去年、2008年の3月中旬、ファイナンシャル専門のCNBC・208チャンネルで、メロン大学の経済学教授が、サブプライム・モーゲージ問題に端を発した金融危機は、1929年10月27日、ウォール街の株価暴落によって引き起こされた世界金融恐慌よりも深刻であり、全世界の経済を危機に落す危険があると、予言めいた話をした。
その頃のテレビ・ニュースの解説では、サブプライム・モーゲージとは低所得者向けのホーム・ローンであるといった漠然としたものだった。私はかつて銀行が、低所得者層に融資したなどという例を聞いたことがなかった。アメリカの低所得者の年収は30000ドル程度であり、子供が二人いれば、日々の生活を送るのがやっとの収入だ。その彼等が何故、サブプライム・モーゲージによって家を購入できたのか。これは、ブッシュ政権がITバブル崩壊後の経済再建政策の一環として、すべてのアメリカ国民が、アメリカン・ドリームの基本であるマイホームを購入できるような金融システムを構築するために、政府系モーゲージ金融のGNMA等2社に資金を供給し、それをパイプラインとして銀行やモーゲージ会社に融資。国民に不動産購入を奨励したのである。その結果、不動産価格の上昇が始まり、それに目を付けたモーゲージ会社がサブプライム、信用度の低い消費者に不動産を購買させる融資を考え出した。これは不動産価格の上昇が続くことが条件だった。ある老婦人はテレビのニュース番組で、「私には返済能力がないのに関わらず、モーゲージ会社のセールスマンの説明で家を買った」と述懐していた。彼女は「このサブプライム・モーゲージは、最初の二年の金利が7.5パーセント、それ以後は15パーセントと倍加するのだが、この返済は価格の上昇によって可能になる」と説明されたと言うのだ。確かに不動産価格が上昇した時点で売却すれば、返済は可能であり、キャピタルゲインを得ることもできた。
またGM、フォード、クライスラーの三大自動車メーカーは、自前の金融会社による融資を消費者に行い、不法越境してきたメキシコ人にまで、排気量の大きなV8 エンジンのピックアップ・トラックを販売していた。
さらにクレジット・カード会社は、カードメンバーのバケーション旅行や購買した物品の決済資金を、16から25パーセントという高金利で融資した。このように、アメリカ国民の半数の生活は、借入金の上に成り立っていった。
これら一般消費者の債権を、ウォール街の金融業者は債券化し、それに世界最大の保険会社AIGが、価格下落に対する補償をする保険を発売。格付け会社はそれにトリプルAの評価を与えた。そしてウォール街の金融業者は、その債券をアメリカの主要銀行をはじめとして、世界中の金融業者に販売した。
2002年から始まった不動産の価格上昇は、2007年の9月にピークに達していた。私は1996年の年末、北アリゾナのセドナに、ハーフエーカーの敷地に母屋が55坪、ゲストハウスが35坪の家を32万ドルで購入し、リモールドと庭造りに13万ドルをかけたものが、2007年の半ばに不動産業者が100万ドルで売らないかと持ち掛けてきた。これで分かるように、人口1万人足らずの観光地セドナでも、不動産の価格は2倍に達していたが、それから徐々に下落し、2008年の年末には底が見えなくなった。
特に上昇が激しかったサンフランシスコ周辺の不動産価格は3分の1まで下落したが、まだ底に着いていないと言われている。こうした不動産価格の急激な下落によって、ホームローンの返済不能に陥った人々は、銀行に家を差し押さえられて競売にかけられた家の件数は、カリフォルニアだけでも30万戸に達したと報道されたが、その数は増え続けているので、実数は不明。おそらくアメリカ全土で200万戸以上になっているのでないかと、メディアは伝えている。そして家を失った人々は500万人に達し、失業者は600万人とも言われ、増加の一途を辿っている。
3月中旬、カリフォルニア州の失業率は10.2パーセント、アリゾナ州は8.6パーセント、アメリカ全体の失業率は8.3パーセントと発表されているが、これからの半年間で10パーセントを超えることもあり得ると予想されている。
