乾 竜三 (いぬい りゅうぞう)
アリゾナ州セドナ在住・小説家
若い頃、主にアメリカでエレクトロニクス関連の企業で研究開発・営業・経営に携わる。電子シャッターを発明。10年ほど前から小説を書き始める。著書に『一千億ドルを奪還せよ』、『よきサマリア人の謀略』、『クレムリンの壁を破れ』がある。
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ベル・ロック: この釣り鐘状の赤い岩山はセドナに向かう州道179号線の脇に聳えており、日没には、あたかも夕陽を吸収して灼熱した鉄塊のように見える。またこのベル・ロックの山頂からボルテックスが立ちのぼり、そのエネルギーはアンドロメダ星雲に達していると信じているのが、ニューエイジと呼ばれるサイキックの連中である。
セドナ市の境界を示す標識: ベル・ロックを過ぎて179号線を5マイルほど北上すると、右側にこの標識が立っている。今年でセドナが町として成立して103年経過している。セドナは観光地区アップタウンと、1960年代に建設された商業・住宅地域のウエストセドナとから成り立っている。2005年現在の人口はほぼ1万人、この10年間、ほとんど変わっていない。それは新たな土地開発が規制され、また流入人口数と老齢による死亡者の数が均衡しているからだと考えられている。標識には標高4500フィート(1360メートル)と表示してあるが、これはセドナ発祥の地、アップタウンの標高である。
アップタウンの遠望: 観光地区のアップタウンには、ハイヤットやベスト・ウエスタン等のホテルが多数あり、ここにはハイヤット・ホテルが写っているが、茶褐色の建物なので目立たない。セドナでは建物や看板等の色彩規制があり、建物は茶褐色か濃緑色に限られており、看板は赤や黄色は使用禁止で、マクドナルドのMマークも濃緑色だ。また崖地以外では二階建ては許可されない。商業地域でも二階建てが限度。これはセドナの色彩豊かな自然を観光資源として守ると共に、市民相互の眺望を保持するための法制化である。
星条旗と韓国の国旗を掲げた書店: アップタウンの西端に建つこの書店の二階に韓国喫茶店がある。またわが家の近くには韓国人のセラピストが経営する診療所もある。鍼治療や漢方薬の処方もやるそうだが、リタイヤー族の多く住むセドナに目を付けて開業したとは、韓国人の面目躍如の感があり、あっぱれである。
チャーチとアーケード: この写真の右側に写っている建物は、礼拝者の宗派は問わないキリスト教会で、セドナの住民はもとより観光客の日曜礼拝も大歓迎という。その向こうに見えるのは三階建てのアーケードで、種々の土産物を売る商店が軒を連ねており、中には宝飾類を売っている店もある。アリゾナは鉱物の宝庫であり、OK牧場の決闘で知られるツームストンでは、かつて銀鉱山が操業していた。現在でも露天掘りの大規模銅鉱山が操業しており、産出量はアメリカ最大。セドナの南方約60キロにあるブラック・マウンテンヒル・リッジの中腹にあるジェロームでは、金、銀、銅が産出した鉱山が1950年まで操業していた。そして閉山後はゴーストタウンになっていたが、60年代後半にヒッピーが住むようになって、現在はアートギャラリーやホテルがあり、観光客で賑わっている。またアリゾナはアメジスト、サファイア、オパール等の産地であり、ネーティブアメリカンの土産店ではそのようなジェムストーンを加工したネックレスやブレスレットを売っている。
大酋長ジェロニモの像が立っている[インディアン・トレーダーズ]: アップタウンのこのネーティブアメリカンの土産店は、インディアン独特のデザインのラグや、バッファローの毛皮等も販売している。アリゾナ州にはインディアン・リザベーションが六カ所あり、その総面積はアリゾナ州のほぼ四分の一を占める。最大のものはフォーコーナーズ(アリゾナ、ニューメキシコ、ユタ、コロラドの四州の州境が交差している地点)をほぼ中心としたナバホ・ホピ・リザベーションで、日本の四国とほぼ同面積の高地砂漠にある。かのアパッチ族のリザベーションは、フィニックスの東方の約百キロの地点を中心として四方に広がっており、関東平野とほぼ同面積。このアパッチ族は大酋長ジェロニモに率いられて連邦軍と激戦を交えていたが、1886年に降伏、このリザベーションに押し込まれたのだ。なお、アリゾナ・テレトリーがアリゾナ州になったのは1912年2月14日であった。つまりアリゾナは、アメリカ本土で最も若い48番目の州である。
