”腹くだし”は電気羊の夢をみるか
いつものように、私とマヌエル(1)はアンダルシアの大平原を50ccバイクで彷徨していた。時速25キロ。6月のある晴れた朝。空は異常に透明で、心が痛くなるほど青い。
ちりんちりんちりんちりんと牧歌的田園的な音が彼方から聞こえてくる。音の行方をたどると、数十頭の羊が刈り取られた後の麦畑を移動しているところだった。できそこないのおむすびのような黒い三角形のリュックを背中にしょった小柄な羊飼いが羊と同じ顔で群の後をのんびりと歩いている。天気がいいのにどうしてこんなにとあきれるほど泥まみれの子犬が2匹、元気にその足元で走り回っている。
マヌエルは突然ピューマのように低姿勢になり、後ろから羊飼いにしのびよると、無音でバイクを停車させた。
――おい。ヒターノ(2)。止まれ。
グアルディア・シビルだ
マヌエルが小声でささやくと、
――何か用かよ、マリコン(おかま)
首の後ろまで真っ黒に日焼けした男性が振り向かずに答えた。顔は向こうを向いているが、微笑しているのが肩のあたりでわかる。声ですぐに誰かわかったらしい。羊飼いはマヌエルと幼少時代をいっしょに過ごした”腹くだし”だ。”腹くだし”というのはモーテ(3)なのだが、マヌエルは55年来の友人である彼の本名を知らないし、知らないという事実を気にもしていない。
二人の愛情のこもったやりとりはいつ聞いても心がなごむが、この微笑ましい小会話で特に(注意したい点は、マヌエルがパジョ(4)である”腹くだし”に対して「ヒターノ」と呼びかけた点である。ここアンダルシアではパジョとヒターノの軋轢はあまりないし、混血もしばしば行われてきた。一般にヒターノに分類されているマヌエルには現実には半分ほどパジョの血が流れているし、パジョとしての揺ぎない地位を得ている“腹くだし”には実は12.5%ほどヒターノの血が流れている。
――どこでこんなにたくさんの羊を盗んできたんだ。
――ふっふっふ。うらやましいだろう。300頭だぞ。“刺された、逃げろ”(これもモーテ)から買い取ったんだ。羊は今すごく得だから。
“腹くだし”が得意満面で答えた。
なんでも、羊一頭に対して年に24ユーロの援助金が政府から出ることになったのだそうだ。300頭だったら24×300=7200ユーロ。このあたりの生活水準からいうとなかなかの大金だ。が、いくら群れを見渡してもとうてい300頭の羊はいない。ざっと数えてもせいぜい120頭というところだ。いったいぜんたい、どこから300という数字が出てくるのだろう。お役所もいくらなんでも架空の羊に助成金を払うほどまぬけではないだろうけれど、何事にも大雑把な国のこと、特に数字に関してはほとんどザルのアンダルシアのことだ。もしかすると本当に300頭分の援助金をもらっているのかもしれなかった。
マヌエルは老獪な馬喰(5)の目で羊の値踏みをしていた。熟練した馬喰ともなると、群を一瞥しただけで「ここにはお肉が○○キロあるから1キロ○○ユーロとしていくらいくらのもうけ」と瞬時に計算できると言われている。
――この雌羊持ってくか
と言って“腹くだし”が羊の一頭をつかまえた。
――車にぶつけられて、ちょっと右脚に難があるけど。太らせれば肉の味に違いはないから
なるほど、羊は右肩が陥没していてその分右脚が短くなり、ひづめが宙にぶらさがっていたが、長いまつ毛がなかなか魅力的だった。
――後日払ってくれればいいから。250ユーロの貸しってことで
このサイズの雌羊の相場はだいたい150ユーロだ。マヌエルは即座に
――50ユーロ
と言い、“腹くだし”の手を強引につかんで握手をした。商談が成立したわけだ。
“腹くだし”はおむすび形のリュックから黒い紐を1本取り出すと、羊を器用にあおむけにひっくり返し、後ろ足2本と長い方の前足の計3本を一緒にしてくるくると縛った。1本だけ放しておくと鬱血しないのだそうだ。一言も声を発さず、まつ毛だけをぱちぱちさせてじっとしている羊をバイクの前方に乗せ、何とかバランスを取りながら私たちはレダマ集落(6)に向かってゆっくりと走った。