この観光地セドナでも、ホームレスになった人々や失業者に、フッドバンクと呼ばれる給食所が開設され、食事が提供されているが、このような深刻な経済状況は、かつてアメリカ社会が経験したことのない非常事態なのである。
また2001年9月11日の多発テロ事件でワールド・トレードセンター・ビルディングが崩壊。ニューヨーク証券取引所の閉鎖が1週間続く異常事態となり、ダウ平均株価は7500ドルに急落。不動産の上昇に伴って2008年半ばには14600ドルに達したが、これをピークとして4回のリバウンドを繰り返しながら、2008年の12月初旬には7250ドルまで急落した。
一方2003年から石油市場の投機が始まり、1バーレル35ドル程度の価格が、2008年の半ばには148ドルに達し、それをピークに年末には32 ドルまで急落した。
この不動産、株式、石油相場の複合したバブルの破裂は、かつてなかった深刻な経済破綻を招いたのだ。
まさにそうしたさなか、去年の11 月に大統領選挙が行われ、アメリカの改革を訴えた民主党候補バラク・オバマが当選した。彼の勝因は浮動票を集めたことと、インターネットを使い慣れた若者のボランティア活動によると言われていた。

さて、オバマ大統領の最大の挑戦は、100年に一度と言われる未曾有の経済危機の克服。そして景気の回復である。だがオバマ大統領と経済顧問たちの空前絶後と言われている巨額な支出を伴う経済再建案は、果たして効果があるのだろうか。
これを検証するために、アメリカ資本主義の形成と発展について、簡単に振り返ってみたい。
アメリカの資本主義の基礎が出来上がったのは、19世紀の後半である。1861年から65年にかけた南北戦争が終結すると、1848年にメキシコから割譲されたカリフォルニア、ネバダ、アリゾナ、コロラドとニューメキシコの西半分、つまり新たに領有化した西部の経済的資源と商工業の発達した東部を結ぶ大西洋岸から太平洋岸までの大陸横断鉄道の建設が必要になった。その建設は急ピッチで進み、1869年に開通した。この鉄道だけでも総延長6000キロ以上あり、さらに東部海岸の大都市を結ぶ鉄道や、アメリカ各地で産出する石炭、鉄鉱石、銅鉱石、石油等の地下資源、そして膨大な農産物を運ぶ鉄道網を建設する必要があった。その鉄道の総延長は20000キロ以上であった。
その建設の膨大な需要に着目したアンドルー・カーネギーが、ピッツバーグにカーネギー製鉄所を創立し、鉄鋼王になった。また鉄道による大量輸送には、多重連結された客車や貨車が必要であり、それを実現したのが、エアーブレーキを発明したウエスティングハウスだった。彼はさらに交流発電機を開発し、ナイヤガラ瀑布の手前にアメリカ最初の大規模な水力発電所を建設した。そしてウエスティングハウス・エレクトリック社を創立し、アメリカ全土に配電網を敷く基礎を作った。
また、その鉄道網の発達に伴い、各都市を結ぶ通信手段が必要となり、1876年にアレクサンダー・G・ベルが電話機を発明し、ベル電話会社を創立した。
1882年、トーマス・A・エジソンはウォール街の北部に、世界最初の直流発電所を建設。各ビルディングに白熱電球による照明を実現し、電灯事業を起こして、後にジェネラル・エレクトリック社となる基礎を築いた。また、すでに1870年には、ロックフェラーがスタンダード・オイルを創立。石油市場を独占していた。
そして、強盗男爵の異名を持つJ・P・モルガンが、証券業を基礎として、銀行、鉄道、鉄鋼等の産業を支配下におき、さらにカーネギー製鉄所を買収して、USスチール会社を創立。アメリカ史上最大の財閥を作り上げたのである。こうして1914年の第一次世界大戦以前にアメリカは産業資本主義を確立。そのアメリカ資本主義の拡大に寄与したのが自動車産業だった。1903年、ヘンリー・フォードがフォード自動車会社を設立し、流れ作業による大量生産方式で大衆車、T型フォードを生産、自動車王と呼ばれた。
