浅野さんから、今回は益田朋幸さんと二人で書いてみたいという申し出があった。文体の統一など、共作には結構面倒なことがあるが、結局はすべてお任せということでお願いした。
結果として、これまでの浅野さんの、学者っぽい文体からすっかり力が抜けて、お二人でいかにも旅を楽しんでいる風情があるがまま、ユーモラスに描かれていて、私は驚いた。これは一体、何が原因なのかと私は浅野さんに伺ってみたが、それは益田氏にうまく引きずられたからだろうと言われた。私は、益田氏とは初めてだから、よくわからない。ともあれ、私は嬉しく原稿を拝受した。
 さて、クロアチアは、アドリア海をはさんでイタリアの東対岸にあることくらいしか知らなかった。私は、無知のまま読ませていただく楽しみを存分に味わせていただいた。興趣をますます増大させてくれたのは、お二人が興にまかせて撮られたたくさんの臨場感ある写真である。
ところで7月下旬、二・三回、クロアチアの旅を宣伝する新聞広告を見た。「秋の紅葉・黄葉のベストシーズン」とか「クロアチアの名物料理ロールキャベツを含む食事付」などというコピーもあった。
いま、クロアチアがブームとはとても思えないが、益田氏はエッセーの中で、“クロアチアのキャベツは人の生き方に関わる意味をもっていて、格別である”と述べておられ、もう一ヶ所でキャベツを作る楽しみは権力を求めることに優ると説いた一人のローマ皇帝の逸話を紹介しておられる。

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日本には“美男におわず”と詠まれた大仏様がおられるが、西欧に、あまりにも高貴で美しく“キリストのようだ”と時に言われるデューラーの自画像がある。ついでにいうと、レオナルドの自画像は、あの謎めいた絶世の美女“モナリザ”の肖像画と重ねてみると、目鼻立ちすべてが、ひそやかにぴたりと重なり合う。
 ところで今回の主人公デューラーは、幼い頃から理解ある父親のおかげで、早々と才能を開花させ、通称賢明公、フリードリヒ三世の肖像画を描くという幸運に恵まれた。時に25歳の若さ。当時のドイツの君主中で、きわめて高い教養と、敬慮な信仰心を持つ熱心な芸術愛好家であったフリードリヒ三世は、自分より8歳年下のこの駆け出し画家を、以後、ほぼ30年間、時に若きデューラーの試行錯誤や実験を許容しながら、パトロンとしての理想的態度をつらぬいたという。デューラーもまた、その厚い思義に報いるべく、例えば500年後にでも鮮明さが残るようにと板絵などの制作に時間と自らの技量をそそぎこんでいる。
 そんな二人の理想的ともいえる親愛感を証明するものとして、秋山氏は「一万人の殉教」(図8)をあげる。周りの陰惨な情景のほぼ真中に目立つ人物二人。右側の紙片を持つ方がデューラーなのだが、では何故こんな不自然な誇示を賢明候が許可したのか。そこには並々ならぬ賢明候のデューラーへの寛容と信頼が関与しているのだが、それは秋山氏の説得力ある解釈をお読みいただき、納得していただきたい。もう一つ付け足すと、フリードリヒ三世が寝室に掛けていたとされるヘラクレスの横顔像。これが夙にデューラーの自画像ではないかと推測されているというが、これは賢明公のデューラーへの寵愛の強さを示すものであろうと、著者は述べておられる。
納得される読者も多いのではないか。

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足―下肢―背中―乳房―創造の手―癒しの手―不信の手―剥皮人体(皮膚)―内臓―肝臓―体液―子宮―目、といった具合に、小池さんは人の体を先ずは解剖学的に観察しながら、やがて西欧の絵画・彫刻などに、それらの部位がどのように登場していったかを、浩瀚な文献、絵画に拠りながら、独創に満ちた表現力で披露していってくれている。最初の「足」が1995年12月発行の号に載っているから、今年までほぼ十四、五年はたっている。筆者も編集者も少々のんびり屋の変わり者だが、今後のことはそろそろ相談しようかと言っていた矢先、親しかった編集者のお一人が亡くなられた。SPAZIO誌として深く追悼の意を表しつつ、この『目という神話』(仮題)の上梓の暁には、その霊前に真っ先に報告したい。

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“オカマ”、“腹下し”、“刺された、逃げろ”、“卵返し”、“黒ひげ”、“魚屋”、“三つ玉子”、“すいか”、“音楽隊”、“まゆげ”。これらはすべて、今回の登場人物のあだ名。誰も互いに本名など知らないから、ごく普通に呼び合っている謂わば通称なのだ。 また、たとえば買ってきたセーターは一週間くらいすると衿を切り取って、しばらくこのスタイルを続け、次には袖を5分、7分と切り取って、最後は袖なしの下着として着用。新しいセーターは一ヵ月半ほど、こうして楽しまれたあと、思い切りよくゴミ箱に捨てられる……。 これらが多分 ,筆者のいう“あまりにヒターノ的な”例なのだろうが、相当にショッキングなこれらの現実を、筆者は淡々と、むしろ親しみを込めて、毎日があまりに日常的に過ぎていく我々に 投げかけてくれている。 佐藤花那子さんという人は、まだまだ沢山の宝話を懐ろ深く秘めておられる筈だ。それらを単なるエピソードでなく、心に直に強く温かく響く物語として、何時かまた披露して下さることを願っている。

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人間はやっぱり、自分の頭と手を使って物を創造し、それを世に問うて適正な生活の糧を得る。金から金を生ませるようなメソードに自らの生活を預けてしまうのは、やっぱり間違っている。ごく単純に言えばこういうことだと思うし、このエッセーで筆者は、一刻も早くアメリカが「ファイナンシャル・キャピタリズム」から「インダストリアル・キャピタリズム」へ戻るべきだと言っている。
 もう一つ、筆者は、アメリカで空気が一番きれいな場所は北アリゾナだといわれてきたのが、近頃あやしくなってきたことに言及している。たとえば、セドナからフラッグスタッフへのドライブコースは、つい最近までパンデローサ・パインが密生していたが、いまでは写真にもあるように、あちこちに赤茶色に立ち枯れしたパンテローザ・パインが目につく。ひどい所は群生したまま白茶色に枯れ果てている。主要因は言うまでもなく車の排気ガス。アメリカの「二酸化炭素排出規制」があまりにも遅すぎた。だが、アメリカが抱えているその他の政治的課題ともども、いま、オバマ大統領が一大英断をもって取り組めば、それらは解決できるという。しかもそれ以外に解決の方法はないだろうと、筆者は考えているようだ。

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発行日  2009年8月31日
編集長  鈴木敏恵
ISSN  1881-2392
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