数、また翻訳も、アート・スピーゲルマンの『マウス』、ジョー・サッコの『パレスチナ』をはじめ多数。

1973年、『SPAZIO』第5号に、「もみじ散るルッカ:国際コミックス大会に出席して」と題し、当時の《ルッカ8》についてご寄稿いただいている。今回は、SPAZIO40周年によせて、ご寄稿当時の《ルッカ8》を振り出しに、近況を交えてのエッセイを特別に書き下ろしていただいた。

(SPAZIO編集長:鈴木敏恵)

※記事中の見解や意見はそれぞれの著者個人のものであり、必ずしも当社の見解・意見を示すものではありません。