やがて第一次世界大戦に参戦したアメリカは世界の兵器工場となり、膨大な量の食糧を輸出し、アメリカ産業資本主義は繁栄を極めた。戦後、その利益によって生み出された余剰資金は株式市場に流れ込んだ。また第一次大戦で活躍した航空機産業のボーイング、ダグラス、カーチス等の航空機メーカーや、当時のハイテックのラジオの大量生産を始めたRCA、G・E、シルバニア等のメーカーの株式が上場されて持てはやされたが、1929年10月24日、ついにバブルが破れ、魔の木曜日と呼ばれた金融大恐慌が始まった。アメリカ各地の銀行の大半は破綻した。1930年には失業率は38パーセントに達し、失業者は街に溢れて、教会や救世軍が提供した食糧に飢えを凌いだ。
その当時のアメリカの自動車メーカーは、少年だった私が憶えているだけでも、パッカード、クライスラー、ピアースアロー、ジューゼンバーグ、コード、ラ・サール、ゼーファー、キャデラック、ビュイック、ポンティアック、シボレー、マーキュリー、ダッジ、マーモン、ナッシュ、プリムス、スチュードベーカーがあった。これらのメーカーの多くは、1929年10月にウォール街で起きた金融恐慌の後、販売の激減と価格競争によって淘汰され、1930年代の半ばには、ゼーファーやピアースアローに並んで名車とされ、ハリウッド・スターのクラーク・ゲーブルやエロール・フリンの愛車であったジューゼンバーグさえも倒産し、その英姿を消した。そして自動車メーカーは生き残りを計るために会社合併を行い、シボレーを中心としたグループはジェネラル・モーターズとなって、キャデラック、ビュイック、ポンティアック、シボレーを生産するようになり、フォード社はリンカーン、マーキュリー、フォードの各車種を取り揃え、クライスラー社はクライスラー、ダッジ、プリムスを市場に出した。そしてアメリカン・モーターズはナッシュを生産して、第二次世界大戦の直前、軍の要求により小型四輪駆動車を開発したトラック・メーカーを買収して、ジープを大量生産した。こうした買収や合併により、アメリカの自動車工業は世界経済恐慌を乗り越えた。
だが、その一方、ウォール街を震源地とする激震は世界の金融機構を揺るがし、その経済的疲弊により、ドイツではヒトラーを党首とした国家社会主義ドイツ労働者党が台頭、1933年の選挙で政権を握った。またイタリアでは、1919年にファシスト党を結成したムッソリーニが、1922年に黒シャツ隊をローマに進軍させて政権を奪取した。さらに日本は満州を植民地化し、資源の収奪と移民によって経済の回復を図ったが、満州事変後の1932年1月、第一次上海事変を起こして中国侵略を本格化していった。
アメリカでは1932年1月、国務長官スチムソンが日本の満州侵略を承認せずと宣言。同年2月、議会は金融恐慌対策として復興金融法を成立させ、同年11月8日、フランクリン・D・ルーズベルトが大統領に当選。ニューディール政策を実施した。それはTVA・テネシー渓谷開発法、AAA・農業調整法、NIRA・全国産業復興法などを立法化し、連邦政府の権限を拡大して、積極的な大恐慌の克服と景気の回復を図った。そして1935年、失業率は15パーセントに低下したが、本格的な景気の回復は第二次世界大戦に入ってからだった。アメリカはウォール街で自ら起こした金融恐慌を、連合国の兵器工場となって景気を回復させたのである。
当時のアメリカは世界最大の産油国であり、無尽蔵な石炭と鉄鉱石、金、銀、銅や亜鉛、ボーキサイト、ニッケル、コバルト、バナジュームなどの戦略物資は、地下から掘り出しさえすれば、あらゆる兵器を生産することが出来た。近代戦は膨大で無駄な消費行為であるが、資源国アメリカは消費すればするほど、経済の活性化に寄与したのだ。戦前、ダグラス社はDC・3を航空会社に売り、就航させていたし、大型旅客機DC・4は生産準備が整っていた。やがてこれらは大量生産されて輸送機として大活躍した。ボーイング社は戦争を予期してB・17を生産し始めていたし、スーパーフォートレスB・29の開発を始めていた。またロッキード社はP・38の試験飛行で速度記録を更新していたし、カーチス社はP・40、急降下爆撃機SB2ヘルダイバーを大量生産していた。グラマン社は艦上戦闘機FM・2ワイルドキャット、F6F・ヘルキャット、雷撃機TBF・1・アべンジャーを、コンソリテイデット社はB・24・リベレーター(このB・24はフォード自動車でも大量生産された)を、マーチン社は高速爆撃機B・26・マローダーを、チャンボート社はF4U・1コルセアーを生産。ノース・アメリカン・エアークラフト社はP・51の生産準備をしていた。