チピオナを出て“オリーブの小道”と呼ばれるオリーブの1本も生えていない田舎道をくねくねと10分も走りつづけると、前方左手に黒っぽい歪んだ建築物の集合体が出現する。これがレダマ集落だ。集落の一番手前の掘っ立て小屋の屋根の上で一人のヒターノがテレビのアンテナを設置していた。ガブリエルだ。現在では数少なくなってきている生粋のヒターノで、マヌエルの亡き姉の夫に当たるガブリエルは、得意そうにアンテナを指し示していた。彼の家には電気が来ていないが、そんな事実は彼らヒターノにとってはあまりにもささいなことだった。
羊をバイクから下ろしていると、今年5才になる “卵返し”が向こうから走ってくるのが見えた。自分の背丈よりも高い大人用自転車のフレームに身体を斜めに差し入れ、両手を頭上高く上げてハンドルからぶらさがり、かろうじて届くつま先で器用にペダルをこぎ、ボタンをはめていないシャツをサモトラケのニケ(7)のようにはためかせながら、“卵返し”は砂利道を滑走していった。
ヒターノ独特のこの美しさにうっとりと見とれていると、突然、自転車は大きな石につまずき、前方にばったりと大きく半回転した。バスケットに入っていたコカコーラの2リットルボトルが地面に激突して栓がゆるみ、濃い琥珀色の液体は華やかな音とともに周囲に飛び散った。うつぶせに倒れた“卵返し”は地面に顔を打ちつけたまま2秒間ほどじっとしていた。走り寄って助け起こそうとする私を隣に立っているマヌエルが強く制止した。そうこうするうちに“卵返し”はむくっと起き上がると、半分ほど空になったコカコーラのボトルをわしづかみにし、もう一方の手で自転車をひきずり、額から血を流しながら無言で隣家に消えた。砂利道を踏む素足がやけにいたいけに見えた。
この天上天下唯我独尊のヒターノの子どもたちには、転んだときにやさしく駆け寄って抱き起こしてあげる隣のおねえさん(パジャ)などは必要ではないことは私も認識していた。逆に、抱き起こしているのを見てその子の親権者が「うちの子に触るな」と叫んで髪の毛を引っ張りにくる可能性もあるということを、ヒターノと長年生活した私は体得していた。さらに加えて言えば、私が5才の“異性”にほんの一瞬とはいえ気をとめることにマヌエルが深い嫉妬を覚えるという紛れもない事実もあることはあった。
“卵返し”は5年前、マヌエルの弟“黒ひげ”の次女“魚屋”の次男として生まれた。“卵返し”の父親“三つ玉子”は3年前に殺人現行犯で逮捕され、現在バダホス県で服役中。母親“魚屋”は麻薬売買で9年の懲役を受け、現在やはり服役中。一般スペイン人が想像する「ヒターノ=犯罪=麻薬」の図式にのっとった、いわゆる典型的な”ヒターノの子ども”というわけだ。ちなみに、“卵返し”というモーテは彼が隣近所の闘鶏の卵を年中他の食用鶏の卵とすり替えていることに由来している。
羊の紐をほどき、何とかならないかと私とマヌエルは短い方の脚を引っ張ってみたり肩を矯正しようと試みた。すると、後ろから
――マヌエル、ポニーいらない?
という声が聞こえた。“卵返し”のいとこ、“すいか”が裸足で佇んでいた。“すいか”の父親“音楽隊”は10年前から刑務所に服役していたが、肺炎にかかって獄死したばかりだ。“すいか”の叔父、つまり獄死した父親の弟(やはり“音楽隊”と呼ばれている)は道端で盗みを犯しているところを逮捕され、警官が腰に提げていたピストルを抜き取ってその警官を負傷させ、もう一人の警官に撃ち殺されたという経歴を持っていた。さらに母親“まゆげ”は他の男性と失踪し、他の県で失踪した相手とは違う別の男性と麻薬売買をしていたところを逮捕されたばかりだった。
――ポニー? 盗んだんじゃないだろうな
とマヌエルが振り向きもせずに言った。
――先週家で生まれた血統書付きのポニーだから、だいじょうぶ。最低50ユーロはくれないと。
今年12才になる“すいか”は無邪気な顔で言った。私の記憶に間違いがなければ、”すいか”家でポニーを飼ったことは一度もない。
――グアルディア・シビルが来ないうちに誰か他のやつに売れ。おれたちは何も聞かなかったことにするから
――裏庭につないであるんだけど、見たくない?