アップタウンの一隅にある土産物店[カウボーイ・コーラル(カウボーイ牧場)]: かつてアリゾナがワイルド・ウエストと呼ばれていた頃の品物を売っている。それらの中には、その頃カウボーイが使っていたローハイドやサドル、それにピースメーカーという名の銃身の長いピストルもある。またセドナは西部劇映画のメッカと呼ばれ、数多くの名場面が撮影されている。かのシャイアンやシェーン、黄色いリボンも撮影されたが、カラーの時代になるとその数は増えたという。それは、赤い岩山とオーククリークに生えるオークやメイプルの色彩豊かなコントラストの妙、加えてモニュメントバレーと見間違う赤い奇岩が存在するからだそうだ。
アップタウン北側の景: 観光客相手のホテルやレストラン、多数の土産物店が写っているが、東端(右側)にある大きなホテルはベスト・ウエスタンで、その他の多くはこじんまりとしたB&Bである。さらにアップタウンにはアートギャラリーが数多くある。セドナを訪れる観光客は年に約200万人と言われているから、1ヵ月平均1万6000余人になる。これはセドナの人口の1.6倍にあたるわけである。
ウエストセドナの鳥瞰[1]: エアポート・メサの北側から見下ろすと、ウエストセドナのほぼ全景が一望できる。手前に見えるのが州道89号線沿いに並ぶ商業地域で、後方の家並が住宅地域。ほぼ中央に聳えているのはセドナの最高峰、サンダーマウンテンである。
ウエストセドナの鳥瞰[2]: 中央の赤褐色の建物は、ウエストセドナに三カ所あるショッピング・センターの一つ[バシャス・ショッピング・プラザ]。[バシャス]はネイションワイズのスーパーマーケットだが、食料品はアリゾナ産のものも売っている。たとえばレタスや白菜は、メキシコ・ボーダーに隣接するソノマ郡で生産されたもの。また地方分権が徹底しているアメリカでは、州によって取引税率が異なり、アリゾナでは食料品の取引税は2.3パーセント、その他の商品は8.6パーセントだ。さらに付け加えると、オーガニック食品の専門スーパー[ニューフロンティア]では、毎週火曜と金曜にシニアプライスと称して60歳以上の顧客には10パーセント引きで販売する。だが9.11以来、不法越境者への取締まりが強化され、アリゾナを初めとしてテキサス、ニューメキシコ、カリフォルニア州では、メキシコからの農業労働者が不足し、農産物の価格上昇といった深刻な事態を引き起こしている。
深紅の複葉機: セドナ・エアポートで写したもので、この複葉機は乗客を一人のせて遊覧飛行をする。プライベートプレンの離着陸も頻繁で、小型ジェット機も飛来する。むろん持ち主は大金持ちであろう。ここセドナに別荘を持つ者の中には、かのアルパチーノやマドンナがいると聞き及んでいる。一つ付け加えると、アリゾナ等、南西部の州の人口2000人程度の小さな町でもエアポートがある。このことからも、アメリカ南西部がいかに広大な地域であるかが想像できよう。
セドナ・エアポートのあるテーブルマウンテンの遠望
セドナ観光街のガソリンスタンドの価格標識: 他地域に比べて割高(2005年12月6日撮影)