また各自動車会社は、シャーマン戦車、大型トラック、ジープなどを大量生産し、カイザー社は三日に一隻のペースでリバティ型輸送船を進水させていた。それに加えてアメリカは連合軍とイギリスに、膨大な畜農産物を加工した食料の補給を行った。これらの産業が活況を呈すると、従業員の需要も増大したが、若者は徴兵されていて、その人手不足を補うために家庭婦人が各職場に進出し、失業率は実質的に零パーセントに低下した。つまり、アメリカは戦争によって再び産業資本主義を回復させ、戦後の経済黄金時代を謳歌するようになったのだ。
そのようなアメリカの経済的繁栄にも拘らず、戦後の世界は経済的疲弊に喘いでいた。イギリスはアメリカに兵器や食糧のつけを支払い、植民地経営で蓄財した富を使い果たしていた。そして労働党が政権を握り、社会主義的経済政策を実施。企業を国営化し、経営効率を上げて失業者を救済しようと図ったが、イギリス病と呼ばれた長期の不況から脱却できずにいた。だが1979年、鉄の女サッチャー首相による資本主義的経済再建方策によって、ようやく不況を克服した。
ドイツは東と西に分割されて、西ドイツは、フォルクス・ワーゲン、BMW、メルセデス・ベンツなどの自動車や、本家本元のカメラやテープレコーダーなどの輸出で莫大な外貨を稼ぎ、経済復興を成し遂げていた。
一方、日本は朝鮮戦争の特需で工業の回復の糸口を掴んだ。これは日本式産業資本主義の回復を意味していた。そして1964年10月の東京オリンピックの開催を契機に、新幹線の開通や首都高速道路、東名高速道路の建設が進み、高度経済成長期を迎えることになる。
この日本式産業資本主義の復活が、やがてアメリカの産業資本主義を根本から揺るがすことになっていくのだ。
まず日本の大手造船所は、1970年代の半ばに、10万トンクラスのスーパータンカーやコンテナー船などの建造総トン数で、世界の造船業界で一位となった。鉄鋼業もあらゆる分野でアメリカを抜いて、世界一の生産量を達成した。
自動車産業は、日産がオースチンのライセンス生産を始め、その後、ブルーバードやセドリックなどの乗用車を販売するようになった。五十鈴自動車はヒルマンのライセンス生産を、プリンス自動車はスカイラインを発売。鈴鹿のレースの覇者となったが、後に日産自動車に合併された。富士重工は360ccのエンジンのスバルを発売。その後、水平対向エンジンの小型車を生産した。トヨタは日本最初のプレス加工のボディを載せたクラウンを発売。その後、二気筒のエンジンを付けたパブリカ、コロナなどの小型車を生産、輸出した。ホンダはモーターサイクルを生産し、マン島のレースに優勝した後、50ccのエンジンのモーターサイクルをアメリカでヒットさせ、ハイスクールの男子生徒はガールフレンドを後ろに乗せて青春を謳歌した。その後、最も厳しいカリフォルニアの排気規制をホンダ・シビックはパス。販売量を倍増させた。こうして日本の自動車製造会社は、燃費の良い小型車を世界に輸出。めざましい躍進を遂げていった。エズラ・ボーゲルは著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の中で、日本人は勤勉な国民で、繁栄を築き上げた、と称賛している。
ちょうどその頃、アメリカのリベラルな経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスは、『豊かな社会』、『新しい産業国家』、『不確実性の時代』など、現代のアメリカの資本主義を鋭く分析批判した著作を発表した。