“すいか”に好奇心を刺激され、つい誘惑に負けた私たちはポニーの品定めに向かった。ポテトチップの空き袋や片方だけのサンダル、おととしからそこに放置されているビーチパラソル、使用後の紙オムツ、注射器、牛乳のパック、作業用のつなぎ服などなど、あらゆる種類の家庭ゴミの散らばった幻想的な“すいか”家の表庭を抜け、私たちは裏庭にたどり着いた。“卵返し”の姿はどこにもなかった。水道もなければ浴室もない湿った薄暗い家の中で、傷口を洗いもせずに誇り高く痛みをこらえて自然治癒するのを待っているのだろうと思うと私の心はひどく痛んだ。
表庭よりもさらにゴミの散乱している裏庭に到着すると、馬の一種というよりは大型犬と言ったほうがぴったりする小動物がどことなくおびえた表情で私たち“3人”のヒターノを見ていた。まつ毛が長い。
――とりあえず隠しておかないとまずいぞ
とマヌエルが言った途端、砂利道を車の走ってくる音が聞こえてきた。塀のすき間から見ると、それは何とグアルディア・シビル(8)のパトロールカーだった。私とマヌエルは“すいか”家の裏庭と我が家を隔てている高さ1メートルの塀を低姿勢でよじ登ってうまく中庭の方に抜けた。マヌエルが何食わぬ顔で表門から顔をのぞかせると、
――“すいか”がポニーを連れ去ったという通報を受けたんだが
マヌエルと顔見知りのグアルディアが口ひげをしごきながら言った。マヌエルは極端に驚いた表情を作り、”すいか”家からのんびりとこちらに向かって歩いてきた”すいか”に
――本当か?
とゆっくり尋ねた。
“すいか”は、道路に縄が落ちてたから拾ったら、ポニーが縄の端にくっついてきたのだ、と大まじめで説明した。私は空のマッチ箱のようにさりげない表情を保つのに成功した。
――で、そのポニーは今どこにいる
迷子になっていたから車の通らない松林まで連れて行ってそこに放置してきた、とすいかは言った。ポニーが馬と同じようにいななく動物なのかどうか見当もつかなかった。マヌエルに今聞くわけにもいかないし、こっそりパソコンで検索する時間があるだろうか、と瞬時に私は考えた。グアルディア・シビルはどういうわけかあっさりと、
――じゃあもしポニーを見かけたら連絡するように
と言って車に乗りかけた。特に家宅捜索する気もないらしかった。
――この次、縄を拾うときは端っこにポニーがくっついてないかどうかよく確認しろ
マヌエルが含み笑いをして言うと、すいかは
――うん、そうする
と素直に答えた。
日本の官憲にも匹敵される、厳めしいことで有名なグアルディア・シビルもさすがに笑みをこらえきれずに走り去っていった。
- Gitano porque va a preso
- Gacho por causa ninguna
- he robado una soga
- y detrás vino una mula
- mal fin tenga este civil
- primero mira al borrico
- y después me mira a mí
- Gacho por causa ninguna
- 刑務所に行くからヒターノはヒターノ
- ガチョー(9)には根拠は何もない
- 縄を盗んだと思ったら
- 後からラバが付いてきた
- 警官よ、呪われろ
- 最初にロバを見て
- 次に僕を見る
- (ティエントス-タンゴ)(10)
- ガチョー(9)には根拠は何もない
遠ざかっていくグアルディア・シビルの車を見ながらマヌエルは楽しそうに大昔の歌詞を口ずさんでいた。“卵返し”の額の血に頭を悩ませていた私は家の中に駆け込むと、ガーゼとマーキュロ、大きめのばんそうこうと3ユーロをビニール袋に詰め込んで外に出た。マヌエルは早くも羊を黒いちじくの木の下につなぎ、出刃包丁を研ぎはじめているところだった。屠殺を今すぐ実行するらしい。“すいか”が3才のころと同じ無邪気な顔でこれを見ていた。マヌエルに見つかるとまた面倒なことになるので、ずるずる横に移動しながら”すいか”に接近してビニール袋を後ろ手に渡すと、”すいか”はビニール袋をシャツの背中部分に隠し、
――ありがとう
と礼儀正しく目で言って横歩きに立ち去った。