オーククリーク・キャニオンの俯瞰: アップタウンから州道89号線を北へ2キロほど行ったところに架かるミッジレイ・ブリッジから撮影。この峡谷の周辺には、エルク等の鹿類が3種、ロック・スクイール(大型の栗鼠)、アライグマ、スカンク、ホワイトテールという名の野兎、ハブリーナ(野生の豚)、コヨーテ等の野生動物、そして絶滅の危機にさらされているボブキャットとマウンテン・ライオンが生息している。鳥類はレッドテイルド・ホーク、(赤尾鷹)、ブルー・ジェイ等がいる。またこの峡谷の渓流にはニジマス、イワナ等のます類が生息。スポーツフィッシングを楽しむにはレンジャー・オフィスでライセンスを購入しなければならない。源流はウエストホークと呼ばれる峡谷にあり、水源のほとんどは豊富に湧き出す地下水だが、春期の雪解け水と盛夏に訪れるモンスーンのもたらす集中豪雨で、時に洪水を起こす。またここは、地球の歴史を知る上で非常に興味深い峡谷で、その底部は3億3000万年前、海底に堆積したレッドオール・ライムストン(石灰岩)の地層で、その地層が露出しているのがセドナのレッドロックである。また最上部は700万年前、この一帯は大火山地帯であり、その噴火によって流出した溶岩流が現在のテーブルマウンテンの頂上を覆い、黒い溶岩地層を作り出した。また同時代に大地殻変動が起き、平らだった海底の堆積層に亀裂が生じ、その後、風雨による浸食が進み、現在のオーククリーク・キャニオンが形成されたというわけである。
エアポート・メサから見たセドナを囲む山脈: セドナはコロラド高地の南端に位置しており、グランド・キャニオンの南、約300キロのところにある。従って、セドナを取り巻く山脈は標高2500メートル以上ある。このエアポート・メサはセドナエアポートに隣接した展望台地で、ここにもボルテックスが存在すると信じられている。そしてそのエネルギーに乗ってアンドロメダ星雲からセドナに向かってUFOが飛来するというのだ。(扉図と同じ)
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73歳にもなると朝早く起きるようになる。それは歳のせいばかりではなく、早朝からけたたましく鳴き交わす小鳥の声で目が覚めるのだ。早いと言っても6時半を過ぎているから、リタイヤー族の多く住むセドナでは朝寝坊の方だ。ちなみに私達の住んでいるアップタウンのオーチャード・レーンというコミュニティの平均年齢は78歳である。
私はシャツをひっかけ、寝室のガラスドアをひき開けて庭に出る。目の前に聳える合歓の大木の梢をかすめて射し込む朝日が芝生を鮮やかに輝かせている。タイマーでスプリンクラーが始動すると、待ち構えたように小鳥達が舞い降り、並んでぴょこぴょこと芝生の中を歩きながら、水に驚いて飛び出す蟋蟀やバッタなどを啄むのだが、乾燥地帯のセドナでは鳥まで人口の雨を楽しんでいるように見える。水盤を三重にしたスペイン風の噴水のスイッチを入れると、真っ先にロビンがやってきて水盤で水浴びをする。これにはちゃんとした順番があり、初めは山鳩くらいの大きさのロビン、次は鶯ほどの大きさのハウスフィンチ、さらに小型の薄緑色の小鳥、しんがりはハミングバードが噴水の吹出し口でフォバーリングしながら水を飲む。こうしてセドナの初夏の一日は始まる。私は小さな畠に自家製の堆肥を入れ、トマトや茄子の苗を植え、グリーンピースや胡瓜の種をまく。
7月の半ば、セドナはモンスーン・シーズンの到来である。それはまさに晴天の霹靂だ。一天にわかにかき曇りといった古風な表現では、とても描写しきれない。セドナの紺青の夏空に輝く太陽は、あたかも溶融した白熱のプラチナである。そのぎらつく太陽を、どこからともわからず寄り集まる密雲が遮り、肌寒い突風が吹きつのり、灰色の壁かと見まごう雷雲を背景に、赤い岩山がレリーフのように浮き上がって見えると、突如稲妻が走り、雷鳴とともに天の底が抜けたかと思われる土砂降りの雨が降り出すのだ。この雨こそ、高地砂漠に生える灌木には文字通りの慈雨であり、庭の桃や杏を枝もたわわに実らせてくれる。
やがて秋が深まると、オーククリーク・キャニオン沿いの広葉樹林が色付き始める。オークは褐色、メープルは黄色、ナナカマドは深紅、枯れ木にまつわるアイビーは濃赤色に紅葉する。それらの広葉樹は渓流に沿って樹林を形成するが、無水の山肌にはひねこけた松や檜の類いが岩の割れ目に根を張ってしがみついている。そしてセドナに初冬の訪れを告げる東風が吹き始めるが、日本で東風といえば春なのに、セドナではそれが木枯らしなのである。