そしてガルブレイス学派の経済学者は、テクノエコノミックス、即ち経済学と先端技術を組み合わせて、経済問題の解決法を研究する手段を編み出した。これは結果の一つとしてデリバティブ(derivative financial instruments)、つまり、債権や株式などの金融商品から派生した金融取引のことだが、それには先物、オプション、スワップ取引などがあり、価格変動のリスクの回避と、ローコストの資金調達による高利回りの金融商品の開発に繋がっていったのだ。これが、やがて金融工学と呼ばれるようになった。
一方、1980年に始まったジャパン・マネーや、サウジアラビア、クエート、イラク、ドバイ等の産油国からオイルマネーが、ウォール街の金融市場に流入してきた。この天文学的な資金を、金融工学を活用して運用し、高利回りの金融証券を作り出す必要に迫られた。
これは、日本の工業の価格競争力に敗退したアメリカが、産業資本主義から脱却し、金融資本主義に転換を余儀なくされたことを意味する。つまりアメリカはファイナンシャル・キャピタリズムの国家に変貌していったのだ。しかし、石油製品の大手商社エンロンが、デリバティブ(金融派生商品)の取引で巨額な損失を出して倒産したことによって、金融工学の危険性が露見した。

さて、ここで本題に戻るが、今回の石油、鉄鉱石、銅鉱石、ニッケル、レアーメタルなどの金属相場と、穀物相場のバブルの崩壊、不動産と株式相場のバブルの崩壊が、同時に複合して起きたという事実が、実は、市場が未だかつて経験したことのない未曾有の金融危機なのである。
まずベアー・スターンズが破綻し、創立以来140年の老舗証券会社リーマン・ブラザースが、サブプライムの運用で巨額な損失を出して倒産。またAIGの巨額な損失による破綻。ついに、その影響を恐れたブッシュ政権は、公的資金を投入して救済に動いた。
そして最大手銀行シティ・グループの経営危機を回避するために、アラブ首長国連邦のアブダビ投資庁が75億ドルを出資した。
これら未曾有の破綻と危機を招いたのは、財務省とFRB(連邦準備銀行)の現状認識不足によるものだった。
それを裏付けるように今年の2月、前FRBの総裁で、アメリカ経済の守護神と称されたグリーンスパンが、下院の経済委員会で「私の経済政策は失敗だった」と証言したのだ。そして現FRB総裁バーナンキは、遂に市場の予想を遙かに超えたゼロ金利政策をとった。これは、日銀がバブル崩壊後にとった金融政策を踏襲したものだと言われた。
オバマ大統領と経済顧問達が描いた経済回復計画の骨子の第一は、老朽化した橋梁の再建設、公立学校の校舎の建て替えと、政府機関のビルディングの省エネ化の実施。またアイゼンハワー大統領が、1950年代に実施したインターステーツ・フリーウエイの再構築などの公共投資と、それによる50万人の雇用の確保である。これについては、現時点でまだ具体的な計画が発表されていないが、投資される金額は大きくないと予測されており、景気回復にどの程度、寄与するかは疑問視されている。ただ、オバマ政権が発足して二か月足らずで、基本的な経済政策を提案したことには一定の評価がなされた。とにかく、経済回復政策が、どの位の速度で実施されていくのかを、アメリカ国民のみならず、世界中の人々が注目している。

第二は、ヘルスケアーの改革の実行だが、これは8年に及んだクリントン政権が成し遂げることの出来なかった難題中の難題なのだ。実はニクソン政権の時代に、いかなる医療機関も患者の治療を拒んではならない、という不文律が出来上がった。これは立法ではなかったが、クリスチャリティの精神に則る方針であったので、医療側も受け入れた。ところが違法越境者やホームレスなどの支払い不能な人々にも、病院の負担で治療を行わざるを得なくなった。病院は治療費を一定の金額で保険会社と契約しているから、支払不能の人々の治療費を誰かに負担させる必要がある。その負担を被せられるのが保険に入れない患者なのだ。この支払不能者の数は保険に加入できない人々の10倍と言われている。したがって保険に加入できない患者は、通常の10倍以上の治療費を請求されることになるのだ。また70歳を超えた老人の医療保険を引き受ける保険会社はないから、70歳以上の高齢者の患者も犠牲者になる。老人が軽い心臓発作で3日も入院すれば、その請求額は3万ドルを超えるのである。これが現在のアメリカの医療制度なのだ。