屠殺に慣れているマヌエルは躊躇することなく羊の喉元に包丁を突き立て、地面にどっと崩れ落ちた小柄な生物の皮を手早くはいでいった。解体をすべて終わらせるまではほんの1時間。私はまだ温かい肉片をゴミ用のポリ袋に仕分けして入れ、冷凍庫に放り込んだ。生と死はぞっとするほど近くに隣り合って存在していた。羊の破れた内臓から放出される半分醗酵したような匂いと黒いちじくの匂いとが混じりあい、夕方の大気に漂った。
ヒターノであること
一箇所にじっとしていられず、常に移動して歩くというのがヒターノの大きな習性のひとつであることはよく知られている。このため彼らは“andarrios(川沿いに歩く人たち)”とも呼ばれている。現状に甘んじないで常に変化を好むのが彼らの特徴だが、完成して調和のとれたものとは相容れない何かが彼らヒターノにはあることは確かだった。
建築中だった旧い方の家のアーチ部分、(12年前)
旧い方の(12年前)家
背後の塀はすべて廃材からできている。
またこの写真のように破壊された
たとえば、タートルネックのメリノウールのセーターを買ったとする。このセーターが原型をとどめるのはマヌエルの場合でせいぜい1週間、他のヒターノでも3週間ぐらいのものだ。マヌエルは1週間毎日続けてこのセーターを着用した後、おもむろにハサミを手にとって衿をちょきちょきと切ることになる。切り取った衿は眠るときに帽子として使用し、衿なしセーターはワイシャツの下に服用する。このスタイルを1週間毎日続け、次にはハサミで袖を5分のところで切り落とす。切り取られた二つの袖部分はミトンとしてお台所で使用し、さらにその1週間後には5分袖を袖なしに切り取ってしまい、完全なウールの下着として着用するわけである。そうやって1ヵ月半ほど新しいセーターを楽しんだ後は、思い切りよくごみ箱に捨てる。すきを見て私が洗濯機に隠さない限り、まず洗われることもない。
さらにゴム長靴を例に挙げてみると、まず1ヶ月、運がよければ2ヶ月ほど購入当初の状態で履き続け、春が近づいてきたところで上部3分の1ほどを切り取り、少し涼しくする。さらに暑くなってきたら、やはり同じくらい切り取ってくるぶしを覆う程度のブーティに変身させる。これで春をしのぎ、初夏が来たところでつま先の部分をカッターなどで器用にカットし、サンダルとして使用することになる。私たちの住んでいるチピオナの海辺は岩牡蠣などが多いため、泳ぐのにもビーチサンダルが必須だが、このときにもこの元ゴム長は大変活躍することになる。もちろん、徐々に切り取っていくビニールの破片は焚き火をするときの「火付け」として大活躍してくれる。エコロジーといえばエコロジーな生活だ。
家にしても同様で、レダマ集落の家とは別に私たちには時価数億円ともうわさされる新築の“ふつうの”家があるのだが、完成された住み心地のよい環境に置かれると、ミダス王(11)の苦悩にも似た空漠感が私たちを襲うため、私たちは性懲りもなくそこを逃げ出して昼間の大半は一部鉄筋、一部トタン屋根のレダマ集落の旧い方の家で過ごすのが日課になっていた。レダマ集落にある旧い方の家は17年前にトタン屋根のバラックから増改築を始めたものだが、いまだに完成はしておらず、あちこちにひびや割れ目が出てきているため、新築と改修を同時に行っているといういわば聖家族教会のようなしろものだった。以前はポーチ兼寝室として使用されていたアーチの壁部分をマヌエルがシヴァ神のようにハンマーをふるって突然倒壊させはじめたのは、つい5日前のことだった。壁をすべて取り払い、車を3台収容できる大ガレージを作るのだという。車がなくバイク1台でしのいでいる私たちになぜそんな大きなガレージが必要なのかはよくわからなかった。さらに以前プールのあったところもすっかりコンクリートで蓋をしてしまい、将来は地下は防空壕、地上は3階建てのホテルを建築するのだとマヌエルは広大な計画を立てていた。私は瓦礫の真ん中あたりにゴミ捨て場から拾ってきた椅子を据え付け、そこにPCを置いて執筆作業をするのを常としていた。
チピオナで日用品の買い物を済ませ、魂が痛くなるような空の下、きのうと同じように牛車のスピードでとろとろとバイクを走らせていると、“腹くだし”が昨日と同じ地点を同じ顔で移動していた。
――よお、よくも病気の羊をつかませてくれたな
マヌエルが遠くから”腹くだし”にどなった。
――え???