季節も日本あたりとは大分違うが、時間の感覚となると、これは大いに異なる。ここセドナには、セドナタイムという言葉がある。日頃、腕時計をしているのは観光客ぐらいで、大方の住人は太陽を仰いで時刻を知るせいか、そのいい加減さに早く慣れないといらいらすることになる。また、背広にネクタイといった格好をしていると、異邦人どころか異星人に間違えられる。セドナのローカルピープルは、常識人から見ると、さながらホームレスのような服装をしているのだ。
ところで、人口1万足らずのこのセドナの住人は、リタイヤー族が半数を占め、あとはいわゆる癒しを求めて住み着いた若者達だ。若者といってもわれわれ老いぼれから見ての話で、いわゆる戦後のベビーブーマー達なのだ。それも競争社会の落ちこぼれ共だろうが、彼らはアメリカのマテリアリズムに反感を抱き、不可解な宗教や、ボルテックスなる摩訶不思議な力を信じ、それによる癒しを求める。また中にはチベット密教や、日本の禅宗に憧れを抱いている者も多い。
20世紀後半を生き抜いてきた我々リタイヤー族から見れば、セドナはあたかも脱落者の吹き溜まりとも思える。私の家をリモールドした大工は仏教徒で、完全なベジタリアンであり、税理士はチベット密教の信者だ。たしかに彼らはヤッピーのなれの果てではあるが、それが一概に脱落者とは言い難く、むしろ、アメリカの新しい価値観の創造者たちなのかも知れない。
一方、一般的アメリカ人の価値観の中心をなすのは、相変わらずアメリカン・ドリームそのものだ。主としてその思想を支えているのは、絶え間なく流入する他民族からなる移民たちであり、合法、非合法を問わず、彼らは事業の成功を夢見て懸命の努力をするのだ。特に最近では韓国人の成功に目を見張らされる。このアリゾナの山中にある観光地セドナでも、韓国伝統の武道を使ったフィットネス・クラブや、漢方薬の店を開いている。つい3ヵ月前、東洋医学を中心とする医院を開業した韓国系アメリカ人の医師までいる。彼らの多くは未だに儒教的な考えを保持しており、家族の絆を大切にして子供の教育には殊のほか熱心だ。それが次の世代への遺産となり、更なる成功へ導くのだ。彼らの儒教的な家族主義は、旧世代のアメリカ人にとっては理解しやすい。
何故なら、かつてのアメリカにも、クリスチャニティを基本とした家族主義が存在していたからだ。未だにローマン・カトリックであるイタリア系アメリカ人の多くは家族主義的であり、19世紀後半に自分たちの銀行、イタリアン・バンクまで創立した。それは後発であったイタリア人移民達が差別を受け、融資を自分たちの預金で行わざるを得なかったからだ。それが現在、ネーションワイズに支店網を展開しているアメリカン・バンクの前身であり、このイタリア人が創立した銀行の融資によって、かのゴールデン・ブリッジは完成した。今でもイタリア系アメリカ人は、自分たちにルネッサンス的美的感覚があったからこそ、あの優美なサスペンション・ブリッジが出来たのだと誇りにしている。さらにイタリアン・レストランはアメリカ中の都市はもちろん、片田舎の町でも繁盛しており、イタリア料理は中華料理と並んで完全に市民権を得るに至っている。
またオクラホマ、カンサス、ネブラスカ、アイオア、サウスダコタ、ノースダコタといった、いわゆるバイブルベルトと呼ばれる中西部の人々は、家族の価値を大切にしている。最近この地帯は共和党の支持基盤になり、前回の大統領選挙でジョージ・W・ブッシュが民主党候補のジョン・ケリーに大差をつけて再選された最大の原因は、カンサス・シティを中心に存在するメガ・チャーチの信者たちの投票であった。メガ・チャーチとは宗派にとらわれず、自前のテレビ・チャンネルを持ち、多くの信者を集めて体育館のような巨大な建物の中でミサや説教を行い、そのあと牧師が車椅子に座った信者の頭に触れると、即座に立ち上がるといったショウを演じて見せるという、コマーシャルナイズされた教会である。その信者達のクリスチャニティ的心情が、民主党の政策の一つである堕胎や同性間の結婚の合法化に対する強烈な反発を引き起こし、共和党候補に投票した結果だった。だが、民主党の票田であるカリフォルニアではケリーは大勝している。特にサンフランシスコはホモセクシャルのメッカと呼ばれる所でもあり、同性の結婚や堕胎は一つの人権問題として合法化すべきだという声も大きい。