この無法地帯ともいえる医療制度をどうやって改革するのか。日本の国民健康保険のような、国家が運営する保険制度をアメリカで制定することは、殆んど不可能だろう。アメリカでは、保険は政府ではなく民間の保険会社が引き受けるのが、資本主義国家では当然だ、という過半数の国民のコンセンサスが出来ているのだ。この医療改革を提唱したヒラリー・クリントン大統領候補は、共和党支持者に社会主義者だ、と言われ、共和党の候補者マッケインはバラク・オバマ候補に共産主義者のレッテルを貼った。そしてオバマ政権のスポークスマンが医療コストの低減を図ると言明すると、ファイザー社を初めとする大手製薬会社の株が30パーセントも下落した。いまインターネットでカナダから薬を買えば、アメリカの薬局の半分の価格で買えるが、なぜこのような価格の差があるのかは説明されていないのだ。オバマ大統領はテレビの談話で、アメリカ国民は誰でも正当な支払いで治療が受けられるようにする、と言明したが、それを実現しようとするならば、いかなる抵抗をも押し切って、政府が運営する医療保険を創設する以外に方法はないのだ。現にアメリカは、先進国中で国民に対する医療保険制度を敷いていない唯一の国家であるのだから、オバマ大統領が強い指導力を発揮さえすれば、議会を説得出来ない筈はないのである。だが、アメリカ人の大多数は社会主義に嫌悪感を持っている。この社会主義に対する拒否反応は実に単純な理由によるものなのだ。それはレーニンが起こしたプロレタリア革命で、彼がロシア正教会から農奴を開放する為に神の存在を否定し、信仰を禁止したからである。かつてレーガン大統領は、ソ連を“悪魔の帝国”と呼び、ゴルバチョフがペレストロイカを推進し、信仰の自由を認めると、レーガンは掌をひっくり返して、ソ連と核軍縮交渉に入った。これによってロシアに対するアメリカ人の不信感は幾分薄らいだが、社会主義的政策に対する嫌悪感は払拭されなかった。共和党の指導者、マッケインは今でもオバマ大統領の医療政策ばかりでなく、金融政策についても、銀行の国有化を謀っていると非難を続けている。

第三は、自然エネルギーの開発による地球温暖化の防止。これこそアメリカが変革を遂げられるか否かが掛っている課題である。私は1993年にカリフォルニア州のパームスプリング近郊で、百数十基の風力発電機の三枚回転翼が回っているのを見たことがある。その発電機はジェネラル・エレクトリック社製と聞いたが、ブッシュ政権はこの自然エネルギーの利用を進めるどころか、京都議定書を一蹴し、石油の使用量を規制すれば、アメリカの産業は打撃を受けるだろうと言明した。この世界の趨勢に逆行した政策に従ったアメリカ三大自動車メーカーは、大型のV8エンジンを載せたピックアップトラックやフルサイズ・カーを生産し続けて、せっかく開発途上にある燃料電池を中止し、ハイブリッド・カーの生産も沙汰やみとなってしまった。
どういうマーケッティングか知らないが、アメリカ男のシンボルと言われた5リッターのV8エンジンを付けたピックアップトラックを、トヨタまでが発売したのだ。大体において、大型エンジンの付いたピックアップ・トラックを乗り回す連中は、アメリカでも保守的で愛国者の男達で、日本製の車がいかに良くても買いはしない。それは、ハーレーダビッドソンの愛好家が、ホンダやカワサキのオートバイがいかに優れていても、興味を示さないのと同じ心理なのだ。
そして2005年の初頭、1ガロン1ドル20セントだったガソリン価格が、2008年の夏には4ドルを超えたのだった。
案の定、トヨタのハイブリッド車プリウスは、三か月待たなければ注文できないというほど、売れ行きが伸びた。