――きのうの羊、えさをやったら死んじゃったぞ
――まさか。きのうまでぴんぴんしてたのに。だいたい事故に遭ったのは1ヶ月前だし
――事故のときの衝撃で内臓が痛んでたんだろう。ああいうのは外からはなかなかわからないけど、徐々に身体を蝕んでいくものなんだ
マヌエルがもっともらしく言った。バイクの後ろで私も神妙にうなずいた。
――ま、というわけだからもう1頭連れてくぞ。お金が入ったら払うから。ただし1頭分だけ
マヌエルは「1頭分だけ」という部分をことさら強調して発音した。“腹くだし”は(この羊は値打ちものなんだけど)とか何とかつぶやきながらもしょうがない、という感じで手近の羊をつかまえると、また器用に3本の足をくるくると紐で巻き、バイクの前部に乗せてくれた。私たちは愛想良く”腹くだし”にあいさつし、オリーブの小道を走りつづけた。
- si quieres cambiar cambiamos
- pero me tienes que dar dinero
- porque mi oficio es gitano
- pero me tienes que dar dinero
- 交換したいのなら交換しよう
- でもお金を払ってもらわなくちゃ
- 僕の職業はヒターノだから
- (タンゴ)
- でもお金を払ってもらわなくちゃ
マヌエルは上機嫌で唄っていた。海辺からの湿った西風がバイクを横に横にと押していく。私たちは上半身をいくらか右側に傾けながら航海をつづけた。そろそろ満開のひまわり畑を抜けたところに17年間慣れ親しんだレダマ集落が難破船のように忽然と出現した。角で私たちを待っていたらしいガブリエルの傍らに私たちはバイクを停泊させた。
――買ったばかりのテレビを見ていけ
とガブリエルは言っていた。「買ったばかり」というのは「拾ってきたばかり」のヒターノ的な比喩だろう。またおもしろいことになりそうだ、とわくわくしながら私はバイクを下りた。羊をバイクに乗せたまま、私とマヌエルはガレージと呼んだほうがしっくりするガブリエルの家の中に入った。窓のない薄暗い家の中で目を凝らすと、なるほど正面に大きなテレビがしつらえてある。70年代のアメリカ映画に出てきそうな、かなりの年代物だ。私は米軍基地のゴミ捨て場から拾ってきたビロード張りのソファに腰を下ろし、ガブリエルが用意してくれたコーヒーを飲んだ。
――これがテレビなわけね
――そう、これがテレビ
――ここなら、天気によってはポルトガルの番組も観れる
――ああほんと、運がよければね
――風向きによってはモロッコの番組もときどき見れるし
――そういえば今度“ロケット”がDVDくれるって
――よかったじゃない
ガブリエルとマヌエル、私の3人は土鍋で淹れたコーヒーをすすりながら、何となくテレビの画面に視線を集中させた。何も映るはずはなかったが、それが正しい行為に思えたのだ。顔をテレビに向けたまま30分ほどまばらな雑談をしたあと、
――コーヒーありがとう
と言って私とマヌエルは立ち上がった。
――テレビが見たかったらまたいつでも来てくれ
ガブリエルは寛大に言った。
――つまり、テレビ番組じゃなくてテレビ自体を観賞するという非常に知的な行為を私たちはしていたわけよ
とマヌエルに説明しながら砂利道を戻ってくると、我が家の門の外に古いカサと黒いハイヒールの靴がきちんと置いてあるのに出くわした。きのうのばんそうこうのお礼に違いなかった。小ヒターノたちの私への贈り物だと瞬時に気づいたマヌエルは、靴をつかむとこれをサボテンの茂みの彼方に放り投げた。続いてカサも放り投げようとしたが、何を思ったのか急に思いとどまり、