そこでジョークが生まれる。カンサス人がカリフォルニアンに向かって言う。
「あんた方は、神を冒涜する同性間の結婚や堕胎を平気で行うから、神の怒りに触れ、大地震に見舞われて多くの人たちに天罰が下るのだ」
「じゃあ訊くが、あんた方が住んでるカンサスは、年がら年中トルネードに襲われて家をばらばらにされ、あげくには人間まで天高く巻き上げられるのは、神を冒涜した結果ではないのかね」
「われわれがいつ何処で神を冒涜したのか、聞かしてもらいたいもんだ」
「では話してやる。あんた方はキリスト教会で結婚し、貧しき時も病める時も労り合い、永遠に愛し合うと神に誓った筈だ。ところがあんた方は子供がいようといまいと、平気の平左で離婚する。その上、あんた方の教会には磔にされたキリスト像が掲げてあるな。それはキリストが禁じた偶像崇拝になるんじゃないのかね。つまり、あんた方は、自分達の神であるイエス・キリストを冒涜してるのさ」
「そういうあんたも、キリスト教徒のアメリカ人だろうが」
「たしかにアメリカ人さ。だがね、親父はモンテネグロの移民でな、イスラミックなんだ。だから、こちとらの教会つまりモスクには、モハメッドが禁じた偶像なんか置いてない。あるのは葡萄の蔓や葉を模様化したアラベスクだけでね。そのおかげで9.11の後は、あんた方と同じアメリカ人なのにイスラミックというだけで敵視され、突然街頭でぶん殴られた奴もいる。おまけにイラク戦争に反対しただけで、アメリカ社会の村八分にあった。こいつはあんた、信仰と言論の自由を保障するアメリカ憲法を無視したやり方ではないのかね」
この作者不詳の些か深刻なジョークの応酬は、アメリカの選挙が、経済や外交政策の是非だけで決定付けられるものではないことを示唆している。そしていま、アメリカの社会は戦時下におかれている。事実テレビでは、ペンタゴン作成の陸海軍や空軍の新兵募集コマーシャルが毎日放映されているのだ。その一例は、『諸君、海軍に応募し、世界を回り、見聞を深め、大学奨学金を獲得しようではないか』といった調子である。そして、この9月でイラクに於ける戦死者は2,000人を超えた。その数を50州で割ると、各州の戦死者数は40人になる。ここアリゾナ州でも多数の州兵がイラクに派遣され、毎週のようにテレビの画面に戦死者の氏名とポートレートが映し出され、遺族に対する哀悼の番組が放映されている。この州兵は平時には、地震、トルネード、ハリケーン、洪水等の被災者の救援や復旧の任務に当たり、志願すれば大学への進学に際して奨学金が貸与されるという制度になっている。つまり志願者の多くは低所得家庭や小規模農家の出身者であり、依然としてアメリカは弱肉強食の社会であることが分かってくる。そしてこれらの人々の間に厭戦気分が広がり、ニューヨーク等の大都市では反戦デモが活発化してきている。このことは、イラクに派兵している我々日本人にとっても頷ける事態ではないか。

第二次世界大戦に兵士として戦った男達の家族に対する価値観には、アメリカでは60年たった今でも揺るぎないものがある。だが、戦場から生還した彼ら兵士の子供達は、いまベビーブーマーの世代となり、取るにも足らぬ理由で、いとも簡単に離婚をする。私たち夫婦が住むコミュニティの住民の大半は、第二次大戦に従軍した世代である。隣人で良き友人であるブレインは、空飛ぶ要塞と呼ばれたB17のパイロットで、真っ昼間、高射砲の弾幕の中を編隊飛行し、メッサーシュミットMe109や、フォッケウルフFe190の遊撃をかわしながら、ハンブルクやベルリンを爆撃し、36回に及んだ出撃の末、奇跡的に生還した勇士だ。彼は19歳で結婚。直ちに陸軍航空隊に志願したが、理由は、1回の出撃に対して20ドルの危険手当が支給されることだった。「若い時は無鉄砲なことが平気で出来たもんだ」と彼は笑った。その勇士には二人の息子と一人の娘がおり、八人の孫に恵まれている。ところが、その二人の息子は離婚し、彼らの五人の子供達は、そりの合わない新しい母親と暮すことになった。しかもその五人の子供達の母親は、好ましい相手を見つけて再婚し、自分も、そりの合わない子供達の面倒を見る羽目になるわけだ。また私たちの家の向かいに住むジョンには二人の娘がいるが、その一人は医者の夫と別れ、三人の子供を連れてセドナでB&Bを経営している。ジョン曰く「娘にはそれなりの考えがあり、理想の生活があるんだ。年寄りの倫理観なんか、いまや通用せんよ」である。