その一方、クライスラー社は破産し、チャプター11(日本の会社更生法に同じ)を申請して再建を図ろうとしている。GMは5月末までにリストラクション計画を政府に提出しなければ、援助を受けられない。しかし、チャプター11の申請によって、財務の真実を明らかにした上で再建した方が早いといった意見が市場ではある。5月10日の経済ニュースで、クライスラーのディーラーは800減少し、GMは2400のディーラーとの契約を解消するであろうと伝えた。また、これらのディーラーは、トヨタやホンダ、ニッサンにアプローチを始めていると言っていた。そして、世界最大の自動車メーカーはトヨタであり、第二はフォード、第三はクライスラーを買収するであろうフィアットかプジョーがなるであろうと予想していた。ではGMはどうなるのか? それは5月末から6月中旬に明らかになるであろうと解説していた。ちなみ5月10日のGMの株価は1ドル46セント(二年前に100ドルをつけた)である。トヨタは二年前に130ドルをつけ、60ドルまで下がったが、現在は80ドルまで回復している。そして今年中にアメリカにおける日本車のマーケット・シェアは50パーセントを超えるのは明らかだ。しかしアメリカは途方もない底力を持っている。オバマ政権の経済顧問は、アメリカの自動車産業は国家の基幹産業であり、高率な電池、軽量高率なモーター、新素材による車体、それらによって作られるエコカーは、太陽電池によって充電され、あるコミュニティでは雨天に各家庭に電力を供給するシステムを作り上げれば、新しいビジネスモデルとして発展するであろうと、言明している。
またオバマ政権は、元副大統領ゴアの提言に賛意を表し、風力発電、太陽電池発電、太陽光発電を推進する政策を掲げた。クリーン・コール計画の研究(これは石炭から水素を取り出し、燃料電池あるいは自動車の燃料として使う計画らしいが、詳細は分からない)の推進。燃料電池の開発促進や、水素を燃料とする自動車の開発に、助成金を支出すると同時に、水素スタンドの整備計画を立案するなどを政府主導で行うと公表した。特にアメリカの西南部、カリフォルニア、ネバダ、アリゾナ、ニューメキシコの広大な砂漠地帯は、一年の300日は晴天が続き、太陽電池あるいは太陽光発電には最適地で、これらの発電により、西海岸の三大都市のサンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴの消費電力の30ないし40パーセントは、10年以内に賄えるようになるだろうと、予測されている。
そういえば昨日、ポストに一枚の葉書が入っていた。それには「あなたが、もし太陽電池を屋根に付ければ、そのコストは、あなたの所得税から控除されます。また設置費用の援助も得られます」と書かれてあった。
アメリカ政府は、いまや太陽電池による発電を家庭にも普及させようと、その第一歩を踏み出したのだ。その取り付けだけでも、多くのテクニシャンが必要となり、雇用の機会も増加する。それに加えて、水素を燃料とする自動車は、10年以内に大量生産化が可能だろう。そして、これらの計画が実施されれば、アメリカは金融資本主義国家から、再び、産業資本主義国家に立ち戻る可能性があるのだ。

第四は、金融の安定化計画。周知の通り、最大手の銀行の一つであるシティ・バンク・グループは、アメリカ政府による投票権のある株式の買収に応じ、財務省の監視下で経営を行うことを受諾した。その一方「バンク・オブ・アメリカは態度を保留しており、JPモルガン・チェス・バンクとニューヨーク・メロン・バンク、ウエルスファーゴー・バンクは、必要な資金調達は自己の責任で行い、政府の干渉を拒否した」とテレビの経済番組のキャスターは伝え、「これは銀行の国有化を嫌うアメリカ国民の要望でもある」と付け加えた。
そして、昨3月17日のテレビでオバマ大統領は「スモール・ビジネスはアメリカ経済のハートであり、それに対する融資を行うように、各銀行に指示した」と言明した。それは取りも直さず、政府系金融機関が各銀行に融資し、中小企業に資金を貸し出させるということなのだ。いずれにしても、政府系金融機関による銀行の不良債権の買い取りは、必要なことなのであろう。