――漂白剤でよく殺菌してから使うように
とものものしく私に命令し、カサを手渡してくれた。”異性”からの贈り物が検閲をまぬがれたのは、10数年マヌエルと生活していて始めてのことだった。
カサを広げると、エッフェル塔と“PARIS”という文字が描かれてあった。骨から出たサビであちこちに茶色いシミが出ている。この子どもたちがパリを訪れる日がいつか来るのだろうか、と漠然と考えてみた。
こぼれてくる笑みをマヌエルに見られないようにしながら、私は8才の女の子のようにカサをくるくると回し、早く雨が降らないだろうかと空を見上げた。今は6月。アンダルシアに雨期が来るまでにはまだ3ヶ月ほど間があった。
- ni España ni en Italia
- los gitanos como nosotros
- eso no lo hay
- los gitanos como nosotros
- スペインにもイタリアにも
- 僕たちのようなヒターノ
- それはいやしない
- 僕たちのようなヒターノ
註
- (1) マヌエル
- 筆者の夫、マヌエル・アグヘタ。最も純粋で古いスタイルのフラメンコを継承するカンタオール(唄い手)としてスペイン国内はもちろん、世界的に評価されている。出演映画「フラメンコ」(カルロス・サウラ監督)、「アグヘタ・カンタオール」、「カルメン」など。
- (2) ヒターノ(gitano)
- スペインのロマ、またはジプシー民族のこと。
- (3) モーテ(mote)
- あだ名のこと。スペインの農村部では、モーテ(あだ名、通称)の方が本名よりも重視されている。家族ごとにモーテを持っていて、たとえば「私はマリア・ゴンサレス・ヒメネスです」と言うとどこの馬の骨かわからないが、「私の父は”月”で母は”ねじまわし”です」と言えば、「あっ、あそこのお嬢さん」とすぐに素性がわかるようになっている。
- (4) パジョ(payo)
- ヒターノから見た、ヒターノ民族以外のスペイン人のこと。女性ならパジャ。
- (5) 馬喰
- 鍛冶屋と並んでヒターノの代表的職業
- (6) レダマ集落
- スペイン南部の町チピオナ郊外、”カニャーレアル”と呼ばれる羊の放牧路に位置している集落。
- (7) サモトラケのニケ
- ギリシャ共和国のサモトラケ島(現在のサモトラキ島)で発掘され、現在はルーヴル美術館に所蔵されている勝利の女神ニケの彫像である。(Wikipediaから引用)
- (8) グアルディア・シビル(guardia civil)
- 治安警察隊。スペインには警察というと国家警察、地方警察、治安警察隊などいくつかの組織があるが、昔から市民生活に浸透しているという点ではグアルディア・シビルが群を抜いている。
- (9) ガチョー(gacho)
- パジョと同義語。
- (10) ティエントス-タンゴ(Tientos-Tangos)
- フラメンコの曲の一形式。4拍子。
- (11) ミダス王
- ギリシア神話の中でミダースは、プリュギア(Phrygia)の都市ペシヌス(Pessinus)の王。触ったもの全てを黄金に変える能力("Midas touch")のため広く知られている。:(Wikipediaから引用)
SPAZIO誌上での既発表エッセー 目次
- フラメンコという深淵――死を凝視する目 no.65 (2006年6月発行)
- フラメンコという深淵――母への想い no.66 (2007年7月発行)
- フラメンコという深淵――信仰と迷信 no.67 (2008年9月発行)