アメリカで離婚する夫婦の割合は、実に65パーセントに達している。理由はやはり、妻の経済力が夫のそれに対して引けを取らなくなったことにあるようだ。まあ、嘆かわしい限りだが、男性の社会的地位の衰退がもたらした結果だと言わざるを得ない。そう言えば最近、テレビの経済チャンネルを観ていると、キム・ノバーク顔負けのブロンド美人のエコノミストが、相場の解説をしていた。その一例はこうだ。「2005年初頭から、フォードの株価は55パーセント下落し、ジェネラル・モーターズの株価も45パーセント下落していますが、由々しいその原因は、今日のガソリン価格の高騰を予想できず、アメリカ男性の象徴としての大馬力のピックアップ・トラックや鉄板の厚い車体がより安全であるという神話をもとに、大型車を生産し続けたことでしょう。一方、燃費のよい小型車やハイブリッドカーを販売するトヨタの株価は35パーセント上昇、ホンダもまた32パーセント上昇しました。これは、ブッシュ政権が京都議定書を破棄した結果だとも考えられます。つまりブッシュ大統領は自動車や石油業界を含むアメリカ経済界の要請を受け、地球温暖化を無視してアメリカ経済の成長を優先した結果、かえって自動車業界にハイブリッドカーの開発を遅らせ、折角のビジネス・チャンスを逃がし、自ら墓穴を掘ることになったわけです。しかし、だからといってブッシュ政権の政策がすべて間違っているとは申せません。それはオイルシェルや、アメリカ各州で無尽蔵に掘り出せる石炭の液化を計り、石油相場の呪縛から解放しようという政策は正しいと言えるからです」。現政府の政策をけなすと思えば持ち上げるという絶妙なバランス感覚は、直情径行的な男性の出来る技ではない。しかし、この解説の示唆するものは、上がり切った石油産業株を、出遅れた石炭産業関連株に切替えるのが利口だということだが、オイルシェルや石炭の液化にしろ、化石燃料を燃やすことに変わりはない。
ところで、そのガソリン価格だが今年年初、1ガロン(約3.8リッター)1ドル30セント程度だったものが、この9月には3ドルを超えた。わずか8ヵ月で、なんと2.3倍以上となったわけだ。この石油製品の価格高騰の理由は何か。誰がいったい相場を操っているのか。理由は、経済成長年率8パーセントの中国と、インドの石油製品消費量の急増や、石油精製設備の老朽化による供給不足等々いろいろあって、これらの事態に目をつけたヘッジファンドが相場を操っているという事実もあるのだが、そのヘッジファンドの数社が投資家から集められる資金は数十億程度だろう。この程度の投資資金で、果して厖大な石油市場を操ることが出来るのだろうか。
それが実は可能なのだ。彼らの投資対象はテキサスのクラウド・オイル、主としてメキシカン・ガルフ産の石油相場であり、取引はニューヨーク商品市場で行われている。そして規模もアメリカ産の石油製品に限られるから、その程度の資金でも相場を操ることは比較的容易なのだ。しかも、アメリカ産の石油はアラスカのプルトーベイ、ルイジアナとテキサス州沿岸、そしてカリフォルニアその他の州の油田でほぼ35パーセント、メキシコとベネズエラからの輸入で25パーセント、OPEC非加盟国からの輸入が5パーセントであると言われており、中東産の石油への依存率は35パーセント程度であろうと推定されている。これらの諸点から考えると、アメリカ石油製品の一般市場への供給状態は極めて良好で、価格急騰の必然性はない。たしかに、この12月初旬にはガソリン小売価格は1ガロン、2ドル50セント程度まで低下したが、それでも年初の二倍近くで、高止まりは続いている。その筋のエキスパートは、2006年の夏には50ドルを切り、秋には45ドルまで下落するだろうと予想している。それは、先進国随一の石油輸出国ロシアに対する牽制ではないかと、政治経済小説の作家としての小生は推察するのだが、当たらずといえども遠からずではないか。ロシアこそ、今回の石油価格高騰で漁父の利を得た国家であり、中央集権化を目指すプーチン大統領をして自国内の好景気を背景に、アメリカ、EC諸国、また日本に対しても北方領土返還等の強面の外交攻勢を強化している事実が、その所以である。