第五は、サブプライム問題の解決によって、不動産価格の安定化を図ること。今年に入ってから銀行によって競売された不動産の数は20万ないし30万戸と言われているが、不良債権はまだ30パーセントも処理されていないと推測されている。最近、テレビ・コマーシャルで「あなたのモーゲージを、アメリカ政府の保証付きのホームローンに切り替えれば、支払が少なくなります」と勧誘している。このホームローンの金利は30年返済で7パーセント、10年返済で6パーセント、5年以内なら4.5パーセントである。この金利は、他のモーゲージより2ないし3パーセント低いので、切り換えれば、返済はかなり軽減され、焦げ付きも少なくなる筈だ。こうした消費者金融は日々改善されてきており、一昨日、テレビの経済番組で、不動産市場のストックが減少に転じたと報道していた。だからといって、不動産価格が下げ止まったわけではなく、おそらく、あと一年ぐらいで底を打って安定化し、急激に下がった地域の不動産価格はリバウンドするであろう。そしてこの不動産価格の安定と雇用不安の解消が、景気回復の糸口になるのは自明の理である。
オバマ政権は発足してから二カ月で具体策を出してきているが、その政策を金融市場は信用せず、ほとんどの市場関係者が底だと信じていた7750ポイントをあっさり割り込んで、6500ポイントを付けて下げ止まってリバウンドしている。カラ売りに売り叩かれたバンク・オブ・アメリカは13ドルから3ドルになったが、僅か一週間で2倍以上の7.3ドルに上昇した。この気違いじみた相場を経済チャンネルのキャスターは「オバマ政権は銀行を国有化しようとしている」とバッドガイが金融不安を煽って、空売りをかけて予想外に急落させ、今度は買い戻しで巨額な利益を得ていると怒っていた。
それはそれとして、現在のゼロ金利政策が二、三年続けば、銀行が利益を上げるのは当然であるし、それによって不良債権の償却も可能になるのは、日本の例を見ても明らかである。
先週の3月12日、FRBの総裁バーナンキは「もしオバマ政権が計画通りに経済再建プランを実施できれば、今年の年末には景気は底を打って、回復基調に乗るだろう」と楽観論を述べた。

第六は、金融市場の規制強化の実施。オバマ大統領は下院で「二度と無秩序で無制限な金融商品の証券化による金融危機を招いてはならない。その対策としてアメリカ政府は、SEC(証券取引委員会)と協力して、無秩序な金融商品の証券化を規制し、監視する」と演説した。これに対して共和党の議員は「こんなことをやれば、アメリカのフリーマーケットの伝統は失われて、金融市場の回復は困難になる」と反論した。
その一面もあるだろうが、最大手の証券会社のベアー・スターンとリーマン・ブラザースが相次いで倒産したことからも分かるように、テクノエコノミックスによって編み出された金融工学という錬金術は、ほんの一握りの投機家の連中が巨額な利益を得たのみで、世界中のあらゆる工業に打撃を与え、何百万人もの人々から職業を奪い、彼らを路頭に迷わせたのは、誰の目から見ても明らかな事実なのである。だが、17世紀のアムステルダムで、チューリップの球根が証券化されて以来、人間は相場を操り操られて、これからも、果てしない夢を追い続けて行くのかも知れない。ただ、あと少なくとも10年くらいは、今回煮え湯を飲んだ金融業者は、もっと実体のある企業の金融商品を取り扱うようになるのだろうか。

さて、現実に戻ると、今までに発表されたオバマ政権の規制と、自然エネルギーの開発による地球温暖化の防止政策が実施されれば、アメリカの「ファイナンシャル・キャピタリズム」は、その終焉が見えてくる。そしてアメリカは「インダストリアル・キャピタリズム」を復活させることができるかも知れないのだ。
いま、一つだけ例をあげれば、現在、アメリカの三大自動車メーカーは破綻の危機に瀕しているが、もしマンハッタン計画のような国家プロジェクトで、水素自動車や電気自動車を開発すれば、高効率の電池に必要なリチュームなどのレアーメタルは、必ずアメリカのどこかの地下から発見される筈だ。そうなると、それは、日本にとっては、最強のコンペティターの復活となるのは間違いないことなのである。(2009年5月10日記)



SPAZIO誌上での既発表エッセー 目次
- セドナリアンの四季(1) no.65 (2006年6月発行)
- セドナリアンの四季(2) no.66 (2007年7月発行)
- セドナリアンの四季(3) no.67 (2008年9月発行)