ここで問題なのは、いったい石油価格の合理的価格設定とはどういうものなのかということだ。単純に他の物価の変動と比較すると、例えば1960年代の自動車、シボレーのベルエアーV8は2500ドル程度だったのが、現在同クラスの自動車は2万5000ドルになっている。またマクドナルドのハンバーガーは15セントであったのが、現在では1ドル50セントから2ドルである。では石油価格はどうだったか。ある経済チャンネルの解説者によれば、クラウドオイルの相場は、60年代半ばでの平均価格は1バーレル、4ドル50セント、70年代中期のそれは12ドル程度であった由である。その解説者は、他の物価は十倍になっているので、現在の石油相場が、たとえ1バーレル、80ないし100ドルであっても不思議はないと言うのだ。たしかにこの30年間のインフレーションはその程度になっていた。 さて2005年のアメリカは、そのインフレ懸念が強まった年であった。FRBは年初1パーセントの超低金利から13回の利上げで、12月13日には4.25パーセントに引き上げた。それにも関わらず、このクリスマスにどれだけの金を使うかという一般庶民に対するアンケートでは、20代が250ドル、30、40代は400ドル、50代は600ドル、最も多額なのは60、70代の700ドルで、これは例年より12パーセントも高い水準なのだそうだ。またコンスーマーコンフィデンスも98パーセントと非常に高いのだ。どうやら一般庶民は、来年も好景気が続くと信じているらしい。まあ、好景気には多少のインフレが伴うものだということは常識であるが。

このアメリカの近年のインフレは、ITバブルから始まった。ここで蛇足だが、ちょっとばかり解説させてもらうと、IT関連企業が上場しているNASDAQ市場の株価は、1999年の半ばに5000ポイントまで上昇し、2003年の半ばに、なんと1100ポイントまで下落した。これは日本のバブル経済崩壊の騒ぎどころではなかった。しかし、その崩壊を防いだのは、皮肉なことに不動産投機だったと小生は考えている。つまり、ピークを過ぎたNASDAQ市場から逃げ出した投機資金が、不動産に向かった結果だと考えられるからだ。そしてその資金は、ITバブルの発生源であるシリコンバレー周辺の不動産に投資され、不動産バブルを生じさせた。そして、その価格高騰はロサンゼルスに波及し、カリフォルニア全域に広がった。このセドナでも、不動産価格はこの5年間で2ないし3倍になり、いまや不動産バブルは、ネブラスカやアイダホにまで達している。またモーゲージの金利も年初3パーセントであったのが、この1年で6パーセントに上昇している。しかし依然として新築家屋の着工件数は伸び続けている。もしこれがコンスーマーコンフィデンスの原因だとすれば、こいつは危険な兆候だと、金利生活者の小生は心配する。
アメリカの景気動向など、日本にお住まいの皆さんの関心事ではないと思うが、日本でも不動産価格は底を打ち、上昇に転じているし、株価も日経225では底値の8000円から1万5000円と高騰している。さてここで、かつての名相場師の「女が相場に出てくると、相場は峠を越えたぞ」という格言を思い出す。最後の解説をすれば、この格言の意味するところは、ふだん慎重な女性が付和雷同して株に手を出すと、すでに株価は頂上に達しているから早く逃げ出せ、という経験原則からの警告なのだ。
とにかく来年も好景気が続くように願うのみだ。では皆様、今回はこれにて、ご機嫌よう。セドナから愛を込めて。
―― 2005年12月記
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